おコメダーズのキャプテン・こま爺の『ガチめんどい!』

本業は脚本屋の小松公典が、こま爺の名であれこれやるユニット。
それが…おコメダーズ!

2000回・ありがとう!

2014年03月24日 | 映画・書き物について
遂に到達しました2000回!
まさか、こないに続くとは自分でも思わんかった(笑)。
改めて読み返してみるとやね、
いろんな事があったなあ…と
本当に感動の涙が止まらなく…


なるわけないじゃーん!

そう、しんみりしてる暇なんかないんである。
前へ!一歩、前へ!

…小便器かい!

って、ネタは男子トイレを利用しない女子には
何のこっちゃかサッパリやね(笑)。
ほら、男子ってお性器の構造上、
撒き散らし率が高いからね、
便器のところによく貼ってんのよ。
説明、これでOK?

って、何の話じゃい!

ああ、せっかくの2000回記念が、
いつもと同じ調子で終わってしまう!

なので、今回はアタクシをよく知る人物に
脚本屋としての小松公典を書いてもらった。

依頼するときにお願いしたのは一点、
「俺の弱点を書いてくれ」ってこと。

本屋としての弱点は必ずある。
そこに目を背けてるとさ、
行けねえんだよ、次に。

そりゃ、頼むことは出来るよ、
記念だし提灯でお願いって。
でも、それをやったらアタクシじゃないんでね。
最近、ちょっとツイッターとか休もうと思っててさ。
その理由もこういう性格のせいなんだよ。
褒めて欲しいんだか構って欲しいんだか知らんけど、
んな事発信する為に選んだ仕事じゃねえだろうよ。
まして発信する側だぜ?
媚びてすり寄って得た物なんざ、
屁の役にも立たない世界だぜ?

どうせ動くならさ。
自分の声で発していくんならさ。
流れに逆らってもええやん。
自分らしくでええやん。
そういう魂がないんだったら、
同じ世界に生きる人間みんながそうだと勘違いを広める前に、
幕、引きなよ。

とか書いちゃうから敵が多い人生になるんだけど、
反面、本当に頼れる仲間が出来るもんでさ。
それも、偽った自分では手に出来なかったと思うんよね。

だから、俺はこのままです。

こんな感じです。



アカンがな(笑)!


えー、前置きが長くなりました。
それでは、2000回企画の第1弾、
辛辣過ぎて俺と同じく敵が多い男(笑)、
それ故に信頼を置いているブログ
「ピンクサイドを歩け」の筆者、hide氏による
本屋としての小松公典、お楽しみ下され。



「小松公典という脚本家が紡ぐ言葉についての考察みたいなもの」


 小松公典(こまつこうすけ)、脚本家。1970年3月6日生まれ、兵庫県出身。

 1995年に関根和美が監督したピンク映画のセカンド助監督に就く。それと並行して、関根のもとで共同名義によるピンク映画の脚本を書くようになる。
1997年2月5日公開の関根和美監督『ストーカー』(公開タイトル『女医 ワイセツ逆療法』)にて、単独での脚本家デビューを果たす。

 以降、ピンク映画の脚本をメインに、映画、Vシネマ、AVと精力的な執筆活動を続けている。中でも、竹洞哲也監督との二人三脚はピンク映画ファンにはよく知られている。
ピンク大賞において、小松は2005、2006、2010、2011年と4度脚本賞を獲得しており、その受賞回数は五代暁子と並んで最多である。

 ちなみに、僕が観た小松単独名義での脚本作品は41本。

 僕が小松とやり取りするようになって、かれこれ4年になる。彼と初めて会ったのは2010年7月13日で、それは小松から招かれて行った竹洞哲也監督『からっぽ人魚』(公開タイトル『スケベな住人 昼も夜も発情中』)の関係者試写(初号試写)の会場であった。
 
 脚本家としての彼を論じる前に、僕の目から見た小松公典なる男がどんな人物か…というと、こんな人物である。

 小松が好きなものといえば、つのだじろうの漫画『恐怖新聞』や新倉イワオ「あなたの知らない世界」に代表される心霊現象、プロレス、必殺シリーズ、80年代アイドル、ゾンビ映画やホラー映画といったものが挙げられる。
 彼は僕より少し年下だが、言ってみればあの時代のいささか偏った嗜好の持ち主に“ありがち”な趣味の少年であったようだ。今で言えばある種のオタクだが、80年代にはまだ社会概念としてオタクは一般化されていなかったから、当時はマニアックな奴という感じだったのだろう。
 余談ではあるが、「オタク」という名称の由来は、重度の漫画(特に少女漫画)愛好者が二人称に多用した言葉が「おたくはさぁ~」だったから、との説があるけど事の真偽はどうなのだろう?

 話が逸れてしまったけれど、僕が小松公典に抱いている印象を箇条書きにするとこんな感じである。

一、情に厚く、面倒見がいい
二、けっこう筋を通すタイプ
三、寛容な人と思われがちだが、実はかなり短気で辛辣
四、冗談がスベリ気味な上に、本番に弱い
五、下がゆるい

 褒めているのか貶しているのか分からないけれど、彼を知る人ならおおむね同意してくれるのではないか。何故こんな前置きをするかというと、小松が書く脚本は彼の人となりやバックボーンと密接に結びついているからである。


 脚本家としての小松公典の特徴を一言でいえば、饒舌な作家ということになるだろう。どんな物語にあっても肝要なことのひとつはリズムの構築であると僕は考えるが、小松が脚本を書く上でのリズムは登場人物に饒舌に会話させることによって形成されることが多い。こと、コメディ作品についていえば、ほぼこのパターンの劇作と言っていいだろう。
彼が書くピンク映画の脚本はオーピー映画提供作品であり、オーピー映画においては人の死や血しぶきの類が基本ご法度であるから、小松の好きなホラーやクライム・サスペンス系の作品はなかなか書くことが難しい。また、盟友の竹洞哲也がその手の作品をあまり好まないという事情もあってその本数は少ないのだが、彼の書くホラー・サスペンス系作品には興味深い良作が少なくない。

 小松のベース・フィールドであるピンク映画は、その性質からかなり表現に縛りが多く、普通の商業映画以上に自由が乏しいジャンルである。「裸と絡みさえあれば、後は何でも好きなようにできる」というのは、今となっては完全な誤解であり幻想である。
 監督や脚本家は、配給会社とのせめぎ合いの中から、何とか一本一本作品を撮って行く訳だ。低予算、キャスティング、女優の演技力の問題と様々な思うに任せぬ要素の中で奮闘するのは、どの組も同じである。

 そんな訳で、小松公典の脚本といえば、吉本新喜劇を換骨奪胎したような人情味あふれるハートフルなピンク映画というのが一般的なイメージだろう。
 彼のストーリーテリングについて言及すると、物語文体における小松色は明確でいささか科白回しにくせがあるものの、ドラマ構築については多様でレンジが広いと言えるだろう。
 また、常に新しい課題に挑戦する姿勢を崩さない攻めの精神を持った脚本家である。こう書くとこの文章をお読みになっている方は結構素晴らしい脚本家と感じるだろうし、もちろん才能あるホン屋であることは疑念の余地がない。

 ただ、当然のことながらパーフェクトな脚本家など世の中には存在しない訳で、小松脚本に関していえば彼自身のパーソナリティや固有の科白回しに、作品としての深刻な問題点と限界の如きものが内包されている…というのも、厳然たる事実である。少なくとも、僕はそう感じて久しい。

 小松の人間性として“情に厚い”と書いたが、彼の持っているある種情緒的な人間性はそのまま彼の作り出す登場人物のキャラクターにも色濃く反映しており、登場人物たちの発する科白はいささか過度の感傷的湿度を纏うことになる。
 換言すると、登場人物に寄り添い過ぎるが故に、小松の書く脚本には物語としてのクールな客観性と観客の想像力に委ねる行間に乏しく、結果的に徹頭徹尾作り手側に物語のキャスティングボードが握られっ放し…という息苦しさを感じる作品が少なくない。隙間がないということは、物語の自律的側面から見ればいささか問題があるだろう。

 また、リズムとしての饒舌な科白は、しゃべり言葉としてのナチュラルさを阻害してしまい、結果として“科白のための科白”といういささか本末転倒なことにも陥りかねない。
 小松の書く科白には、独特の技巧的な言葉が散りばめられている。よく言えばオリジナリティ溢れる科白だが、別の角度から見れば登場人物の話す科白の一言一言に小松公典という脚本家の存在を意識させることにもなる。

 それは、映画に対峙する観客にとって時として歓迎すべからざるものではないだろうか。物語トータルとして小松公典の作家性を印象付ける以前に、会話のパーツ、パーツで脚本家の存在を意識させてしまっては、一本一本の木を意識させ過ぎて結果的に森の存在を意識させないまま終わってしまう危険性を有するからだ。
 それを具体的に例証するには、竹洞組の常連役者である岩谷健司の言葉を引用すればいいだろう。以前僕が行ったインタビューで、岩谷は「小松さんの脚本は技巧的で生理的な言葉でしゃべるのが難しいから、常に戦ってるところがありますね」と話していた。
 登場人物と脚本家の距離感の話にもう一つ付け加えると、その思い入れからか特に重要な科白について必要以上の力みが感じられることがある。何と言うか、「この科白で、決めてやる」といった感じの力みである。

 ただ、彼の作り出すある種の不器用な物語こそが小松作品の魅力でもある。いささか二律背反的なことを言うようだが、登場人物たちの生き方が不器用であるが故の奮闘や健気さに感情移入するファンも多いのである。
 問われるのは、登場人物と脚本家・小松公典の距離の取り方であり、バランス感覚である。あるいは、ストイシズムと言い換えてもいいのかもしれない。
 逆に言えば、小松が登場人物たちをある程度突き放した距離感で書いた本には優れた作品が多いし、あえて言葉を抑えた作品には(それがたとえ失敗作であったとしても)重要作となるものが少なくない。そもそも、小松公典という脚本家は物語を創作する上での懐が深いからである。

 僕が、今後の小松公典に強く望みたいこと、それは登場人物に対して意識的に距離を置く勇気を持つこと、あえて大胆に科白を削ぎ落とし物語の風通しをよくした上で自分のオリジナリティを構築する力強さを備えることである。
この二つをクリアすることこそ、今彼が向き合うべき新たなる課題であり、それが実を結んだ時こそ、次なる小松公典の物語的な地平が開けるものと確信する。キーワードを提示するなら、クールな視点、ストイックなドラマ性、ソフィスティケーションということになるだろう。

 最後に、これは彼のファンとしてあるいは友人としての希望になるのだが、いつか小松にはドラマ的な縛りやフォーマットから解き放たれた自由な物語を書いてもらいたいと僕は秘かに思っている。

 そして、願わくばその脚本を自主制作的な製作プロダクションで竹洞哲也に撮って欲しいと夢想するのである。





ありがとーーーっ!

まあ、さすがだよ。情に鈍る事のない辛辣さ。
それがあってこそ見える真摯さ。
さすがだよ。

次に会ったら辛辣よりチン列って事で
津田クンと一緒に掘ったるからな(笑)!

てなわけで、2000回企画はまだ続くのであーる。


※追記

hide氏からアタクシの作品ベスト&ワーストが届いたので掲載する。

せっかくだから、小松公典の脚本作でお勧めしたいものと
お勧めできないもの(笑)を挙げておく。

【マイ・ベスト5】

1 いつまでもどこまでも(不純な制服 悶えた太もも)2008年
2 恋味うどん(悩殺若女将 色っぽい腰つき)2006年
3 森鬼(乱姦調教 牝犬たちの肉宴)2006年
4 再会迷宮(不倫同窓会 しざかり熟女)2007年
5 ノアのいない方舟(義父の求愛 やわ肌を這う舌)2012年

【マイ・ワースト3】

1 青虹(超スケベ民宿 極楽ハメ三昧)2010年
2 僕らは未来を歩いている(性交エロ天使 たっぷりご奉仕)2010年
3 終わらない始まり(男たちの夢音色)2007年


文字のサイズ、変えたった(笑)。
だって、ワーストなんかアタクシには
あるわけないじゃーん!

どっせーい!


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2 コメント

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Unknown (かん(大阪))
2014-03-26 17:13:06
2000回おめでとうございます。

2000回特別企画、拝読させて頂き感激しました。

あなたが、貴方達がいれば、
悪戦苦闘されておられるお姿を
発信しつづける勇気と苛立ちが
私も含めたみんなの明日を素敵に変えて頂ける原動力になると・・
そんなことを思いながら
いまなお何度も何度も繰り返し拝読させて頂いております。

2000回おめでとうございます。
お身体ご自愛頂き、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
かんさん江 (小町・ルダ・メイ)
2014-03-27 23:13:18
ありがとうございます!

いやー、悪戦苦闘というか、
見て見ぬ振りの知らんぷりをしてれば、
楽に生きれるんですけどね(笑)。

それが出来ないからこその
おコメダーズでもあるんで。
その辺りも含めてエンタメに昇華して、
皆さんに楽しんでもらえばいいかなと
思っております!

今後も色々と仕掛けていきますんで、
見守ってやってください!

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