城郭探訪

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万木(ゆるぎ)陣屋(東万木城)     近江国(安曇川)

2016年05月18日 | 陣屋

万木陣屋

お城のデータ
所在地:高島市(旧:高島郡)安曇川町青柳(旧:東万木)   map:http://yahoo.jp/l9tcaq
別 称:東万木城
現 状:集落・宅地
区 分:陣屋・平城
築城期:織豊期
築城者:万木能登守高成
遺 構:不明
目標地:日吉神社
駐車場:日吉神社横に駐車
訪城日:2016.5.15
お城の概要
安曇川町万木は西万木と東万木(現:青柳)の2つ集落で形成する。
  万木陣屋は東万木(現青柳)での聞き取り調査の結果、牢を伴なった施設があったとか、代官屋敷があったとかの口伝もみ、中世城郭の資料は無く、詳細不明。 
 万木は、現在安曇川町大字西万木と大字青柳(旧:東万木)にあたる。西万木には、中世城郭と関係する可能性の小字名「今城」「備後城」「殿馬場」などがあるが、地名以外に資料は無く詳細不明。また、東万木「現青柳」には、「城ノ腰」の地名が残る
お城の歴史
『佐々木南北諸氏帳』には、「高島郡 東万木城主 佐々木高島末 万木能登守高成」と記す。
高島硯「高島の地元に残る伝承では、天正年間、信長の比叡山焼打ち(元亀2年(1571)の際、万木(ゆるぎ)に逃れた万木城主能登守高成の末孫五郎右衛門貞次が阿弥陀山で中国製硯の原石に類似した粘板岩をみつけ硯にしたのがはじまりとされている」と、記されていた

なお、青柳(東万木)の徳正寺は『高島郡志』によれば、開基は、中村五良左衛門は、万木城主能登守高城の末裔で朽木氏仕え、天正の兵乱に本願寺蓮如に帰依し同寺を創建したいう。(滋賀県中世城郭分布調査8(高島の城)の解説)

 與呂伎神社の由緒には、東西の万木は、往古はことごとく森であり、清少納言の枕草紙に、「よろづになつかしからねとゆるぎの森にひとりは寝じとあらそふらんこそおかしけれ」と書くのも、ここの森のこと。鶯の森とも呼ばれていたようだ。 現在も社叢にはその森のイメージが残っているように見える。濃い。
   
    
  • 境内社
    • 秋葉神社(祭神…火結神)
    • 天満神社(祭神…菅原道真公)
    • 稲荷神社(祭神…忠茂大神、武丸大神)
  • 境外社
    • 太田神社…祭神は太田神、宇須賣命。かつては「新宮」と称した。式内社論社。
    • 與呂伎神社…祭神は子守神、勝手神。かつては「古守社」と称した。式内社論社。
    • 八幡神社…祭神は誉田別命、厄神、玉垂神、香椎神。建治3年(1277)の創建という。
    
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査8(高島郡の城)、 遺跡ウォーカー、與呂伎神社の由緒、一乗学アカデミー
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