お城のデータ
所在地:米原市(旧坂田郡米原町)枝折町 map:http://yahoo.jp/dpAd_x
別 名:土肥城
現 状:山林
区 分:砦
築城期:室町期
築城者:土肥氏
遺 構:堀切・土塁・曲郭
標 高:190m 比高差:50m
駐車場:集落の手前のグランドに
訪城日:2015.4.12・2017.12.10
お城の概要
鉄塔で壊された砦
正福寺林蔵坊は南側の山裾に位置する。正福寺東側から城道に入り、尾根に出て左手へ尾根筋を10分程登ると城(砦)跡に至る。城(砦)跡の立地が集落の背後であることから、在地領主の詰城(砦)か?。
林蔵坊は、綺麗に手入れされた庭を通り、城道を下りてきた。
正福寺横から城道を登る
中腹の削平地(西へ正福寺・林蔵坊の上まで)
歴 史
枝折城は、小字造座の一小山にあり、城主が土肥六郎左衛門実勝とされ、源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末葉で、足利尊氏の世に近江・美濃の野武士を平定して功があり。
土肥六郎左衛門実勝とされ、源頼朝の家臣土肥次郎実遠の末葉で、足利尊氏の世に近江・美濃の野武士を平定して功があり。
箕浦庄の地頭として下向した御家人とされ、番場・多和田・醒井に分住し、箕浦庄の三土肥と称した。
『土肥八人衆・土肥八軒衆』は、醒井(醒飼)氏・野瀬氏・江籐氏・野勢氏・池田氏・ニ国氏・籾居氏・堀氏の八軒を云う。
このうち「醒井殿と称する系統が枝折に住しており、とある」であったとされる。
『淡海国木間攫』には、「坂田郡 枝折村 往古土肥次郎居城セシ事有ト云、其譜代ノ臣池田氏・江龍氏・能勢氏ノ姓名ノコレリト聞、」と記す。
鉄塔に向け頂部、土肥城へ
林蔵坊へ←下りる
林蔵坊正福寺の背後に。
カーブミラーを右へ八幡神社から遠望・・・正福寺・鉄塔八幡神社地蔵堂駐車位置(グランド)
2017.12.10再訪
枝折城より、枝折砦・林蔵坊へ
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/962526550576587
山麓館か跡か?
林蔵坊:https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/962704073892168
https://www.facebook.com/osamu.tanaka.5074/posts/962526920576550
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』、『淡海国木間攫』
本日も訪問、ありがとうございました!!