城郭探訪

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葛木(かつらぎ)館   近江国(甲南)

2014年10月03日 | 居館

お城のデータ 

所在地:甲賀市 (旧甲賀群)甲南町葛木字御手洗      map:http://yahoo.jp/E15wr7

現 状:水田・県道

区 分:平城

築城期:室町期

築城者:葛木氏

城 主:葛木氏

遺 構:圃場整備で消失

目標地:西川ローズ工場

駐車場:路上駐車

訪城日:2014.10.9

お城の概要

 葛木居館は、甲南町葛木のうち、集落の北方に広がる田園地帯にあったとされる。
甲賀市史によると、明治初期に作成された絵図には、すでに水田地帯ではあるものの、堀の名残りと思われる帯状の田地に取り囲まれた東西約65m×南北約40mの区画(堀を含む)が描かれており、この地に城館を推定している。

ただ比定地は、北側に広がる丘陵地の麓に位置し、近世以前に築く単独城館の立地とは考えづらく、丘陵上にあった詰城に対する居館なのではないかと想像する。

歴 史

 在地土豪である葛木氏の居館だとされる。
『太平記』にみえる、正平15年(1360)近江佐々木勢に対抗するため、伊勢・伊賀勢の仁木義任が陣取った「葛木山」がこの一帯にあったとする説もある。

甲賀五十三家の一つに、葛木丹後守名が見える。葛城家 甲賀市甲南町葛木 字が異なりますが同義語。

 近江の地誌『近江淡海温故録』によると、甲賀武士は、累代本領を支配し、古風の武士の意地を立て、過奢を嫌い、質素を好み、大方小身故に地戦計りに出つ。然れども一分一並の武勇は嗜み、故に皆今の世迄相続し、家を失わず、国並みの家々とは格別の風儀なり。世に甲賀の忍の衆と云うは、釣の陣に神妙の動あり。日本国十の大軍眼前に見及び故、其以来名高く誉れを伝えたり。元来此の忍の法は、屋形の秘軍亀六の法を伝授せし故なり。其以来、弥鍛錬して伊賀甲賀衆誉多し、甲賀五十三家の目あれど、其家詳ならず伝々。

 甲賀は都に近く情報が入りやすわりには、山間部にあり、そして常に合戦に関ってきた経験は、後の世に「甲賀者」呼ばれる、「忍者」に発展する素地を備えていたものと思われます

居館城の詰めカ(居館比定地の背後の山)

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、甲賀の城 、 日本城郭大系  

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