おはようございます。わが町八千代は久しぶりに青空
が見えております。
小生、体調不良につきウオーキングを休んでおります。
さて本題です。
5月21日(水)千葉県佐原の「水郷佐原水生植物園」「小江戸佐倉の町」「香取神宮」の順で訪れました。
まずは、小江戸佐原の町並み散策からお伝えします。
忠敬橋から写した小野川です。観光用の舟が走っておりました。
次の地図は、現地で配布されている「観光誘導マップ」をコピーしました。
文字が小さく見にくいと思いますが、本記事や佐原散策の参考にして下さい。
なおこの記事の、建物等の紹介については、観光誘導マップを参考にしております。
下の写真は、昼食をとった忠敬茶屋前から忠敬橋方面を写しました。右の写真は、左写真の一番奥に写っている建物:中村屋商店です。
中村屋商店(千葉県有形文化財)は、安政2年(1855)建築で、代々荒物・雑貨・畳を商ってきたそうです。
下左は、三菱舘(旧三菱銀行佐原支店:千葉県有形文化財)です。
川崎銀行佐原支店(創業明治13年)として、大正3年に建てられ、昭和18年三菱銀行と合併し三菱銀行佐原支店となったそうです。設計・施工は清水満之助商店(現清水建設)です。イギリスから輸入したレンガが使われております。
現在は、市に寄贈され観光案内を行っています。
右は、中村屋乾物店(千葉県有形文化財)です。明治25年頃の建築で、当時最高の技術を駆使した防火構造の建物だそうです。
下左は、福新呉服店(千葉県有形文化財)です。明治26年頃建替えられたお店だそうです。
右は、小堀屋本店(千葉県有形文化財)です。創業天明2年(1782)、蕎麦作りの秘伝書や道具が残っているそうです。この建物は、明治23年の建物です。
下左は、正文堂書店(千葉県有形文化財)です。明治13年の建築で、一階屋根の上に登り龍、下り龍の看板があります。
右は、清宮秀堅宅です。
清宮秀堅(1809~1879)は漢学者で、多数の著書があり、またこの地の村長を務めていたそうです。手前の土蔵は、江戸末期から明治初期の建築だといいます。
居宅は、明治2年建替えです。
いつまでもいつまでも残しておきたい佐原の町並みです。

小生、体調不良につきウオーキングを休んでおります。
さて本題です。
5月21日(水)千葉県佐原の「水郷佐原水生植物園」「小江戸佐倉の町」「香取神宮」の順で訪れました。
まずは、小江戸佐原の町並み散策からお伝えします。
忠敬橋から写した小野川です。観光用の舟が走っておりました。
次の地図は、現地で配布されている「観光誘導マップ」をコピーしました。
文字が小さく見にくいと思いますが、本記事や佐原散策の参考にして下さい。
なおこの記事の、建物等の紹介については、観光誘導マップを参考にしております。
下の写真は、昼食をとった忠敬茶屋前から忠敬橋方面を写しました。右の写真は、左写真の一番奥に写っている建物:中村屋商店です。
中村屋商店(千葉県有形文化財)は、安政2年(1855)建築で、代々荒物・雑貨・畳を商ってきたそうです。
下左は、三菱舘(旧三菱銀行佐原支店:千葉県有形文化財)です。
川崎銀行佐原支店(創業明治13年)として、大正3年に建てられ、昭和18年三菱銀行と合併し三菱銀行佐原支店となったそうです。設計・施工は清水満之助商店(現清水建設)です。イギリスから輸入したレンガが使われております。
現在は、市に寄贈され観光案内を行っています。
右は、中村屋乾物店(千葉県有形文化財)です。明治25年頃の建築で、当時最高の技術を駆使した防火構造の建物だそうです。
下左は、福新呉服店(千葉県有形文化財)です。明治26年頃建替えられたお店だそうです。
右は、小堀屋本店(千葉県有形文化財)です。創業天明2年(1782)、蕎麦作りの秘伝書や道具が残っているそうです。この建物は、明治23年の建物です。
下左は、正文堂書店(千葉県有形文化財)です。明治13年の建築で、一階屋根の上に登り龍、下り龍の看板があります。
右は、清宮秀堅宅です。
清宮秀堅(1809~1879)は漢学者で、多数の著書があり、またこの地の村長を務めていたそうです。手前の土蔵は、江戸末期から明治初期の建築だといいます。
居宅は、明治2年建替えです。
下左は、旧油惣(千葉県有形文化財)です。創業は寛政6年(1974)で、奈良漬けづくりを始めたそうです。店舗は、明治33年、土蔵は、寛政10年(1798)の築で、土蔵の棟札に「寛政十戌年午歳九月 立之大工 佐吉立之」とあり、佐原最古の土蔵の可能性があるといいます。
右は、正上(千葉県有形文化財)です。江戸時代より醤油の醸造をしてた店で、築は天保3年(1832)だそうです。 現在は、佃煮の製造販売をしています。
下は、伊能忠敬旧宅(史跡:文部省指定)です。
伊能忠敬は、みなさんご存知のように大日本沿岸輿地全図を完成させた佐原が生んだ偉人です。
旧宅前の橋は、樋橋(といはし)で通称ジャージャー橋と呼ばれています。
樋橋は、江戸時代初期、灌漑用水を小野川の東岸から西岸に送るため、大きな木製の樋を架けたものだそうです。また大樋から水がジャージャーと流れ落ちていたのでジャージャー橋とも呼ばれました。現在は9時から16時まで30分間隔で落水が行われております。
いつまでもいつまでも残しておきたい佐原の町並みです。
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