JR伊勢崎駅のスグ近く。善応寺というお寺に「赤城の山も今宵限り…」の名セリフで知られる、国定忠治親分のお墓があるという。でも確か…生まれ故郷の国定村に立派なお墓があるはず( -_・)?とりあえず、行ってみることにしました(^_^ゞ
本堂から墓地に入ってみましたが、何しろ広くて…
探しあぐねて「案内図があればいいのに…不親切な」とブツブツ独り言をつぶやきながら、境内の駐車場に戻ると…愛車のスグ真横に、お地蔵サンと並んでるじゃないですか~\(^o^)/
説明板も何もないので、ウッカリ見落とすところ。戒名が遊道花楽居士(イキな名前でしょ?)だと知っていたから良かったものの…
あとで調べたら…このお寺には忠治親分の片腕が保存されていたンだそうです。以前、忠治が処刑された大戸で、ブキミなお墓を見ましたが(^_^;)処刑された忠治の片腕を、ある女性がヒソカに盗み出し、このお寺に預けたンだとのこと。この話は満更ウソでもないようで…小説家の長谷川伸や尾崎士郎も、忠治の片腕を見に訪れたとか。ただ残念ながら、その片腕は戦災でお寺ごと焼けてしまい、現在はお墓だけが残っているという…せっかくなので、ついでに国定村のお墓へも、チョッと
行ってみることにしました(^o^ゞ
コチラが、忠治親分にも源義経にもゆかりがあるという、旧国定村の養寿寺。
本堂から墓地へ…
コチラには、雲を突くようなリッパなお墓があります。
でもホントのお墓はコチラ。ギャンブラーがカケラを持ち去ろうとするので、鉄製の柵がしてあります。
真新しい塔婆があったので、戒名を見てみると…コチラも花楽居士!となってました。
以前に訪ねたときは、チョッと荒れ果ててる感じだったンですが…
いまはキレイになって、長岡家(本名は長岡忠治)の、真新しい碑が建ってました。
コレを読むと、ご先祖様に誇りを持っているのが、よくわかります。
タダ残念ながら…全国に名を馳せた、上州の国定忠治大親分も…いまは知ってる人も少いだろうなぁ…( ̄~ ̄;)