城郭探訪

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大原氏館 近江国(山東)

2013年12月06日 | 館跡

三島池より 

 

所在地:米原市本市場  マップ:http://yahoo.jp/FJFl0f
初城主:大原重綱
区 分 :平城(館)
遺 構 :堀,土塁
城 域 :80m×60m

 

大原氏の館は初代・重綱から始まった大原氏の代々の居館である。館跡は竹林の中に東西約60m、南北約80mにわたって掘と小高く築かれた土塁が残る。


 それにしても、二男高信(高島氏)の清水山城、三男泰信(六角氏)の観音寺城
、四男氏信(京極氏)の柏原城など比べると、この大原氏の館はいかにも小さい。
 佐々木信綱の嫡男でありながら、大原庄しか相続できなかった重綱の無念さが伝わってくるようである。
 なお、この館の地は現在も小字堀の内と呼ばれ、周辺には堀の西、堀の南、中屋敷などの城館に関連した小字名が残っている。

城郭の歴史 

平治元年(1159)平治の乱では平清盛が勝利し、源義朝は嫡男・義平と共に鎌倉へ落ち延びる途中に捕らえられ殺害さた。
当時13歳だった義朝の三男・頼朝は伊豆の蛭が小島に流されたが、治承4年(1180)8月北条時政の力を借りて挙兵した。
 この時佐々木秀義は定綱,教高,盛綱,高綱,義清の五人の子を率いて頼朝のもとにはせ参じ、平家討伐の貢献により、嫡男定綱は佐々木家の旧領であった近江国を領した。


 その後、佐々木氏12代目の佐々木信綱は4人の子に近江を分割して与えた。長男・重綱には大原庄を与えて大原氏を名乗らせ、二男高信には高島郡を与え高島氏とし、三男・泰綱には愛知川以南六郡(志賀,甲賀,栗田,野洲,蒲生,神崎)を与え六角氏とし佐々木宗家を継がせた。四男・氏信には愛知川以北の六郡(愛知,犬上,坂田,浅井,高島)を与えて京極氏とした。

 大原氏は名門佐々木氏の流れを汲むことから室町時代には将軍の奉公衆に列していたが、11代政重で大原氏の血脈は絶えた。12代,13代と六角氏から入嗣し大原氏の存続を図ったが、骨肉相食む戦国期になると、大原氏の領地は京極氏、浅井氏の領地に次第に組み込まれ、大原氏は滅亡した。

 遠景

 

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