来し方春秋

市井の人々との来し方をめぐって

8・15玉音放送と戦争体験を聞く集い「中止」のおしらせ

2020-07-24 15:38:35 | 戦争体験
恒例の「玉音放送と戦争体験を聞く集い中止」


毎年、8月15日に開催してきました「戦争体験を聞く集い」(主催:自分史を綴り語り継ぐ会) は、新型コロナウイルス禍のため、今年は「中止」いたします。

終戦から75年ということで、特別講演の企画、戦争体験者の著書の貸し出し、太平洋戦争の開催日&終戦日の新聞など資料の展示を企画していましたので、中止は残念に思っております。

来年の、2021(令和3)年の終戦の日には、再び開催できることを切に願っています。

今年の夏は高校野球と戦争体験を聞こう!

2019-08-05 11:55:11 | 玉音放送と戦争体験
毎年夏の「戦争体験を聞く」イベントのおしらせです。

夏の高校野球を見て、若人等の躍動感と一生懸命な姿や素顔に、感動した人はたくさんいると思います。明日へ希望を感じた方もいたと思います。
そんな若者たちが、勉強することも友とスポーツすることも、家族での団らんも、自由な考えも、何もかも奪われた時が、今から70数年前にありました──。何よりも尊い、命されも奪われました──。“戦争”に勝つためでした。
こんなことは、二度とあってはなりません! 戦争体験者すべての方が、心の底から絞り出すように、眉間にシワを寄せて、こう発しています。私たちの、それに応える義務を果たす、夏の一日です。


古稀を期に「書きためた日記の終活」講習会

2019-03-08 19:15:43 | 日記の終活術
昔から70まで長生きするのは非常に少ないと、杜甫は「人生70古代稀なり」と詩っています。
現在は、何と「人生100年」時代といわれています。古稀から延びた30年余、その人生こそ問われそうです。
晩年の一つの生き方として、日記を活用した年表と10大ニュースにまとめる「家族史づくり」の講習会です。
日記は、祖父母・両親・自分・子供・孫世代につながる一家の歴史を秘めています。
日記や思い出をひも解いて、“家族の歴史=よりどころ”を、残しましょう!


お人形供養祭

2018-02-19 14:48:41 | 心の整理
一昨日、葬祭センターで「お人形供養祭」が行われ、僧侶の読経に参列させていただいた。文字通り、弔われるのはお人形だ。
あるときから家族と共にあって、いつしか一つの役目を終えた人形、ぬいぐるみなどを持ち込むと、供養の後、お焚き上げしていただける。

祭壇の周りには、待ち込まれた初節句の五月人形や鎧や兜、雛人形をはじめ、キャラクターの人形、ぬいぐるみ、陶器製の飾り人形などなど、大小様々が並べられた。
相当の数だったが、すべてのお人形が顔を上げて前を向いて並べられ、よくこんなにきれいに飾れるものだと感心し、一体一体を、ついつい眺め廻ってしまった。

電化製品やオフイス家具などが、粗大ゴミとして放り積み上げられた様を目にしている私は、すべてのお人形が「主役」との思いがないと、ここまでの飾り付けはできないであろうと感慨深いものがあり、持ち主の方々も心置きなくお人形たちとお別れできたのではないかと、スタッフのみなさんに拍手を送りたくなった。

書きためた日記帳や高く積み上げられたアルバム、こうしたモノも、別れ難きものだ。ポンポンと捨てるに捨てられない‥‥、遺すのも不安だ‥‥。
そこで、年月日が確実な第一級資料の日記帳を活用して、「家族の年表づくり」と「わが家の10大ニュース」にまとめることを、お勧めしている。

「お人形供養祭」、「日記の終活」など、少しづつ、身辺はきれいにしたいものである。

私たちは二度と戦争はごめんです!

2017-07-14 09:53:46 | 玉音放送と戦争体験
2017.8/15終戦の日「玉音放送と戦争体験を聞く集い」開催

<1部>平和のトビラが開かれたー「玉音放送」を聞く
昭和天皇が日本の降伏を告げるラジオ放送=玉音放送は、「宮城事件」をこえて今日に続く平和への幕開けともいえる出来事でした。民主主義の黎明、新国家への決意が込められた玉音放送を一度聞いてみましょう。

<2部>不幸な歴史を繰り返さぬよう、若い命を亡くさぬよう、平和な日本を願って、語ります。


◆小池さちみ 93歳/高女時代の昭和16年12月宣戦布告を聞き、日の丸を振って松本聯隊を見送り、国民学校の同僚教師も次々と戦地へ。防空頭巾の子供たちは毎日避難訓練…。「戦時体制」は否応無しに私を巻き込んでいった。

◆原山貞子 89歳/生活の全てが「勝つまでは」の中で成長した私は、終戦の昭和20年8月は17歳に。戦時とは180度違う新しい時代に、若さゆえか戸惑うことはなかったが、4年たっても、シベリアに送られた兄の消息はなかった。

◆石坂 宏 85歳/小学3年生で迎えた開戦。明治下に発布された「教育勅語」にそって厳しく教育され、ヘマをすると連帯責任で皆で叩かれた。だんだん出征兵士の見送りと弔迎が学校行事となって、学校現場も戦時下そのものだった。

◆岡田雅子 79歳/父は満州建国の官吏。満州国小学2年生の8月、敗戦で満州国は消滅。母と幼い兄姉3人は避難民となり明日をも知れぬ1年間を生きのび、ついに博多港に上陸。それから約4年間、シベリアからの父を待つ。

◆武井敏雄 87歳/昭和20年3月10日未明、東京大空襲に遭う。家族は無事だったが翌日、登校の道すがら見た亀戸駅のホームには焼死体が折り重なっていた…。旧制中学3年の私は、お国のため、航空隊へ志願した。

◆坂田雪男 93歳/昭和19年8月、満州開拓団員として入植。翌年徴兵され、敗戦とともに捕虜となりシベリアに抑留。収容所では、トラックで運ばれてきた大勢の凍った日本兵を埋葬した。未だに彼らの遺骨が還った話は聞かない…。

あなたは、こんな体験をしなくてはならなかった時代を、どう思いますか?

第9回「玉音放送と戦争体験を聞く集い」を開催します

2016-07-23 18:09:10 | 戦争体験
 今年は、戦地だけでなく一般の庶民の暮らしも戦争に巻き込まれた体験談を取り上げます。テーマは「私たちが知るべき戦時下の実相」です。特に「戦時下で、小中学生は何を体験したか」を2名の方に、はじめてお話していただきます。また、平和へのトビラが開いた「玉音放送」を一度聞いてみましょう!



 92歳の坂田雪男さんには、うたい文句とは違った満蒙開拓団、戦時下のまかり通る不条理、若い命の羽根よりも軽い扱い、シベリア抑留体験など、青春の5年間を戦争に翻弄された体験を語ります。未だその補償はありません!

 太平洋戦争開戦時は東京の小学6年だった86歳の武井敏雄さんは、転がるように敗戦へと向かう日本への東京大空襲を体験、死屍累々を目の当たりにしました。中学生でした。ついには一年早く卒業させられ、お国の為にと軍人にさせられ、浜松の航空隊へ。戦争があと1、2カ月続いたら命がなかったかも知れない体験をしました。

 84歳になる石坂宏さんは、小学3年で迎えた開戦で、戦時体制教育に熱心だった先生に集団で怒鳴られ叩かれ、飯田中学生になると立派な軍人になるため10㎞、20㎞の行軍訓練を体験しました。そして学校の体育館は豊川海軍工廠の学校工場に指定され、勤労奉仕で戦需品を製造。戦時下、子供といえども容赦なく戦争に組み込まれていきました。

 いま聞かなければいけない、知らなければいけない、戦争の実相です。

書きためた日記の「終活術」講習会

2016-03-20 18:02:36 | 日記の終活術
書き溜めた日記帳、捨てるか? 残すか?
処分に迷う前に、「終活」しませんか!


あなたの心を映した分身のような日記帳、捨てる決心は、難しい!
かといって、家族に残すにしても、
どのように処分されるか気がかりだし、きっと迷惑をかけることになるだろう。

処分に迷う前に
長年の日記帳から、「家族の年表」を作りましょう!
あなたの書いた日記帳から、
「家族の10大ニュース」をまとめましょう!
それは、心の整理につながり、日記の処分にもつながります。


98歳の元「零戦」操縦士・原田要さん、最後の講演会

2015-06-14 15:39:55 | 戦争体験
長野市在住の元海軍航空隊の零戦パイロット、原田要さん(98)が
6月14日(日)長野市吉田公民館で、講演しました。


真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ガダルカナル争奪戦に、航空母艦「蒼龍」・「飛龍」・「飛鷹」の戦闘機隊として「零戦』(1人乗り)で飛び立ち、三度の生死をさまよい、奇跡的に生き延びました。

しかし、ガダルカナル戦で不時着、負傷した後遺症で戦線離脱、昭和18年から霞ヶ浦航空隊で予科練習生を指導、その後、千歳航空隊でロケットエンジン搭載の新迎撃戦闘機「秋水」の訓練教官として、学徒出陣の学生らを訓練、しかし「秋水」はテスト飛行中に不時着大破して、戦うことなく終戦となりました。

軍国少年として、「軍人」として生きる道を見つけた原田さん。数々の「名誉」を打ち立てましたが、98歳の現在胸に去来するのは、戦闘機によって、敵を殺めたという罪悪感だといいます。彼等(敵)にも待っている家族がいただろうに……と。

そして運良く生き残った者の使命として、朝晩の英霊への鎮魂と、平成3年から戦争の悲惨さ残酷さ、そして今ある平和の尊さを語り続けてきましたが、講演会は、これが最後になるということです。

原田さんの講演会は、それこそ魂の叫びに等しい迫力と、眼力や動作の一つひとつに使命感が満ちあふれています。学校でも講演をしてこられましたが、原田さんを目の前にした児童や生徒たちの心にはその姿が深く焼き付き、生涯忘れることのない学びになったと思います。

講演をお聞きできなくなることは残念ですが、著書も出ています。
原田さんの魂の叫びを今こそ受け止め、平和とはなにかを考えましょう!これこそ「原田さんの使命」に応える「私たちの使命」です!


原田要著 『戦争の嘆き ~戦争を止められるのは若者とお母さんです~』
定価:本体¥1000+消費税(8%)


自分史出版15年の実績!「自分史」訪問教室はじめました!

2015-05-01 16:43:17 | 自分史
高齢期こそ、人生を記す喜びを味わいましょう!
「自分史」訪問教室、はじめました!

1. お宅に訪問して「聞き書き」します。
記憶に残るお話を数回にわたってお聞きして、製本して自分史に仕上げます。
★基本型/20万円+消費税 (聞き取り4~5回 完成本1~5冊)


自分史出版15年の実績!
2. あなたの書いた文章を「校正・添削」します。
人生を振り返る時が来たら、自分の言葉で綴りましょう!
「文は人なり」と言われるように、思いがより良く伝わるように、
添削は文書の見繕いです。
★基本料金/原稿用紙(400字詰)1枚につき500~1000円+消費税


特に「戦争の記憶」は、「戦争をしない国日本の宝」です。
戦後70年、戦争の記憶を伝えるご存命の方々の「遺す力」を信じて、
「自分史」のお手伝いさせていただきます。

2015.3/28(土)「自分史公開講座」開催

2015-03-01 16:36:59 | 講演会と朗読会
高齢期こそ「人生」を記そう!

自分史は、生きた時代の証言、後世への伝言、そして人生の感謝状!

講座内容
◆1時間目/pm1:30~講義「書き方の手順と何をどう書くか」
◆2時間目/pm2:30~体験談「私の自分史づくりの歩みと完結して思うこと」


<自分史ミニ図書館「来し方庵」蔵書より 自分史づくり 体験者の声をひろってみました>

■K・Mさん 76歳
 ──これで、父の遺書は終わっている。
 生存中は、こうしたことを父の口から聞いたことはなかった。こうして記録を残してくれたことで、私の歴史も鮮明になり、晩年の父の気持ちが痛い程よく分かり、感涙した。
 私は、親らしいことは何もできず悔いばかり残っている。
 私の来し方を文字にして、せめて子供や孫たちへ思いを伝えたい。父の遺書を見てからなお、この思いを強くした。
 尊敬する父の娘としての人生行路は、他人様に自慢できるものではないが、父には誉めてもらえるのでは──

■N・Mさん 70歳
 七十歳になって、過去を振り返る時が来た。
 昭和三十五年、二十四歳で結婚して、その時から五十二年間の日記をひも解いていると、その日に戻り、楽しさや、悲しさが沸いてきて、時を忘れさせた。
 人生は川の流れのようでもある。淀みもあれば、杭もあり、危うく渦巻きに呑み込まれそうにもなる。
私の人生という筏(いかだ)は、ようやく此処にたどり着いて、ほっとしている。
 手を差し伸べて下さった多くの方々に、感謝の気持ちをお伝えできたら嬉しい。

■K・Sさん 84歳
 過去(すぎこし)の二万九千五百日無意味 野放図 怠惰いくばく

 これは、私の八十一歳のときに詠んだ短歌である。
 年ごとに、思いがけなく身体の不都合が生じ、膝はガクガク、目は朦朧となる。
 情けない思いで白内障の手術を受けたのであるが、視界は明るくはなったが、視力はあまり変わらず、社会から取り残されたような、悲哀感と孤独感にさいなまれる日々が続いた。
 そんな折、残りの人生を考える講座に参加して、自分の終末への一本の道筋が見えてきた。
この辺りで、人生を顧みて、生きた証を──