来し方春秋

市井の人々との来し方をめぐって

お盆の母のおやき

2007-08-16 14:10:51 | 雑感
お盆も今日までであるが、今年はこの間長野を離れていて、13日にご先祖様をお迎えにお墓に行けなかった。今日16日はお墓に帰られるのであるが、お迎えにも行かず、またお盆の期間中ご先祖様にもあえなかったので、送りにだけ行くのも憚られる気がするが、やはりご先祖様がお墓に帰られないうちに会って感謝の気持ちを伝えご供養したいので、お墓参りに行くことにした。

実家に電話すると、夕方6時頃お墓参りに行くという。 小学生の頃、お墓参りは、13日は早く、16日は遅い時間に行くのがいい、と母から聞いた記憶がある。ご先祖様に少しでも長く家にいてもらうためだと言われた。クルマで5分とかからないところにお墓があり、私が知っている祖父と両親が入っている。もちろん私が知らないご先祖様も入る代々のものだ。

まだ「おやき」を食べていないと言うので、お土産はこれで決まり。すいかもこの時期のものなので持参しよう。小学生の時も中学生の時も、「おやき」はお盆の主食だった。母が13日前日の夜に小麦粉を練ってねかせ、翌早朝からおやきづくりがはじまった。今と違い中の具は、丸なすとあんこのみ。母は器用な人で、大きな自家製の丸なすを輪切りにして甘い味噌アンを挟み、それを真ん中に上手に入れて、おやきをどんどんつくる。最後の口をとじる指先の所作など見事なもので、見ていて感心したものだ。出来た順から大きな蒸籠に並べて、かまどで蒸す。かまどがあったのは、中学3年頃までだと思うが(ちなみに囲炉裏の記憶もある)、おやきづくりというと、このかまどの映像しか浮かんで来ない。

何回も蒸し上げ、それを大ザルにどんどん盛る。一番最初の出来たてを、私たち子供は付いていてすぐ頬張る。今思うとなんと贅沢だったことか、「あっちー」といいながら、じゅわ~と口に広がるあのなすの香りと柔らかさは、たまらないおいしさだった。お腹いっぱいに幾つも食べたが、大ザルには、次から次へと母の手づくりのおやきが盛られた。これをお盆中、食べた。よく飽きなかったものである。

あんこも母の手づくり。小豆もわずかではあったが、何回かのお赤飯用とお盆のおやきのあんこ用になるくらい、母はつくっていた。母は鷹揚な人で、あんこはお砂糖がたっぷり入って、その甘さは天下一品であった。だからだろうか、今だにおやきと言えば「あんこのおやき」は私の定番になっている。でも、なすであれあんこであれ一つあれば十分、母の味は幾つも食べれたのに‥‥。食べるものといえばそれしかなかった、と言うこともできるが、そればかりでなく母の手づくりは、何度食べても、何時食べても、おいしいと思わせてくれたのである。

今日のおやきも、大正時代からの老舗の手づくりのおやきだが、母の味とは違う。母のおやきは二度と味わえない。でもあの味は、思い描くことができる。想像しえる。

蓮の花見と蓮の御膳と満足感

2007-08-02 20:39:17 | 意識と行動
上越市の高田城趾の外堀に、蓮の花が咲き出した。東洋一とうたわれる、規模である。そこで、旅行会社を経営する友人と、蓮を観て、蓮御膳なる蓮ずくしのランチを食べに出掛けた。車にそれぞれ友人、知人を定員載せて、合計7名でミニトリップだ。

8月1日は朝から晴天に恵まれ、日中は猛暑。昨日までのくずついた天候が嘘のよう! 午後には関東中部地方などに、昨年より十何日か遅れて梅雨明けが宣言されたそうであるが、本当に夏のギラギラした、強い光が眩しかった。

高田城趾外堀の蓮の群生は、ここ数年、観ている。が、今年は葉っぱのその大きさにビックリ! もちろん、花の大きさも見事なもの。すごい! を連発してしまった。

ただ、鑑賞に訪れた時間は11時頃。蓮の花はすでに閉じている状態のものもあり、「何処彼処に満開」という状況ではなかった。これから約1カ月にわたって鑑賞できるそうであるから、早朝、ーーガイドさんの説明では6時頃から咲き始めるーー、朝市をかねて訪ねれば、幻想的な開花の様子が観れるかも知れない。ポッ、と音をさせて咲く、ということもあるそうだ。

蓮の花は品がある。静謐な品とでもいえようか、色白の美人がそこにおわす、ような気品である。蓮の花はたった4日で終るそうだ。道理で美しいワケある。古来より、美しいものほど儚い、なんて喩えられるばかりでなく、信じられてもいそうだ。

ところで、今回は、上越市の観光資源を隣県の信州に宣伝しませんか、と私が持ちかけた企画を実現するため、自ら上越の観光資源(今回は蓮の花と蓮御膳)を体験しようという目的で、旅行会社を経営する友人と結託して実行したのである。まあ、二人では寂しいので、どうせ行くなら数人を誘って‥‥、ということであったのだ。

私と友人は二人とも、上越市の観光関係者とは面識はあったが、今回、観光のトップお二人が自ら私たちを迎え、歓迎してくださり、こちらが恐縮してしまうほどであった。蓮のガイドさんを手配していただき、蓮御膳の席にはご一緒して、歓迎のごあいさつをいただいた。その熱心さは、同伴の友人、知人にも伝わり、感心しきり。観光トップの低姿勢と親密さに、光栄です、なんて感激する人もいらっしゃった。

官僚は威張っている。県の職員や市の職員でさえ、現場に出ようとしない。用事があれば出向けという。机上の理論ばかりで、制度をつくったり、予算を決めている。そういう世の中である。トップ自ら観光客(私たちは観光客とはいえないが)の声を聞くなんて、公務員といわれる職種には、前代未聞だというしかない。大ツアーでも、豪華ツアーでもないのにである。

アッパレ!なんて言える立場にないが、このお二人、役職ということ、トップという職務、をよ~くご存知である。自分が何をすれば誰が喜ぶか、満足するか、よ~く解っておられる。

役職にあるということはどういうことなのか、何を誰にすればいいかも、解っていない人が多い。国の最高権威者の、成すべきことをまったく解っていない無能な言動を見聞している昨今、この人には、アッパレ!なんて永遠に言えそうもない。もちろん、私がその立場にないことは、十分自覚している。私のすべき事は、別な人を誘ってまた行くことだ!