お盆も今日までであるが、今年はこの間長野を離れていて、13日にご先祖様をお迎えにお墓に行けなかった。今日16日はお墓に帰られるのであるが、お迎えにも行かず、またお盆の期間中ご先祖様にもあえなかったので、送りにだけ行くのも憚られる気がするが、やはりご先祖様がお墓に帰られないうちに会って感謝の気持ちを伝えご供養したいので、お墓参りに行くことにした。
実家に電話すると、夕方6時頃お墓参りに行くという。 小学生の頃、お墓参りは、13日は早く、16日は遅い時間に行くのがいい、と母から聞いた記憶がある。ご先祖様に少しでも長く家にいてもらうためだと言われた。クルマで5分とかからないところにお墓があり、私が知っている祖父と両親が入っている。もちろん私が知らないご先祖様も入る代々のものだ。
まだ「おやき」を食べていないと言うので、お土産はこれで決まり。すいかもこの時期のものなので持参しよう。小学生の時も中学生の時も、「おやき」はお盆の主食だった。母が13日前日の夜に小麦粉を練ってねかせ、翌早朝からおやきづくりがはじまった。今と違い中の具は、丸なすとあんこのみ。母は器用な人で、大きな自家製の丸なすを輪切りにして甘い味噌アンを挟み、それを真ん中に上手に入れて、おやきをどんどんつくる。最後の口をとじる指先の所作など見事なもので、見ていて感心したものだ。出来た順から大きな蒸籠に並べて、かまどで蒸す。かまどがあったのは、中学3年頃までだと思うが(ちなみに囲炉裏の記憶もある)、おやきづくりというと、このかまどの映像しか浮かんで来ない。
何回も蒸し上げ、それを大ザルにどんどん盛る。一番最初の出来たてを、私たち子供は付いていてすぐ頬張る。今思うとなんと贅沢だったことか、「あっちー」といいながら、じゅわ~と口に広がるあのなすの香りと柔らかさは、たまらないおいしさだった。お腹いっぱいに幾つも食べたが、大ザルには、次から次へと母の手づくりのおやきが盛られた。これをお盆中、食べた。よく飽きなかったものである。
あんこも母の手づくり。小豆もわずかではあったが、何回かのお赤飯用とお盆のおやきのあんこ用になるくらい、母はつくっていた。母は鷹揚な人で、あんこはお砂糖がたっぷり入って、その甘さは天下一品であった。だからだろうか、今だにおやきと言えば「あんこのおやき」は私の定番になっている。でも、なすであれあんこであれ一つあれば十分、母の味は幾つも食べれたのに‥‥。食べるものといえばそれしかなかった、と言うこともできるが、そればかりでなく母の手づくりは、何度食べても、何時食べても、おいしいと思わせてくれたのである。
今日のおやきも、大正時代からの老舗の手づくりのおやきだが、母の味とは違う。母のおやきは二度と味わえない。でもあの味は、思い描くことができる。想像しえる。
実家に電話すると、夕方6時頃お墓参りに行くという。 小学生の頃、お墓参りは、13日は早く、16日は遅い時間に行くのがいい、と母から聞いた記憶がある。ご先祖様に少しでも長く家にいてもらうためだと言われた。クルマで5分とかからないところにお墓があり、私が知っている祖父と両親が入っている。もちろん私が知らないご先祖様も入る代々のものだ。
まだ「おやき」を食べていないと言うので、お土産はこれで決まり。すいかもこの時期のものなので持参しよう。小学生の時も中学生の時も、「おやき」はお盆の主食だった。母が13日前日の夜に小麦粉を練ってねかせ、翌早朝からおやきづくりがはじまった。今と違い中の具は、丸なすとあんこのみ。母は器用な人で、大きな自家製の丸なすを輪切りにして甘い味噌アンを挟み、それを真ん中に上手に入れて、おやきをどんどんつくる。最後の口をとじる指先の所作など見事なもので、見ていて感心したものだ。出来た順から大きな蒸籠に並べて、かまどで蒸す。かまどがあったのは、中学3年頃までだと思うが(ちなみに囲炉裏の記憶もある)、おやきづくりというと、このかまどの映像しか浮かんで来ない。
何回も蒸し上げ、それを大ザルにどんどん盛る。一番最初の出来たてを、私たち子供は付いていてすぐ頬張る。今思うとなんと贅沢だったことか、「あっちー」といいながら、じゅわ~と口に広がるあのなすの香りと柔らかさは、たまらないおいしさだった。お腹いっぱいに幾つも食べたが、大ザルには、次から次へと母の手づくりのおやきが盛られた。これをお盆中、食べた。よく飽きなかったものである。
あんこも母の手づくり。小豆もわずかではあったが、何回かのお赤飯用とお盆のおやきのあんこ用になるくらい、母はつくっていた。母は鷹揚な人で、あんこはお砂糖がたっぷり入って、その甘さは天下一品であった。だからだろうか、今だにおやきと言えば「あんこのおやき」は私の定番になっている。でも、なすであれあんこであれ一つあれば十分、母の味は幾つも食べれたのに‥‥。食べるものといえばそれしかなかった、と言うこともできるが、そればかりでなく母の手づくりは、何度食べても、何時食べても、おいしいと思わせてくれたのである。
今日のおやきも、大正時代からの老舗の手づくりのおやきだが、母の味とは違う。母のおやきは二度と味わえない。でもあの味は、思い描くことができる。想像しえる。