中仙道絵図の「地頭山城」
今回は、番場宿(番場バス停)から、地頭山城の南側から(大手は東側、三吉・日吉神社裏から)直登した!
お城の概要
別 名:鎌刃表の城
所在地:米原市三吉城・寺倉町 (旧坂田郡米原町・近江町) map:http://yahoo.jp/F1IjmT
現 状:山林
区 分:山城
遺 構:曲輪・土塁・堀切・竪堀
築城期:南北朝期カ
築城者:浅井氏ヵ
城 主:堀 秀村 (三吉の門野城の詰め城カ?)
標 高:249m 比高差:130m
面 積 : -
戦 い:天文22年(1553) ○六角義賢VS ●浅井久政
訪城日:2014.6.4
炭窯跡カ
熊の爪跡
約20分ほども登ると、10m×10m程度の曲輪跡が二つ、10m×15m程の曲輪跡が階段状に続く。
主曲輪部は東西40m、南北15~20mほどの広さがある。周囲に土塁はないが、50~70cmの高さに土壇幾つかあり、郭・櫓跡カ。
主曲輪の西端に鉄塔があり、ここを起点に北へ尾根が続く。この尾根にも約30m×10m程度の曲輪跡が認められる。この曲輪跡の手前(南側)と北側に堀切があり、なだらかな尾根の防御をしている。
歴 史
天文22年(1553)地頭山合戦で敗れた浅井氏は六角氏に和議を乞い、それ以後、六角氏に対して服属的な立場をとることとなり、浅井久政の嫡男猿夜叉(後の長政)に六角義賢の"賢"をとって賢政と名乗らせられ、六角氏の家臣平井加賀守定武の娘登代を妻に迎えさせられることになる。
標高249mの地頭山山頂(鉄塔下)からは、東に中仙山道(樹木で見えないが)、西は太尾山城、中山道、菖蒲嶽城・番場城・鎌刃城を、北は天の川を隔てて箕浦街道・顔戸山砦を望む要衝の地、「鎌刃表の城」とも云い、後には堀氏が居城となる。
狼煙リレーの備品
地頭山城への登り口は幾つかあるようだが、三吉地区の日吉神社本堂裏手から登る。この道は山頂から延びる東尾根の急斜面を直登する。 道筋には、関西電力が打ち込んだ頭の青い杭が一定間隔で山頂まで続いているので目印になる。
地頭山城(遠景)南東高速道路下より・・・オレンジの線は右より登城・左へ下城!
参考資料:『滋賀県中世城郭分布調査』 、淡海の城
本日も訪問、ありがとうございました。感謝!