善勝寺
浄土宗 善勝寺 大字山字上ノ山
由緒 創立は慶長年間で、進譽上人開基、文化年間に焼失又文政7年(1824)再建し、当寺は、城之山と号し安土浄厳院の末寺で、明治23年(1890)より京都市智 恩院の未属となった。
東伝寺 大字山字上ノ山
佐々木氏滅亡の際、上山城と共に兵火にあい廃寺となり、その後、浄土宗善勝寺となった。
西側から城址を見る
西側から城址を見る
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所在地 :甲賀市水口町山 maphttp://yahoo.jp/vOyv74
区 分 :丘陵城
現在の状態 :山林遺構 :曲輪・土塁・堀切・櫓台・井戸
築城者 :上村氏
有名城主:上山新八郎 上山徳三郎 田中伝八郎宗秀田中氏
築城時期 :室町時代
訪城日:2014.3.4
上山城 大字山字上ノ山 東の丸は田中勲氏宅の東山土盛約4m内面積1600㎡ 又西の丸は大平宅の西山あり城跡又は物見台。城主は、上山新八郎 上山徳三郎 田中伝八郎宗秀
主郭西側堀切
城主:田中傳八郎碑
子孫の田中家で、郭壇は綺麗に整備・清掃維持されている
背後の丘陵との間に堀切を設けて城域を区分し、東の丸と西の丸からなる複郭式縄張りの城だ。 主郭は西の丸で、内部は三段に分かれ周囲には土塁を設けられている。 東の虎口から土塁に沿って内側に空堀があるがちょっと
東郭から主郭を見上げる
伴谷東小学校の西谷から
山村城は、伴谷東小学校から谷を隔てて真西、南北に伸びる丘陵の先端部に築かれている。
山村城は、背後の丘陵との間に堀切を設けて城域を区分し、東の丸と西の丸からなる複郭式縄張りの城だ。
主郭は西の丸で、内部は三段に分かれ周囲には土塁を設けられている。 東の虎口から土塁に沿って内側に空堀があるがちょっと妙な感じ・・・。
東の丸(副郭)は、西の丸虎口正面に虎口を開き周囲に土塁を設けた構造で、西の丸との間には空堀が設けられていた。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市誌(甲賀の城)
本日も訪問、ありがとうございました