ここは安中市下秋間の桂昌寺というお寺サン。通りがかりに、まるで竜宮城みたいな、鮮やかな真紅の山門や鐘楼らしきものが見えたので、
フラフラと寄ってみました。
立派な石垣に、美しい山門(///ω///)♪
彫刻の鬼みたいなのは…ヤッパリ魔除けなンだろうか?
思わずホレボレと眺めてしまう…
内部には…天井画がある!残念ながら、ほとんど剥げちゃってるけど…
その下には…豆画伯の作品が(^_^;)
さて本堂へ…
コマ犬は…尻尾を振りそうでカワイイ(^_^)v
コチラの鐘楼の鐘は、戦時中の供出を免れた…とある。
しかも…安中藩二代目藩主の井伊直好の奥方様の菩提を弔うために、鋳造された物だそうな。知らないで立ち寄ったけど、ここは井伊家ゆかりの場所だったンですネ。
ここでフト疑問に思ったンですが…いま大河ドラマの「女城主直虎」では、三浦春馬サン演ずる井伊直親が家督を継ごうとしています。(イケメン俳優は基本的にキライなンですが、この人は井伊!ですネ)
このあと、直親は戦で亡くなり、柴崎コウさんの直虎が井伊家を継いで、モト彼の忘れがたみである直政を養子にするはずです。
直政は父と養母の良いところを受け継いで、勇猛果敢な武将に成長し、家康のもとで四天王ともいわれる重臣となります。最初は箕輪から高崎へ移り、関ヶ原の戦いで先陣を切って手柄を立て、彦根へ栄転します。
その直政の子孫が安中藩というのは…どうも解せません( ・◇・)?
安中藩の武家長屋や郡奉行のお屋敷は、何度も見学しましたが、とても貧しい感じだったし…
中仙道の宿場だった安中藩では、参勤交代の大名行列が通るたびに、決められた数の人足や馬を用意するはずでしたが、貧しさのために揃えることができず、半分にしてくれるよう幕府に嘆願したというくらいですから…彦根から安中では、明らかに左遷!ですよね( ̄~ ̄;)いったい井伊家に何があったのか?
そこで調べてわかりました。
直政の長男の直継は病弱だったために、しっかりと藩内をまとめることができず、家臣の間で内部抗争が勃発。怒った家康は、家督を次男の直孝にゆずらせ、直継を安中へ追いやった…ということらしいです。ただし、井伊家譜代の家臣達は、あえて直継とともに、安中へやって来たとのこと。井伊家の直系は、主君も家臣も彦根より、この上州に残った!ということです!( ̄- ̄)ゞ何だか…ウレシくなってきちゃったなぁ\(^_^)/
ところで、まったくの余談ですが…この井伊家の家臣で安中市の簗瀬(やなせ)から出た一族があります。
その子孫の方が、自動車の輸入販売業を始めて、大成功を収めたとか。
そうです!「イイ物だけを世界から」のCMで有名なアノ…ヤナセなンですってネ!もしかして…イイは井伊に描けてるとかΨ( ̄∇ ̄)Ψ
それはないと思うけど…もうすぐ観梅の季節。梅の花が開いたら、ぜひ箕輪のお城にも出かけてみたいと思いま~す!\(^o^)/