城郭探訪

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攻略 浅井・朝倉軍へ【堅田歴史同好会 壺笠山城見学会】2012.11.27

2012年11月27日 | 戦国山城

今回から、縄張りや鳥瞰図は著作権に配慮して最小で!石坂線穴太駅で打合せ・参加者点呼・資料配布

ここから、白鳥越え古道へ

振り向けば、琵琶湖。車の時は、ここに10台位(墓地駐車スペース)

穴太野添古墳で最初のレクチャー(休憩兼ねて)

いよいよ、白鳥越えの林道に・・・

振り向けば、琵琶湖が・・・山の神神社石仏様。

いよいよ、浅井・朝倉軍陣地へ

攻め登ります。

最初は青山城(忠兵衛山)・・・山頂の本丸櫓跡

 

続いて【壺笠城】へ攻め上がります!

いよいよ大手虎口へ西虎口壺笠山頂(421m)主郭跡・・・昼食(征服の記念にmy poleと)

方位計が         主郭でのレクチャー・・・・此処は講師の長谷川氏は、気合が入って詳しく説明!

東虎口を下り犬走り・・唯一琵琶湖ビュー木立の間から堅田・坂本(当時なかった琵琶湖大橋が)

西虎口石垣石垣

 

続いて、神興山城へ

神興山(420m)主郭跡でレクチャー「白鳥越えで山城で、最も石垣や竪堀が残る、主郭狭く危険。全長200mもあり、壱壺山城の一部とも考えられる。

 

 

攻略後、撤収が始まりました

後で調べたが・・・。

壺笠山城は織田信長と対峙した朝倉・浅井連合軍が拠った城址で、近江から京の一乗寺に通じる白鳥越の道を押える位置にある壷笠山山上に構えられたものだ。

山上には近江最古級の前方後円墳があったといい、城址は古墳を改造して構築されたようだ。

城址へは(京の一乗寺から一本杉・東海自然歩道を経て穴太に抜ける山道)を、城址へ。

主郭を取り巻く帯曲輪に足を踏み入れると、足元には石が散乱、切岸の一部には石垣が残っている。主郭は雑木と藪に覆われ、ほとんど眺望はきかない。城域は思った以上に小ぶりで、この程度の城を山麓からかなり隔たった山上に築く必要があったのかと首をひねるところだ(3万騎の大軍で)。浅井・朝倉勢は、比叡山上に陣取ったとき比叡山の各所に城砦を構えた。

壺笠山城は山麓に陣取る織田勢の動きを察知し、各城砦に通報する任を担っていたようだ。壷笠山などに陣した浅井・朝倉軍は、宇佐山城を攻め守将の森可成を討ち取っている。その後、朝倉・浅井連合軍が滅亡したのち、壺笠山城は明智光秀の支配するところとなり、現在残る石垣は光秀によって修築されたものと伝えられている。

正面対岸に、【近江富士=三上山】を眺めながら・・・穴太駅へ、唐崎駅へ

 

本日の歩数 20,651歩   3時間55分    14.4km

消費カロリー 627.5kcal    脂肪消費量 89.6g

 参考資料:滋賀県中世城郭分布調査・大津の城・見学会レジュメ

今日も訪問して頂きまして、ありがとうございました。


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