文科省が今回の小中学校指導要領改訂で、「聖徳太子」の名を「厩戸王」と改めようとしていることは、みなさんご存知ですか。理由は、聖徳太子の名は一世紀ほど後でつけられたものだからだそうです。まったく釈然としません。
ただし、文科省では、2000字以内でパブリックコメントを求めています。締め切りは3月15日まで。窓口フォームは、
https://search.e-gov.go.jp/servlet/Opinion
私もコメントを送りました。以下、それに若干アレンジを加えて思うところを述べます。
このたび学習指導要領改訂にともない、歴史的分野において、「聖徳太子」の名を「厩戸王」に変更するとの提案がなされていますが、断固反対します。聖徳太子が後世の呼称だからというのはまったく理由になりません。歴代天皇の名も多く諡名(おくりな)が使われています。
そもそも歴史とは単なる一回的な事実ではなく、それを共有する共同体のメンバーにとって、今とこれからを生きていくために、受け継ぎ伝えていかなくてはならない必要不可欠な物語、history(英)、histoire(仏)、Geschichte(独)です。だからこそ神話と歴史とのあいだにも精神の連続性が存在するのです。
聖徳太子の名は、わが国の精神的・社会的秩序の礎を築いた人として、永らくすべての国民の間に浸透し、親しまれ、紙幣の肖像にも使われてきました。この名を変更することは、日本の歴史の重要な部分を抹消するにも等しい愚挙と考えます。
科学の時代となり、人文系の学問にもその方法をそのまま適用すべく、実証主義的歴史学が主流となっています。事跡をなるべく正確に定めるためにこの方法を駆使することを認めるのにやぶさかではありません。しかし何事も過ぎたるは及ばざるにしかず。個々の些末な「事実」に過度にこだわると、その学問固有の基本特性を毀損しかねません。歴史学は時間的連続性の概念を基軸として一定の事象を総合することによって初めて成り立つ学問ですから、個々の要素に分断してとらえてしまうと、学問としての意味がなくなります。個物をあれこれ抽出して研究する自然科学的な分析とはそこが違うのです。
今回のような提案をする現代日本の歴史学者たちは、このことがまるで分っていないようです。過度な実証主義は学問のオタク化を招きます。
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また、ことさら聖徳太子を選んで、それにかかわる当代の断片的事実のみに固執し、その後の人々のとらえ方を無視するような変更を提案する今回の試みのうちには、このオタク化した現在の実証主義的傾向を利用して、天皇家の歴史をなきものにしていこうとする歪んだ政治的意図が感じられます。
将来の日本人のために特に公正中立を期すべき文科省が、このような提案を大真面目に取り上げる試みそのものをたいへん残念に思います。
ついでに申し添えますが、いつのころからか「士農工商」が小中学校の教科書から消えました。私は大学で「江戸時代の身分制度を表す四字熟語は?」と質問したら、ほとんどだれも答えられず、びっくりしたことがあり、それでその事実を知ったのです。
これもまったく納得できません。
この言葉が消えた理由は、当時の厳しい身分制度や序列を表す公式の用語ではなかったというところにあるようです。それはおそらくそのとおりでしょう。しかし、言葉自体は人口に膾炙して存在したのですし、実際にこの言葉を用いる当時の人々の意識の中で、身分(アイデンティティ)感覚が自覚されていたことは疑いないところです。
およそかつてあった言葉を抹殺することは、歴史に思いをいたすことにとって大きな障害になります。キーワード的な言葉がないと想像力のはたらきようがないからです。
今回の指導要領改訂案では、「鎖国」の表記も消すことになっています。たしかに中国やオランダを通して外国と通商していたのですから、完全に国を閉ざしたのではありません。けれどもそれに近い状態であったこともまた事実です。
この言葉はオランダ語の訳語だそうですから、他国から日本を見た時の否定的な形容なのでしょうが、おそらく明治近代以降に、日本人自身が過去を否定的に振り返ることによって日本語として定着していったのでしょう。否定的に見ること自体には確かに問題があります。しかしこの言葉は、幕末に西洋文明に触れた衝撃の大きさをきっかけとして、日本の近代化が急速に成し遂げられた過程を理解するのに象徴的な意味を持っています。
士農工商にしろ鎖国にしろ、たとえそれらの言葉がどれほどネガティブなニュアンスを連想させようと、人々の間でそれらがごく普通に用いられたという事実は消えません。要は、いつごろ、どのような仕方で使われたのかということも合わせて学ぶようにすればよいのだと思います。
現在の時点から見たいわゆる「史実」と異なるからといって、かつて人々の生活史の中で深い意義をもっていた言葉を抹殺してしまうというような現在の歴史学界の傾向には、とうてい賛成できません。
文科省には猛省を促したいと思います。当ブログ読者の皆さんも、パブリックコメントを送ってみてはいかがでしょうか。
恥ずかしながら、厩戸王という呼称は初めて聞いたかな? と思います。厩戸皇子(うまやどのみこ)が、聖徳太子の本名であることは、昔の普通の中学・高校の教科書で普通に日本史を教わった私の記憶にもあります。
傑作マンガである山岸涼子「日出処の天子」では厩戸王子でした。これ、典拠があるのかどうか、ほとんど誰も気にかけませんでしょう。庶民にとって、歴史とはそういうものです。
つまり、正確であること、それ以前に、何をもって「正確」とするか、学問的に非常に大変なんですが、そんなの、どうでもいいので。
忠臣楠木正成(これも「楠正成」の表記が正しいとする説もある)や、英雄西郷隆盛(西郷隆永が正しいらしい)の物語として歴史に親しむのです。そういうものとして、歴史は国民の共有財産です。
聖徳太子は聖徳太子、一度に七人の話を聞いて理解した天才、でよろしいので。この、それこそ歴史的に親しまれてきた名称を、完全に消去するとは、科学バカの所業なのか、それとも他に何か政治的な意図があるのか。
できるだけ調べてから、私も、パブリックコメントを書きたく思います。
由紀さんには本音を書きますが、「歴史」とはすべて共同幻想ですよね。同じ共同態に属する(これも共同幻想ですが)民衆が長い間そう信じてきたこと、そこに重みがあるわけです。国家もこの共通観念の支えを失ったらたちまち崩壊するでしょう。
これは単なる推測にすぎませんが、本当のことを言うと、私は「厩戸王子」が聖徳太子の本名だという説も怪しいと思っています。というのは、この名前は、救世主イエス・キリストが馬小屋で生まれたという伝承と酷似しているからです。
名もなく貧しい出自の者がじつは聖者であった、あるいは王者に昇りつめたというのは、世界中にある説話のパターンですね。
少し前に一休について書きましたが、彼は後小松天皇の落胤であるという説が正式に認められていますが、これもすこぶる怪しい。
逆もあります。権勢をほしいままにした蘇我氏の名前が、馬子とか入鹿とか蝦夷とか、なぜみんな動物扱いされた名前なのか。これをクーデターによって倒した天皇一族が、自らの正統性を再び強調する必要から、蔑視するためにそう命名したのではないか。
いずれにしても、おっしゃる通り、「実証主義歴史学」の「科学バカ」ぶりが、今回の一件であぶり出された印象が強いですね。
そのくせ暦の違いなどは修正し無いのですから自己矛盾というか
面倒くさい事はやりたくないけど
同僚に間違いをせっつかれて恥をかきたくもない
こんな所でしょうか……
おっしゃる通りですね。
ご指摘の点は、学界だけでなく、今の国会にも当てはまるようです。