城郭探訪

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・長命寺

2013年09月09日 | ブロガーによる歴史探訪情報発信

書院春蘭

不老長寿の「むべ」

 6番に歌われる長命寺に建立「琵琶湖周航の歌」歌碑(11年11月10日配信『滋賀報知新聞』)

   「琵琶湖周航の歌」の六番の歌詞が刻まれた歌碑の除幕式が、歌詞に登場する近江八幡市長命寺町の長命寺であった。

  歌碑は、香川県産庵治石(高さ約130センチ、幅約180センチ)で、「西国10番(実際は31番札所) 長命寺 汚れの現世(うつしよ) 遠くさりて 黄金(こがね)の波に いざ漕がん 語れ我が友 熱き心」のフルコーラスが刻まている。夕暮れには黄金色の琵琶湖の波を臨むことができる境内の一角に建立された。

  6番の歌詞があまり知られておらず、長命寺港近くに建つ石碑はフルコーラスではないことから、桜宮町の会社役員、深尾勝義さん(68)が、ニューヨークを中心に活躍するジャズ歌手の長女・多恵子さん(37)が昨年発表した5枚目のアルバム「声 VOICE」に収録した「BIWAKO」(琵琶湖周航の歌 日本語と英語バージョン)が全米で注目を集めていることを機に、寄進した。

  深尾さん父娘らによる除幕に続いて、多恵子さんがアカペラで英語バージョンの「BIWAKO」を歌い上げ、歌碑建立を祝った。

 

 長命寺はかなりの高所にあるので境内から琵琶湖を見渡すことができる

秘宝曼荼羅http://www.miho.or.jp/booth/html/artcon/00002401.htm

http://www.shigahochi.co.jp/info.php?id=A0002140&type=article

近江八幡市長命寺町の穀屋寺の倉庫から、「長命寺参詣曼荼羅(まんだら)」三点、「熊野観心十界曼荼羅」二点、「古文書」千点が、このほど発見された。
 穀屋寺は、長命寺の米穀出納のほか、災害や兵火によって失った寺の再建・修復のために各地を巡って浄財を集める勧進(かんじん)を担当した寺で、越前国織田(現・福井県越前町織田)出身の春庭慈芳尼(しゅんていじほうに 一四九二―一五四七)を中心とする勧進聖(ひじり)集団による勧進活動の拠点となっていたと思われる。長命寺は、永正十三(一五一六)年に兵火で本堂など主な堂舎が焼失している

 「長命寺参詣曼荼羅」はこれまで長命寺と個人所有の二点が知られていたが、今回、同一場所(木箱)から同時に三点が発見されたのは画期的。

 また、「熊野観心十界曼荼羅」二点といっしょに、同じ木箱に五点とも折り畳んだ状態で納められていた点で通例掛け軸などに仕立て直されて発見されるのがほとんどであるのに比べても珍しく、使用状態を物語るものとしても意義は大きい。さらに、七点もの曼荼羅が一つの寺で見つかるのも全国的に珍しい。
 「長命寺参詣曼荼羅」には長命寺の本堂や三仏堂、三重塔の建物や参詣者のにぎわいなどが克明に描かれており、勧進聖などが絵解きをしながら寄付を募った。

今回発見したものは戦国時代末期、江戸時代中期、同後期の作とみられる。大きさは縦約百五十五―百六十センチメートル、横約百六十―百八十センチメートル程度。
 「熊野観心十界曼荼羅」は全国で六十数点が確認されているが、「那智参詣曼荼羅」とのセットで発見されることが多く、今回のようにそれ以外のものとのセットも珍しい。
 上から、人の人生(老いの坂)、仏界、「心」の文字、中心部に亡者の救済をあらわす施餓鬼法要(せがきほうよう)、下部に地獄界が描かれるが、今回発見のものには仏界に、阿弥陀(あみだ)、薬師、釈迦の三仏が描かれており、通例一体の仏であることから考えて特徴的といえる。
 古文書で、兵火の翌年(永生十四年)に出された「長命寺勧進状」(一巻)は、穀屋寺の役割の大きさをうかがい知ることができる。

http://saikoku33.gr.jp/31/index.htm

三重の塔のこけら葺の再生事業~H263.31の説明

御詠歌:八千年(やちとせ)や柳に長き命寺(いのちでら)運ぶ歩みのかざしなるらん

Chomeiji Temple 長命寺 近江守護佐々木定綱(さだつな)が戦死した父の菩提を弔うために

                             

 太郎坊大権現社への道境内の西端に「太郎坊大権現社」及びその「拝殿」がある。左の写真はそちらに向かう参道である。

 太郎坊大権現社 左の写真で手前左側にある建物が「拝殿」、写真右上に見えるのが「太郎坊大権現社」である。

 ここには長命寺の修行僧で空を飛んだり、風雨を呼ぶ霊力をつけ、後に京都の愛宕山に移り住んだと伝えられている太郎坊を祀っている。愛宕山の太郎坊は神として信仰の対象となる大天狗の名がついている。

 

 

 

 

ドライブウェイから

 

長命寺山ハイキングコース入口

ドライブウェイから水茎岡山城

日吉神社

長命寺への案内

門前町

歴史

琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る800段余の長い階段で知られる。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島宝厳寺から船で長命寺に参詣した。

伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願した。                                            このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられる。                                                                                      その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げた。                                                                                    太子は早速、十一面観音を彫りこの地に安置した。太子は宿禰の長寿にあやかり、当寺を長命寺と名付けたと伝えられている。その名の通り、参拝すると長生きすると言い伝えられている。

実際の創建年次や創建の事情については未詳であり、確実な史料における長命寺の初見は、承保元年(1074年)3月2日付の「奥島庄司土師宿禰助正解文」(おくしましょうじ はじのすくねすけまさ げぶみ)という文書である。

長命寺には中世以降の文書が豊富に残されている。                                                                                  それによると、中世の長命寺は比叡山(延暦寺)西塔の別院としての地位を保ち、近江守護佐々木氏の崇敬と庇護を受けて栄えていた。しかし、永正13年(1516年)、佐々木氏と伊庭氏の対立による兵火により伽藍は全焼。

現存する堂宇は室町時代から近世初期にかけて再建されたものである。

 

 

参考資料:パンフレット各種・現地説明板・専門員のガイド説明・PCホームページ・blog 等々

本日も、訪問ありがとう御座いました!


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