城郭探訪

yamaziro

・鴨稲荷山古墳

2013年06月17日 | ブロガーによる歴史探訪情報発信

 

 湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳。明治時代に、後円部の横穴式石室から家形石棺が見つかり、豪華絢爛な副葬品が出土した。大陸との交流をもった地域の王が葬られたとみられる。

JR近江高島駅の北約4kmの鴨川右岸に広がる沖積地に位置する古墳。古墳時代後期のもので、湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳です。現在は、家形石棺のみ現地保存されています。古墳の全長は埋没周湟を含めて約60mと考えられます。明治時代に、後円部から横穴式石室と刳抜(くりぬ)き式家形(いえかた)石棺が掘り出されました。また、石棺内から、金銅冠(こんどうかん)・沓(くつ)・魚佩(ぎょはい)・金製耳飾・鏡・玉類・環頭大刀(かんとうたち)・鹿装大刀(ろくそうたち)・刀子(とうす)・鉄斧(てっぷ)などの象豪華絢爛な副葬品が発見されました。のちに、これらの副葬品は、朝鮮半島の新羅王陵の出土品とよく似ていることがわかり、この古墳の被葬者や場所と大陸との交流関連について、様々な興味と話題を呼んでいます。

鴨稲荷山(かものいなりやま)古墳(近江の三尾氏を葬ったとされる古墳)

 彦主人王が別荘を持っていた近江国高島郡三尾にいた豪族といわれる三尾氏の墓と推定されています。
 鴨稲荷山古墳は鴨川の右岸に位置し、近くには鴨川に掛かる天皇橋や志呂志神社があります。
 当初は稲荷塚と呼ばれていましたが、東側を通る街道が県道に昇格した際の改良工事で、盛土が土取りされた際、墳頂から棺の中身が朱で真っ赤な石棺が現れて大騒ぎになりました。明治35年(1902年)のことでした。
 その後、大正11・12年(1912・13年)に京都帝国大学による調査が実施された結果、後円部に横穴式石室があり、その中に二上山の白色系の凝灰岩を棺材にした家形石棺が納められており、石棺の外面もベンガラで塗られていたことが判明しました。石棺内には、金銅製の冠や沓(くつ)、魚佩(ぎょはい)、金製耳飾、鏡、刀子(とうす)、鉄斧(てっぷ)といった豪華な副葬品が納められていました。朝鮮半島の新羅王朝の出土品と類似しており、被葬者は大陸との交渉に明るかったと考えられています。

 データ
  • 墳形/周濠を巡らせた中規模の前方後円墳。帆立貝形とする見解もある。                                                            規模/全長約45m、後円部径約23m、高さ約5m、前方部長約23m
  • 時期/6世紀前半
  • 高島市鴨
    地図を見る
  • アクセス/JR湖西線「近江高島駅」下車 車5分
所在地:滋賀県高島市鴨 【地図(GoogleMap)】                                                                  アクセス:JR湖西線「近江高島駅」下車 車 5 分

 

「鴨稲荷山古墳」というのは、三尾の豪族彦主人王(ひこぬしのおおきみ)の墓と伝えられ、明治の中頃、金の王冠と装飾品のたぐいが出土した。
白洲正子が愛した近江『近江山河抄』より

鴨川の南側に位置する古墳で、古墳時代後期の前方後円墳。後円部からは、横穴式の石室と石棺が掘り出された。内部から発見された豪華絢爛な副葬品の内容から、新羅王陵との関連が指摘されている。

住所: 滋賀県高島市鴨
お問い合わせ先:
アクセス: JR湖西線安曇川駅よりバス宿鴨下車徒歩5分
団体・バス受入: 否

 

 

参考資料:パンフレット各種・現地説明板・専門員のガイド説明・PCホームページ・blog 等々

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