一邑一句=播町

90香 港
中年らTシャツ揃へ島渡る
90マカオ
大いなる虹タイパ橋真二つ
91シンガポール
譲りあふ異国料理の極暑かな
92上 海
太極拳媼ゆるりと今朝の秋
92蘇 州
春日向老女の指の白玉蘭
93アユタヤ
炎昼のメナムに橘花一朝問ふ
93チェンマイ
火焔樹下群るる若き貌汗ばみて
93バンコク
喰ひ散らす南の果肉夏終る
94パ リ
汗ばみしシャツにマチスの絵の踊る
94フィレンツェ
天井のこの高さ涼し大聖堂
94ベネチア
秋虹へ寝台特急ベニス出づ
94ローマ
夏の夜の黄色き館のカンツォーネ
96インターラーケン
カウベルが汽笛に応へ大夏野
96エギュディミディ
宙づりのままに夏嶺の氷点下
96エビアン
釣師ゐて犬ゐて夕虹消えにけり
96ローザンヌ
オルガンの音くぐもりし驟雨かな
96ベルン
旧市街といふ箱庭に旗群るる
96ユングフラウヨホホ
炎天の頂上四方雪の嶺
96ルツェルン
蚤の市買い手売り手の玉の汗
99ゴ ビ
ゴビの砂閉じ込め秋の旅鞄
99敦 煌
コスモスや女人菩薩は窟のなか
99西 安
百餃百味宝鶏ビールぬるし
01ハイデルベルク
春風の橋の半ばで振向けり
01ローテンブルク
ミサへ行く老嬢春の光浴ぶ
01ミュンヘン
人形の踊る仕掛けや日の盛り
01マインツ
ワインより熱燗の欲し春疾風
01シュバンガウ
ノイシュバンシュタイン城へ雪烈し
01インターラーケン
大吹雪ガラス隔てし昼餉かな
01ジュネーブ
蟹のごとアーミーナイフ騒ぎをり
01パ リ
春雨に艶めくパリの屋根の下
句集出版始末
先をよむのが不得手である。
だから碁も将棋もたしなまない。わが人生60年と考えていたから、生命保険も損害保険もそれまでの掛け捨てであった。定年が近づいたとき、もしも死ぬことがあれば香典返しに、生きていれば送別会や餞別のお返しにと、句集出版を思いついた。
しかし、句集を送られた人は誰も俳句など興味をもたないだろう。そこで索引で全句に総ルビを振ったり、昔書いたコラムを収録したりした。フランス装というかろやかな装丁に固執して東京の出版社に依頼した。自分で版下までつくり校正は不要、やりとりはメールのため、担当していただいた編集者とは結局顔を合わすことがなかった。
そのころ図書館に勤めていたので、俳誌を寄贈していただいている結社の主宰のみなさまに、できた句集をお送りした。その縁で面識のないある主宰によって神戸新聞文化欄にとりあげていただいた。退職時まで内緒のつもりでいたが、このため本は2月末にはあらかたなくなってしまい、肝心の餞別のお返しに使えなかった。
そして何より困ったのは、老後のためにとはじめた俳句が、句集出版で吹っ切れてしまい、その後句ができなくなってしまった。われながら先をよむのが不得手とあきれている。という訳で、あれから三年、未だに老後の次なる目標を探しあぐねている。
(上の句は、一都市一句という趣向、すべて句集に未収録、つまりは廃句復活戦であります)(2004)

90香 港
中年らTシャツ揃へ島渡る
90マカオ
大いなる虹タイパ橋真二つ
91シンガポール
譲りあふ異国料理の極暑かな
92上 海
太極拳媼ゆるりと今朝の秋
92蘇 州
春日向老女の指の白玉蘭
93アユタヤ
炎昼のメナムに橘花一朝問ふ
93チェンマイ
火焔樹下群るる若き貌汗ばみて
93バンコク
喰ひ散らす南の果肉夏終る
94パ リ
汗ばみしシャツにマチスの絵の踊る
94フィレンツェ
天井のこの高さ涼し大聖堂
94ベネチア
秋虹へ寝台特急ベニス出づ
94ローマ
夏の夜の黄色き館のカンツォーネ
96インターラーケン
カウベルが汽笛に応へ大夏野
96エギュディミディ
宙づりのままに夏嶺の氷点下
96エビアン
釣師ゐて犬ゐて夕虹消えにけり
96ローザンヌ
オルガンの音くぐもりし驟雨かな
96ベルン
旧市街といふ箱庭に旗群るる
96ユングフラウヨホホ
炎天の頂上四方雪の嶺
96ルツェルン
蚤の市買い手売り手の玉の汗
99ゴ ビ
ゴビの砂閉じ込め秋の旅鞄
99敦 煌
コスモスや女人菩薩は窟のなか
99西 安
百餃百味宝鶏ビールぬるし
01ハイデルベルク
春風の橋の半ばで振向けり
01ローテンブルク
ミサへ行く老嬢春の光浴ぶ
01ミュンヘン
人形の踊る仕掛けや日の盛り
01マインツ
ワインより熱燗の欲し春疾風
01シュバンガウ
ノイシュバンシュタイン城へ雪烈し
01インターラーケン
大吹雪ガラス隔てし昼餉かな
01ジュネーブ
蟹のごとアーミーナイフ騒ぎをり
01パ リ
春雨に艶めくパリの屋根の下
句集出版始末
先をよむのが不得手である。
だから碁も将棋もたしなまない。わが人生60年と考えていたから、生命保険も損害保険もそれまでの掛け捨てであった。定年が近づいたとき、もしも死ぬことがあれば香典返しに、生きていれば送別会や餞別のお返しにと、句集出版を思いついた。
しかし、句集を送られた人は誰も俳句など興味をもたないだろう。そこで索引で全句に総ルビを振ったり、昔書いたコラムを収録したりした。フランス装というかろやかな装丁に固執して東京の出版社に依頼した。自分で版下までつくり校正は不要、やりとりはメールのため、担当していただいた編集者とは結局顔を合わすことがなかった。
そのころ図書館に勤めていたので、俳誌を寄贈していただいている結社の主宰のみなさまに、できた句集をお送りした。その縁で面識のないある主宰によって神戸新聞文化欄にとりあげていただいた。退職時まで内緒のつもりでいたが、このため本は2月末にはあらかたなくなってしまい、肝心の餞別のお返しに使えなかった。
そして何より困ったのは、老後のためにとはじめた俳句が、句集出版で吹っ切れてしまい、その後句ができなくなってしまった。われながら先をよむのが不得手とあきれている。という訳で、あれから三年、未だに老後の次なる目標を探しあぐねている。
(上の句は、一都市一句という趣向、すべて句集に未収録、つまりは廃句復活戦であります)(2004)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます