来し方春秋

市井の人々との来し方をめぐって

春の美味

2008-04-29 19:31:00 | 雑感
カレンダー通りの身には未だ連休の計画無し! というか、レジャーの予定は無い。手付かずの懸案を少しでも進めるべく勉強? する積もりなのだ。デモ、友人からの急なお誘いには乗るつもり(そういう友ばかりなの!)。

そんな中で今日は、山に出掛けた。同窓会の下見である。7月に開く同窓会は、毎回自然散策が付き物で、故郷の自然を楽しもう! 懐かしい故郷を堪能しよう! ということで、飲む前(宴会前)に、せっせと故郷の名所や散策コースを歩くことにしている。そのコースの下見を世話役3名としたのだ。

天候にも恵まれ、山はすこぶる春うらら、故郷の眺めを楽しみながらの下見は、しばし童心に返った。コースのゲレンデには、所々に雪が残り、フキノトウがいっぱい。まだ2回しかふきみそを食べてなかったので、この山のフキノトウをすべて我がものにしょう!制覇しょう! と思ったが、ゲレンデの片隅を少し汚した?程度で、袋がいっぱいになってしまった。

さて、家に帰ってから、フキノトウをサッと湯がえて、ふきみそを作った。山ほど出来てしまった‥‥。いくら好きでも、モノには程度というものがある。食べ過ぎて、キライになったら本も子もない。季節のモノは、もう少し食べたいな~程度でやめておくのがいいと思い、そこで、2軒にお裾分けすることにした。

高齢者なので、ふきみそはきっと懐かしい味のはず、山に採りに出掛けることはまずないはず、と勝手に2家庭を決めて、それでも電話で「食べますか?」と確認してお届けした。笑顔で受け取っていただいた。

正直言って、これまでは4時間程度の山歩きでは、昼食に缶ビール1本飲んでいた。だが、今回は感心なことに(いやいや当たり前だ!)誰も缶ビールを持ってこなかった。

これから、ふきみそとフキノトウのてんぷらをご馳走に、夕食のビールいただきま~す。

聖火リレー

2008-04-26 18:14:48 | 社会の出来事
今日は外出しないでおこう、暴動があってもしものことが自分に起こったら困るから‥‥。昨日の時点でそう決めていた。

早朝のTVを見ていたら、ニュースのトップに、これから始まるオリンピック聖火リレーの長野市の会場から、朝の6時前から沿道に中国人留学生が大きな国旗を掲げて集まっていると、その様子が報道されていた。また中継点、最終地からの生中継もあり、物々しい感じや緊張感が伝わってきた。

その中ではじめて、聖火が通るコースの時間帯が詳しく発表された。そして、8時15分に民放に切り替えると、開会式の式典が予定通り始まり、トップランナーが走り出した様子とそれからが刻々と中継されていった。

長野駅までの生中継を見ていたら、急に「すぐ下の道路をこれから通るのだ。どんな様子か行ってみよう」と思った。あわてて、外に飛び出した。上空には、ヘリが5機、円を描くように旋回してした。何ごと? と一瞬ひるんだ‥‥。

長野大通りを下ること2ー3分が、聖火ランナーの通る交差点だ、長野駅から北上する聖火はこの交差点から東に折れる。

そこへ近づくにつれ、携帯を持ってくればよかった!と思った。中国国旗が、チベットの国旗が、目に飛び込んで来る。スゴイ数と人だ。誰かにこの映像を見せたいと思ったのだ。

それは、聖火を歓迎するというような沿道の人だかりではなかった。目につく中国の国旗は、沿道でよく振る手旗のような小さい旗ではない。大きな旗が、沿道のそこかしこで振られ、道路が見えないほどだ。チベットの旗も、そこかしこで振られている。チベットの手旗を持った人も大勢いる。拡声器のようなマイクを持った人が、日本語で中国を批判して叫んでいる。周りにはチベットの国旗がたくさん。周りの人たちが声を揃えて何か叫んでいる。

沿道の人々の顔は、私達と同じような顔をしている。ちょっと見ただけでは、国籍は分からない。チベットの旗を振る人たちの中には日本人もいるのだろうけど、分からない。多分わかるとすれば、声を出していない人が、近所の日本人の方々だろう。私も含め、集まった近所の人は、異様な気配に圧倒され、その存在すら分からない。声一つ上げられない、そんな感じだ。

かろうじて、旗を持たない近所の人と思われる人の間に立ち、しばらくすると、白バイと道路を歩きながら警戒する警察官が見え、ゆっくりと走るトラックのような車のあとから、ニュースで報道されたように、聖火ランナーの千葉さんと周りを警備する大勢の集団が、目の前を通り過ぎていった‥‥。その後からは、ワゴン車が20台ほど続いていた‥‥。

帰ろうとする私の前を、チベット国旗を振り、外国語で声を振り絞って何か叫ぶ若者の集団がいた。中国の大きな旗を先頭にバラバラだがそれに続いて聖火を追うように進む若者達ともすれちがった。

それぞれが自分達の国を思い、行動しているんだろう。若いエネルギーが世の中の不条理に声を挙げているんだろう、と思った。手段や方法は、批判されるところがあるかもしれないが、他人事のように無関心でいることより、いいことだと思った。

でも自分に目を向けると、小さくなって聖火を見送った沿道の私は、日和見主義のようでイヤだった。

『プラハの春』

2008-04-22 20:36:21 | 読書・本
『プラハの春』をようやく読み終えた。購入は2年か3年前になる。読みたくて購入したものだが、本棚に長い間並べたままで読む機会を逸していたら、友だちが来た折「貸して」というので貸したら、1年以上も戻らなくて、今年になって返ってきたので、つい最近から読み始めていた。

536ページにおよぶ大作、しかも私が好きな1ページに2段組のレイアウトで、文字はぎっしり詰まっていて、読みごたえがあって、読破に3週間ほどかかった。

1968年8月にチェコスロバキアで起きた、後に「プラハの春」と呼ばれる共産主義社会の改革運動と、それを封じたソビエト連邦軍(ワルシャワ条約機構軍)の軍事介入という事実を基に書かれた小説であるが、登場する政治家や閣僚、軍関係者は実在した人々である。ドゥプチェクとか、フサークとか、ブレジネフとか、焼身自殺した大学生ヤン・パラフとか‥‥。

著者の春江一也氏は、当時チェコスロバキアの日本大使館に勤務していたニ等書記官で、本が発行された1997年当時も現役外務官僚だった。登場する主人公=堀江亮介はご自身だろう。チェコの国民が自由を求めて侵略・占領と戦った現代史の悲劇、反体制活動家=カテリーナとの命をかけた愛が、その体験者によってリアルに描かれ、衝撃を持って読み終わった。歴史の事実を知った感動も大きかった。

そして思った。その歴史の場面にタイムスリップしたいと‥‥。

「プラハの春」の1968年といえば私は17歳であったが、何一つ記憶がない。そのことが、すごく残念なのだ。世界中のメディアが報じたであろう情勢に、いくら17歳とはいえ少しの関心を持たなかったことにガッカリ。当時の悲劇や情勢を、緊張感をもって体験したい、自分なりに見つめたいと思ったであるが‥‥、残念ながら、活字でしか知ることは出来ない。

この反省に立って、世の中に何が起こっているか、自分はどう考えるか、常に見つめよう!

名フレーズ

2008-04-21 20:49:40 | 雑感
久しぶりに講演会を聴きに行った。世の中には、パワー溢れる行動力のある人がいるものである。講師は年間300回以上講演をしているそうである。そのうえ、三重県でウエディングレストランを経営し、「耕せニッポン」というプロジェクトを率い、北海道で引きこもりの若者などを集めた農業を指揮しているという。私も新聞広告で目にしたことがある何百万部?も売れている本の著者でもあり、まさに超人である。

コミュニケーションの達人になる方法と題した講演は、体験に基づいた内容で、確かに引き付けられるものがあり、すべて納得できた。「頼まれ事は試され事」と捉え、「いっちょう、やってやっか」という前向きの姿勢で、相手の期待以上のことをしよう! という話は、私の仕事の姿勢でもあり、大いに納得。でも、「頼まれ事は試され事」という名台詞は思いもしなかった。

このような、オリジナルなフレーズがあるとないとでは、話のインパクトが違う。記憶にも残りやすい。ウマイかマズイかは別として一応講演ということをやっている私には、こんなこともためになった。

美しい桜の季節

2008-04-14 15:27:01 | 文化伝統
土曜日は長野の城山公園のお花見に、日曜日には上越の高田城のお花見にと、やっと巡って来た近在の桜を満喫している。

願はくは花のしたにて春死なん
そのきさらぎの望月のころ

誰もが知っている西行の歌である。毎年桜を愛でながら、私はこの歌を思い出す。

本当に美しい桜の季節に‥‥、と思ってしまうのは、これまた多数の人の願いであろうと思う。

こればっかしは神のみぞ知るところで、叶うはずのない願いと知りつつも、彼(西行)はその願いを安らかに遂げた。非凡さゆえか?

まあ~、世をはかなむにはまだまだ修行が足りない身なので、来年は吉野の桜を観ながら、この歌を思い出してみたいものである。


心の感度

2008-04-09 11:32:06 | 雑感
昨夜8時頃眺めた月はシャープな弧を描き、夜空にくっきりと光り、その神秘的な美しさにしばし眺め入った。三日月かな? と思っていたら、今朝見たある方のブログで二日月であったと知った。今日は三日月か‥‥。

この世の中の神秘なるものにお目にかかるのは、稀だ。地球の惑星の一つである月の神秘さばかりでなく、自然界には多数の神秘的な営みが行なわれていよう。が、見よう、感じようと思わない限り、その存在に気付かない。昨夜の二日月の眺めもホント偶然だった。有難いことに、まだまぶたに残っている。

昨日はまた、新しい受講生との出会いがあった。ある方は、つい最近まで10年もお祖母さんを介護をされたそうである。ご自身のお身体の調子が安定しないで、そうした中で、何かやってみようと思い、自分史講座に至ったそうである。

10年の介護でさぞかし身体的、精神的なご苦労をされて来られたのだろうと察しられ、自分史づくりをきっかけに、早くお元気になって頂きたいと思った。

先日みまかった叔母も、11年半お祖父さんを自宅で介護していた。それはそれは手厚い介護であった。介護制度があっても、精神的な身内の負担は軽減されることはない。

漠然とだが、自分自身の心の感度に思いがいった昨日であった。