城郭探訪

yamaziro

高嶺東谷城  近江国(甲賀)

2014年07月14日 | 丘陵城

所在地:甲賀市甲賀町高嶺小林・美濃谷(旧:甲賀郡甲賀町高嶺) map:http://yahoo.jp/CM4Fgz   

目標地:

区 分:丘城

  比高差:40m

現 状:山林

遺 構:郭・土塁・堀切

築城期:戦国期

築城者:高峯氏

訪城日:2014.7.12

お城の概要

高嶺東谷城は、下から見上げれば綺麗に草刈りをされて、地主さん許可得て登城したのですが、主郭は、ブッシュで確認出来ず。

主郭の東南隅を覗いて、土塁の下部に・・・堀切を確認出来たが・・・冬に再度確認をしよう。

甲賀市史(甲賀の城)によれば40m×45mの主郭であったが、開墾で西側改変されている。南と東に土塁は残る

平場(副郭)Ⅱは、土塁痕が西る側に残削平地で、今は果樹(梅・栗)園に。

甲賀町高嶺地区の東谷集落の東背後に東から西に張り出した丘陵の先端部に築かれている。

縄張りは、丘陵の頂部に東西約40m、南北約45mの主郭を置き、北西側と南西側下方に副郭を構えている。

東側は丘陵続きで堀切を設け遮断している。

主郭は四囲を土塁で囲繞していたが、東面を除き殆ど削り取られ、南面は微高地が、北面と西面は断片の土塁が残る程度となっている。

北面中央に開口しているが、北から一直線に山道が開口部に繋がっており、虎口の可能性が低いように思われる。

城跡全体が笹や立木に覆われ、堀切へは近ずくことも出来ず、また、副郭の平坦地は、後世の開墾カ。

歴 史

この高嶺の地区六城(高嶺北城・高嶺中城・高嶺東谷城・伊賀見城・高嶺山城・高嶺南城)の本城と考えられる城で、高嶺氏の城砦郡であり、高峯蔵人の城と言われます。高峯氏は伊賀との国境を守るため、六城を構築したようですが、それ以上の詳細な史料はないようで、天正年間に滅びたとされるようです

高嶺東谷城 南より遠景

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、甲賀市史(甲賀の城)、淡海の城

                          本日も訪問、ありがとうございまし た!!。感謝!!


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