鉄道模型工作記録帳

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次コレ作りたい。北海道の気動車。

2010-09-13 23:55:00 | 定山渓鉄道をモデるには?

会社にカメラ忘れてきまして。
昨日のあさでんを角R付けたり、津軽キハ2403のLEDチラつき対応加工などしていたのですが写真なし。


これ、鉄コレでキハ49200Yが出るとなれば欲しいですねぇ・・・
図面もある。
問題は特に無い。
真鍮とプラの質感のギャップくらい。

ドアはなんか妙に近代的だし、窓も角Rが四隅バージョンだからキハ22に似ている気もするけど・・・あれ?キハ40-100のサイズに似ているかなぁ。

キハ22から改造したほうが早いかなあ・・・・。

この気動車、雄別鉄道キハ100というのが出自。
3両あって、キハ104とキハ105は両運転台。
キハ106が片運転台でした。
104と105はそれでも関東鉄道(筑波鉄道)時代と大して変わらないので良いんですが、106というのが曲者。

関東鉄道常総線に最後まで居ましたが、既にそのときは「綺麗な片運転台」でして・・・。
雄別鉄道時代って、非運転台側に郵便室・・・・郵便区画?
と小さなドアがついていたらしいのです。

その写真がまぁぁぁぁったく見かけない。

なんせ、
9ヶ月しか在籍していなかった。

・・・。
普通、廃止まで9ヶ月で増備します?
もっと言うとこの鉄道は廃業後の延長稼動もありましたので、実質半年しか活躍の場はありませんでした。

ありえませんね。
何か尋常ではないことがあったのだろうという見方が普通です。
しかも、竣工図まではあるんです。

両運転台で。


・・・・。

ちょっとぉ・・・

雄別鉄道が所有していた気動車は全部で6台です。
今度鉄コレで出る
・キハ21準拠のキハ49200Y1~3 【形式キハ49200】
キハ21をアレンジしたもので、一見全く同じですが、台車がTR29のアーチバーを採用。
定員100名内座席72名
客室面積44.2平方メートル
自重32t
エンジンが国鉄と微妙に違うDMH17BX
変速機DF115
新潟鐵工所製造の昭和32年
違いはというと、「床下排煙」
定鉄もそうですが、床下で排煙して終わりです。
ですから、排煙管が屋根上に無い。
だから窓配置が均等並べとなっています。
価格は1670万円だったそうです。
廃止後は関東鉄道筑波線。そのまま筑波鉄道に行きました。

・キハ104・105 【形式キハ100】
キハ22をアレンジしたもので、ドア配置など津軽鉄道キハ24000に良く似ていますが、窓が小型化されています。
定員101名内座席70名
客室面積43.74平方メートル
自重32t
エンジンDMH17C
変速機DF115
新潟鐵工所製造の昭和37年9月
価格は1700万円だったそうです。
廃止後は関東鉄道筑波線。そのまま筑波鉄道に行きました。

問題の

・キハ106 【形式キハ49200】←え?
見た目は図面上キハ100と同じですが、現物は片運転台です。
定員101名内座席70名
客室面積43.74平方メートル
自重32t
エンジンDMH17C
変速機DF115
新潟鐵工所製造の昭和44年7月
価格は1900万円だったそうです。
廃止後は関東鉄道常総線。

現物は荷物郵便室付きの片運転台。
鉄道の廃止は昭和45年4月15日(会社倒産は2月)

ちょっとぉ。。。
おかしいじゃないですか?
ということで。

OBの方などがお聞きになれば、大変心悪くするかもしれませんが
関東鉄道には6両一式僅か900万円で譲渡されています。
ただ同然です。

キハ49200Yは丁度13年
キハ104・5は8年
キハ106は9ヶ月

帳簿を簡単に考えて・・・
Y1~Y3が残簿価を1割で見て続けたとします。(償却処理の延長)
3台で501万円が計上されていたと思います。

104と105が各340万円
106は1710万円計上残があるはずであり、

6台で2891万円の残価が残ってはいたはずです。
それが900万売却。

うーん。
管財としてもうチョット何とかならなかったものか。


特に106が不可解ではあります。
竣工図と実物が違いすぎる部分があります。
しかも実物が新製図面よりコストを下げています。
実取引はもう少し勉強してもらえた可能性があります。
倒産前の巨大投資はどういう効果があったものなのでしょう。
しかも廃止の引き金となったといわれる茂尻炭鉱ガス爆発事故(現地は赤平町ながら、雄別炭鉱が経営)は昭和44年4月2日
キハ106の落成3ヶ月前です。
なにか・・・があったのかもしれません。
建造ストップが掛けられなかった苦肉の節約変更なのでしょうか?

ちなみに地域の公共施設も新築1年未満で放棄せざる得ないほど突然の大型倒産だったそうです。

雄別鉄道の車両のうち、譲渡は上記以外に銀座のノーベル書房というところにSL205とSL8722が譲渡されましたが、ご存知のとおり8722は結局内地には行かず釧路製作所が買い取って展示しているのは周知の事実です。
ほかは阿寒町にC11-65、釧路開発埠頭にC11-1、YD1301が流れ、YDは更に太平洋石炭販売輸送に移動してますね。

そのほかの鉄道管財は車両の解体鉄材もともに電鉄商事が引き取っています。
http://www.dentetsu.com/service/index.html

ちなみにこちらの会社、かの有名な鉄道会社の撤去も請け負っていらっしゃるようで
http://www.dentetsu.com/service/example_tekkou.html


いろいろ調べて解ったことですが、雄別鉄道は最終的に廃止前に合併などしておりましたが最終住所が「東京都新宿区信濃町34」
今、信濃町駅があるJR信濃町ビルの場所になっています。
神宮球場の信濃町側入り口の前ですね。
これもびっくりです。

で、どえらい脱線してますなwww

ほかには

芦別のホハニ1(元省電モハ31!)


これはイラストまでは引き済。



  ↑まぁ、気長に行きましょう

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2 コメント

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キハ106画像の件 (kanappe)
2010-09-15 00:16:25
たびたびおじゃまします。
雄別キハ106の画像をお探しとのことで、手元の資料をひっくり返したところ、鉄道ピクトリアル1995年5月号(605号)69ページに、関東鉄道へ向けて回送する画像を見つけました。

この号、東京の古書店でもそうそう見掛けない上、決まって結構なお値段が付いており、なかなか手を出しにくい品であります。
kanappeさんありがとうございます。 (こむめ)
2010-09-15 00:22:47
手持ちにありました!
いまさらあったことがわかり、大変感謝いたします。

よく見ると、凄い構造ですね・・・!
反対側も探さないと、便所の取り回しが予想通りかということですね。

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