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谷風便り

つれづれなるままに
よしなし事を、書きつづります

新四国八十八ヶ所めぐり(第一回~4)

2007年05月31日 07時47分05秒 | Weblog

 今朝ウオーキングの途中小雨が降ってきてあわてて家に帰りました。梅雨の前触れでしょうか。
 さて本題です。
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版
があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)]で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。


 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
 今回は、第3番瀧蔵院、67番日枝神社です。
 まず第3番金掘瀧蔵院(船橋市金掘町636)です。何しろ車でお遍路とは厚かましい話です。あっという間に瀧蔵院を過ぎ、はるかかなたまで行ってしまいました。折り返し入った道は、ある会社だけに通じる道でした。散々苦労してやっとたどり着きました。この時は、別の場所に駐車しましたが、瀧蔵院にも車は駐車できます。
 図録によると、明治28年に造立された不動明王線刻碑があるそうですが見過ごしてしまいました。


 瀧蔵院にある第3番札所です。


 次は、すぐ傍にある67番金堀日枝神社(船橋市金堀町470)です。図録の地図には66番となっていますが印刷間違いと思います。


 ご覧のとおり森の中にありました。
 神社参拝には作法があります。古い神社はたいがい清流のそばにあります。この流れは参拝する人が心身を清めるところ(禊~みそぎ)でした。
 現代でも神社の参道には手水舎(てみずや)があります。ここで心身を清めお参りするわけです。
 手水を取る作法
 1 右手で柄杓を持ち、清水を汲み左手に水をかけて清める。
 2 次に柄杓を左手に持ちかえ、右手に水をかけ清める。
 3 再び右手に柄杓を持ち、左の手のひらに水を受け、その水で口をすすぐ。
 4 最後に柄杓を立て、柄杓の柄に残った水を流して清めてから、柄杓置きに伏せ
  て置く。
  
 お参りする仕方は「二礼二拍手一礼」です。これはまたの機会に掲載します。


 小生、神主のこせがれそれなりの作法でお参りしました。
 第67番の札所です。

 般若心経では、無 空 といいますが、小生寺院、神社にお参りするとまず家内安全、そして宝くじなど当たりますようにと欲張りなお願いをします。
 お参りした後は、なぜかすがすがしく得した気持?になります。
 次回(1回~5)は、第4番青蓮寺、29番湯殿神社を掲載します。 

コメント (3)
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鋸山 日本寺へ行きました

2007年05月27日 08時40分45秒 | Weblog

 5月21日(月)~5月22日(火)南房総へ
 まず最初に立ち寄ったのが鋸山 乾坤山日本寺(千葉県安房郡鋸南町鋸山)です。
 日本寺は、今から千三百年前、聖武天皇の勅詔と光明皇后のお言葉をうけて、行基によって開かれたといいます。 
 しかし昭和十四年、登山者の失火により貴重な国宝仏像と堂宇をすべて失いました。現在復興に努めているそうです。
 下の写真は、日本寺仮法堂です。


 日本寺へは、国道127号線から鋸山登山自動車道(有料1000円)で山頂駐車場に行き入山しました。山頂駐車場まで5分ぐらい、日本一料金の高い自動車道と思います。
 その他日本寺へは、①ロープウエイ ②無料の鋸山観光自動車道で行くことができます。次に行くときは観光自動車道を使おうと思っています。
 日本寺の拝観料は、大人600円、子供400円です。日本寺の敷地は広大で詳細に見て廻ると1日がかり(それでも足りないかもしれません。)になります。
 下の写真は、山頂展望台から撮影しました。前の海は東京湾、港は金谷港、対岸は久里浜だと思います。? 
 右の道は、館山道です。7月には、全線開通し南房総も近くなります。 
 この日は、少し雲があり富士山が肉眼でぼんやり見えましたがカメラでは無理でした。


 下の写真は、山頂展望台への途中にある百尺観音です。昭和41年5月、六ヵ年を費やして完成したそうです。自然の崖に彫られています。


 下左の写真は、地獄のぞきです。右の写真は、東海千五百羅漢の一部です。
 この羅漢は、上総桜井の名工大野甚五郎英令が安永八年(1779年)から寛政十年(1798年)にかけ、門弟27名とともに千五百の石仏をきざみ安置したそうです。
 世界一の羅漢霊場といいます。


 次は、日本一高い大仏様です。原型は、天明3年大野甚五郎と門弟が彫刻完成しましたが自然の風触で崩壊し、昭和44年に四ヵ年の復元工事で再現された日本最大(高さ31メートル)の大仏さまです。この大仏様正しくは薬師瑠璃光如来と称するそうです。


 次は、大黒堂です。この堂の前に「弘法大師一夜彫刻大黒堂」との立て札がありました。 中をのぞくと大黒様が祭られておられました。 この大黒さまが弘法大師の彫られた大黒さまでしょうか。


 なにしろ、十万余坪の広大な境内、しかも坂道の連続で疲れます。反面ダイエットには抜群です。小生、汗、汗でした。
 生きているうちに復興した日本寺をみたいものです。
 この南房総旅行については、また続きを投稿します。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第1回~3)

2007年05月24日 12時30分49秒 | Weblog
 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけて新四国八十八ヶ所を廻りました。


 図録には10回(10日)で、新四国八十八ヶ所を歩いて廻られたと記載されております。マイブログでもこの順番で札所を掲載しております。
 今回は、第2番安養院、68番弥陀堂(安養院内)、第69番金掘観音堂、第66番浅間社です。
 まず第2番桑橋安養院(八千代市桑橋386、4月30日巡礼)です。
 安養院も田園風景のなかにあるお寺です。境内に駐車 できます。

 最初に行った時、2番のお堂がすぐ目に入ったのでお参りしたのですが、68番弥陀堂についてはすっかり忘れておりました。家に帰り写真を整理しているとき気づきました。


 5月7日再度安養院を訪ねました。安養院の裏の坂道を登ったところに第68番桑橋弥陀堂(安養院内)があり、その脇に札所がありました。


 下の写真が68番のお堂です。


 4月30日安養院を訪ねた後、金掘観音堂と浅間社を探しましたが図録の地図では細かなところまで記載されておらず行き着けませんでした。
 この後は、八千代緑が丘図書館へ行きゼンリン住宅地図で調べて札所を廻りました。住宅地図にも記載されてない場所もありました。
 5月2日、第69番金堀観音堂(船橋市金掘町21)を訪ねることができました。(観音堂へ行く道は狭いですが、そばに少し広くなったところがあり駐車可能です。農家の方に迷惑をかけないように。
 安養院からは、田んぼの中の道を7~8分走ったところにあります。ご覧のように観音堂は、かなり荒れ果ておりました。


 その境内に69番のお堂がありました。


 この日も、浅間社には行き着けませんでした。
 後日、八千代市立郷土博物館に行き尋ねたところ「金堀観音堂のすぐ後ろにあると聞いています。」との回答を得た。
 5月9日農家の方に教えてもらいやっと第66番金堀浅間社(船橋市金堀399)を訪れることができました。かなり年取ったご婦人でしたが、小生の姿をみてこので作った道は壊れており行くのは難しい?とのことでした。
 浅間社への登り道は草に覆われよく見ないとわかりません。人工的に作られた道は壊れており、そのわきの草の生えた狭い道?を登ったところに浅間社(下の写真、他に建物はない。金堀観音堂の裏30m位)がありました。


 図録では、所在地が「金堀399」と記載されていますが、おそらく住居表示ではなく地番ではないかと思います。もし住居表示があるとすれば金堀観音堂にごく近い番地になると思います。住居表示の「金堀399」は、かなり離れた場所で、そこには権現堂がありました。
 次回は(第1回~4)は、第3番瀧蔵院、第67番日枝神社を掲載します。
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佐倉のジャーマンアイリス園に行きました

2007年05月21日 05時47分49秒 | Weblog
 5月18日(金)、昨年も行きましたが、今年も新聞記事を見て佐倉生谷にあるジャーマンアイリス園へ行きました。
 このジャーマンアイリス園は、船橋市栄町にある石川造園土木の社長石川祐熙さんが二株のジャーマンアイリスを植えたことから始まったそうです。

 今では、1980㎡の土地に1000種類、約5万株になったそうです。
 当日は、白・黄色・ピンク・青など色とりどりのジャーマンアイリスが満開で目の保養をしました。 またジャーマンアイリス株を1000円から販売しております。














 所在地は、佐倉市生谷で佐倉消防署臼井出張所の裏にあります。
 今月の27日(日)まで開園(雨天中止)しております。入園無料ですが、今年から駐車場が有料(200円)になりました。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第1回~2)

2007年05月19日 08時01分47秒 | Weblog

 我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があることを[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)で知りました。
 そんなわけで4月下旬から5月にかけ新四国八十八ヶ所を廻りました。


 図録には、10回(平成17年4月24日~平成18年11月26日の間の10日)で歩いて巡礼した記録が載っております。小生のブログもその順番で各札所を掲載します。
 今回投稿するのは、第1番吉祥院(巡礼日~4月30日・5月16日)、第88番尾崎薬師堂(巡礼日~4月30日)、第63番桑橋薬師堂(巡礼日4月30日)です。
 1番尾崎吉祥院(八千代市吉橋724、下の写真)は、貞福寺から歩いて5分位のところにあります。すぐ前にある尾崎公会堂に駐車できます。
 写真左に写っているのは「石造勢至菩薩像」です。図録には、寛文8年(1668)造立とでております。
 


 吉祥院(大師堂)右側には、新四国八十八ヶ所の開設者存秀法印の墓があります。(下写真)


 下の写真は、墓を拡大して写したもの。右も法印存秀の名前が刻まれている。こちらの方がかなり古いと思われます。


 墓の台座には、新四国八十八ヶ所の名が刻まれております。


 小生が廻った所と違う名前があるので開設した当時の八十八ヶ所かと思われます。
 知人に八十八ヶ所の名が刻まれていると教えられ再度訪れ撮影しました。


 吉祥院から徒歩3分ぐらいのところに第88番尾崎薬師堂(八千代市吉橋538)があります。
 図録の地図を頼りに向かったのですが一本道を間違え、農家の人に教えてもらいました。


 下の写真は、尾崎薬師堂の傍にある「四国霊場八十八番供養塔」です。
 図録によれば尾崎薬師堂が移設されたとされる文政7年(1824)の造立で、道標機能を有しているのが特徴とのことです。この供養塔には「さくばみち」の銘が彫られております。
 この塔は、ご覧のように草に覆われ薬師堂隣の農家の人に聞いても分かりませんでした。図録に写真が載っておりその電柱の位置からやっと探し当てました。
 「さくばみち」とは何処へ行く道でしょうか。ご存知の方がありましたらコメント下さい。
 1番札所と結願の88番札所がすぐそばとは興味深いものがあります。


 次に向かったのが第63番桑橋薬師堂(八千代市桑橋229)です。88番尾崎薬師堂から車で2~3分位です。
 ここに行く道は狭く桑橋薬師堂まで直接車では行けません。近くの比較的広い場所で車を止め徒歩で行くしかありません。所在地もご近所の人に尋ねなければなかなか見つからないと思います。小生も2人の方に尋ねやっとたどり着きました。


 図録によれば桑橋薬師堂の本尊薬師如来」は、胎内から発見された木札により 寛文2年(1662)奉納されたものとのことです。今回は如来様にお会いすることは出来ませんでした。
 次回(1回~3)は、第2番第68番安養寺、第69番観音堂、第66番浅間社です。

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新四国八十八ヶ所めぐり(第1回~1)

2007年05月16日 14時17分38秒 | Weblog

 本日の午前中、睦公民館の囲碁クラブに参加しました。
 昼飯は、なぜかおいしくいただきました。反面まずかった人もいると思います。

さて本題です。 
 先般パソコンの先生から小冊子[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録(以下図録と略します)](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦 発行:愛宕山貞福寺)をいただきました。下の写真がその小冊子の表紙です。
 図録によると我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があり、「お遍路さん」でにぎわっていたと知りました。
 そこで、新四国めぐりを始めたのです


 図録によれば「200年前(文化4年)、八千代市吉橋の貞福寺第38世住職存秀法印によって、吉橋大師の前身ともいえる下総四郡八十八ヶ所が開設されたと伝えられています。」とのことです。
 吉橋大師巡礼は、終戦直後1000名を越えた年もあったそうですが残念ながら平成7年2月大師廻りの休止が通知され、今は有志による巡礼のみとなっているそうです。
 この図録には、日付は飛びますが10日間(平成17年4月~平成18年11月・10回)かけ歩いて巡礼した記録が載っております。
 小生は、車でランダムに廻りました(本年4月下旬~5月)が、このブログには「図録」に記録されている大師廻りの順番どおりに札所を載せます。(歩いて巡礼される方にはこの順番が良いと思います。)
 図録によれば第1回は平成17年4月24日で、21札所を廻られております。

 今回は、第一回~1として、16番来福院、20番貞福寺です。



 最初は16番花輪来福院(八千代市吉橋1279-1 花輪公会堂)に行きました。
 お堂の左上に第十六番の札がはってあります。


 次は、20番吉橋貞福寺(八千代市吉橋804)へ行きました。
 このお寺が吉橋大師発祥の地です。八千代八福神の一つでもあります。
 小生、朝夕のウオーキングで行くことがあります。このお寺で折り返すと丁度1時間になります。


 貞福寺の境内に第二十番のお堂(下写真)があります。

 各札所では知っているお経・祝詞を唱え欲張りなお願いをしました。
 今後3~4ヶ所ぐらいづつ投稿していきます。
 次回は、第1回~2(1番吉祥院、88番薬師堂、63番薬師堂)を投稿します。

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樹木の剪定

2007年05月12日 08時26分34秒 | Weblog

 おはようございます。我が八千代は晴天、朝のウオーキングを気持ち良く行いました。散歩道の田植えは既に終わりました。

さて本題です。
 我が団地では、剪定に詳しい方の指導で樹木剪定の半分をサポートチーム(暇なおじさん達です。しかし1回で10万円以上の働きをします。)で行っております。(難しいものは、業者に依頼)
 一昨日も午前9時からサポートチームの剪定作業がありました。
 樹木には剪定の時期があります。それ以外の時期に剪定を行うと花が咲きませんし実も成りません。
 詳しい方と小生で下のような樹木のプロフィールを作り樹木に表示しております。
 約60種類、250本の樹木に表示する予定です。
 ご覧のように剪定前と剪定後の写真を載せるので時間がかかります。昨年の夏から始めましたが完成まであと一息です。


 そんなことで小生も、剪定に目覚めました。
 下は、剪定前の我が家の白木蓮と椿です。
 白木蓮は、木の茂る夏に剪定したため昨年は2輪しか咲きませした。


 今年は、昨年剪定しなかったので12輪ほど花が咲きました。(上の写真は剪定前)
 椿は、それなりに咲きました。下は、今年咲いた貴重な白木蓮を写しました。


 今年は、花が咲き終わった時、剪定に詳しい方の協力を得て白木蓮と椿の剪定をしました。(下の写真)かなりすっきりしています。
 その方によると来年は今年の倍24個は咲くとのことです。


 上の写真、竹の棒は、昨年まで椿や白木蓮の木に巻きついて咲いていたノウゼンカズラを咲かせるために作りました。
 下は、今年椿が咲くまで同じ花を撮リ続けたものです。

 それなりに上手く撮れたと思っております。 

 それぞれの木の剪定結果については投稿します。
 甘い期待を込めて → きっとたくさんの花が咲くと思います。 

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鴨川シーワールドへ行きました

2007年05月06日 11時20分48秒 | Weblog

 今日は、生憎の雨です。行楽地からお帰りの皆様は大変だろうと思います。
 小生、大型連休中新四国八十八ヶ所めぐり(八千代市近辺にある四国霊場八十八ヶ所のミニチュア版)を始めました。近く投稿したいと思っております。

 さて今回も少し前の記事を投稿します。
 3月28日姪の子供(今年ピカピカの1年生になりました。)を連れて鴨川シーワールドへ行きました。
 シーワールドに着くと、彼はおおはしゃぎで走り回っておりました。
 下は、イルカのパフォーマンスです。 


 この日は春休み中、お客さんが多く駐車場はかなり遠くでした。
 イルカショーも満員、良い席には座れませんでした。



 やはりシャチのパフォーマンスが一番見ごたえがありました。


 人間とシャチが一体になったショーは素晴らしいものでした。 
 下右は、ベルーガのパフォーマンスです。


 昨年行ったときは、シャチのあかちゃんが生まれたばかりとかでシャチだけのパフォーマンスでした。


 下は、ショーの最後の場面です。


 確かに子供は喜ぶと思いますが、入場料が高いですね。
    大人(高校生以上)2800円、65歳以上1960円
    子供(4歳以上~中学生)1400円
 天気も良かったし小生も楽しんだ1日でした。

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宗吾霊堂に行きました

2007年05月03日 08時51分12秒 | Weblog

 今日は晴天、大型連休をお楽しみのことと思います。小生自宅で静かに過ごしております。
 昨日は、夏も近づく「八十八夜」でした。あと数日で夏です。(立夏5月6日)
さて本題です。
 マイパソコンのリカバリの勉強で投稿が遅れたました。
 4月2日、この日は「桜狩り奇特や日々に五里六里  芭蕉」と桜狩りをし宗吾霊堂にも行きました。
 宗吾霊堂は正式には「鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂」と言うそうです。桓武天皇の時代征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し戦没者供養のため建立したそうです。
 下の写真は仁王門です。


 徳川4代将軍家綱の時代に佐倉藩の領民を救うため、将軍に直訴し、その罪により磔刑に処された義民佐倉惣五郎(木内惣五郎)の菩提寺であり、百年忌のときに宗吾道閑居士の法号を受けてことから宗吾霊堂と呼ばれるようになったといいます。
 下は、本堂(宗吾霊堂大本坊)です。明治時代に大火で消失、大正10年に建てられたそうです。

 下左は薬師堂、右は奥乃院です。

 境内に次のような厄年早見表がありました。
 小生のような高齢者には厄年 はないのでしょうか。それとも長生きし過ぎたのでしょうか。



 善意に?解釈すれば、「もう厄年など気にせず、長生きするように」とのことでしょう。
 まだ、遅れている記事がありますので順次投稿したいと思います。

 話はかわります。
 先般パソコンの先生から小冊子[第二回市民企画展「新四国を歩く」図録](編集:八千代市立郷土博物館・むつみ街づくり研究会・村上昭彦、 発行:愛宕山貞福寺)をいただきました。
 それによると我が八千代市には古くから四国霊場八十八ヶ所ミニチュア版があり、「お遍路さん」でにぎわっていたと知りました。それで小生新四国めぐりをしょうと思いたちました。結願出来れば?投稿します。

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