2017.8/15終戦の日「玉音放送と戦争体験を聞く集い」開催
<1部>平和のトビラが開かれたー「玉音放送」を聞く
昭和天皇が日本の降伏を告げるラジオ放送=玉音放送は、「宮城事件」をこえて今日に続く平和への幕開けともいえる出来事でした。民主主義の黎明、新国家への決意が込められた玉音放送を一度聞いてみましょう。
<2部>不幸な歴史を繰り返さぬよう、若い命を亡くさぬよう、平和な日本を願って、語ります。
◆小池さちみ 93歳/高女時代の昭和16年12月宣戦布告を聞き、日の丸を振って松本聯隊を見送り、国民学校の同僚教師も次々と戦地へ。防空頭巾の子供たちは毎日避難訓練…。「戦時体制」は否応無しに私を巻き込んでいった。
◆原山貞子 89歳/生活の全てが「勝つまでは」の中で成長した私は、終戦の昭和20年8月は17歳に。戦時とは180度違う新しい時代に、若さゆえか戸惑うことはなかったが、4年たっても、シベリアに送られた兄の消息はなかった。
◆石坂 宏 85歳/小学3年生で迎えた開戦。明治下に発布された「教育勅語」にそって厳しく教育され、ヘマをすると連帯責任で皆で叩かれた。だんだん出征兵士の見送りと弔迎が学校行事となって、学校現場も戦時下そのものだった。
◆岡田雅子 79歳/父は満州建国の官吏。満州国小学2年生の8月、敗戦で満州国は消滅。母と幼い兄姉3人は避難民となり明日をも知れぬ1年間を生きのび、ついに博多港に上陸。それから約4年間、シベリアからの父を待つ。
◆武井敏雄 87歳/昭和20年3月10日未明、東京大空襲に遭う。家族は無事だったが翌日、登校の道すがら見た亀戸駅のホームには焼死体が折り重なっていた…。旧制中学3年の私は、お国のため、航空隊へ志願した。
◆坂田雪男 93歳/昭和19年8月、満州開拓団員として入植。翌年徴兵され、敗戦とともに捕虜となりシベリアに抑留。収容所では、トラックで運ばれてきた大勢の凍った日本兵を埋葬した。未だに彼らの遺骨が還った話は聞かない…。
あなたは、こんな体験をしなくてはならなかった時代を、どう思いますか?