城郭探訪

yamaziro

長野城(中村邸)  近江国(愛知郡・愛知川)

2014年05月08日 | 居館

所在地:滋賀県愛知郡愛荘町長野1170 大隴(だいろう)神社 map:http://yahoo.jp/2hd1ZL

築城者: 恒貞親王(つねさだしんのう) - 平安時代前期の皇族。淳和天皇の第二皇子。

築城期:平安期

城 主:大隴(だいろう)長者・土豪中村掃部

遺 構:堀(用水路)、神社土塁

区 分:居館

訪城日:2014.5.6

御由緒

創祀の年代は明らかでないが、古くは白山権現と称した。淳和天皇の皇子恒貞親王当地に住せられ大隴(だいろう)長者と尊称した。長者当社を篤く崇敬し、神殿、楼門を建立されたと伝えられている。神社附近に御園、大門、蔵の町等長者縁りの地名が残っている。
 
鎌倉時代には近江守護職佐々木氏篤く崇敬し神田、神馬、太刀等を奉納し、又京極氏は神供を献じ、土豪中村掃部、彦根藩の武将も篤く崇敬した。
 
往古例祭は3月己の日に八社の御輿が数日に亘って渡御する大祭礼であったが、愛知川の大洪水で祭組が南北に分離するに至った。天正年間兵火で社殿古文書烏有に帰したが正保慶安年間に本殿を再建、明治11年には拝殿を、同14年には幣殿、渡廊、社務所等を建立した。明治初年社号を大隴神社と改め、同9年村社に列し同14年郷社に昇格、大正4年神饌幣帛料供進指定となる。
 
【御祭神】 伊邪那美命
〔配祀神〕建速須佐之男命 大山咋命 大物主命
【御神紋】左三ツ巴
本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間三尺 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口三間 奥行三間

長野城は、築城年代や築城者など詳細不明。

長野地区 長野城は大瀧神社一帯と比定されているが、城郭遺構はない。

郭遺構はないが、大瀧神社に隣接する藤井本家の酒蔵は、土造りで一見に値する。

歴 史

「愛知郡史」には中村邸址として中村掃部・同宮内少輔の名がみえる以外は、詳細不明。

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、愛知郡史

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