旅とエッセイ 胡蝶の夢

ヤンゴン在住。ミラクルワールド、ミャンマーの魅力を発信します。

今は、横浜で引きこもり。

小氷河期の江戸

2016年12月11日 18時18分17秒 | エッセイ
小氷河期の江戸

 江戸時代の冬は寒かった。雪は今よりずっと多く降った。歌川広重の『日本橋雪晴図』を見ると、江戸の街が雪に埋もれている。富士山はふもとまで真っ白だ。『江戸近郊八景之内、飛鳥山暮雪』、『江戸名所、隅田川雪見之図』、まるで雪国の光景だ。いかにも寒々しく人が歩く。
 赤穂浪士の討ち入りも、桜田門外の変も雪が降っていた。1773年(安永2)、1774年(安永3)、1812年(文化7)の冬には隅田川が結氷した。大坂では1822年と1824年に淀川が氷結、1822年2月には江戸品川で2mの積雪があった。
 機密性の悪い木と紙で出来た家に住み、布団は無く、暖房といったら火鉢くらいしかないのだから、江戸時代の冬の寒さは身に沁みたことだろう。布団は国産の綿花が高価なため、花魁と豪商くらいしか持っていなかったのだ。武家も町人も掻巻(かいまき)を着て寝ていた。以前書いた「布団の話」を見返して欲しい。
 江戸時代の寒さは、日本だけの現象ではない。14世紀半ばから19世紀半ばにかけては、世界が寒冷な小氷河期に入っていたんだ。スイス・アルプスの氷河は低地へと広がり、テムズ川やオランダの運河はしばしば凍結し、1780年の冬にはニューヨーク港が凍結して、マンハッタンが地続きになった。アイスランドの人口は半減し、グリーンランドのヴァイキング植民地は全滅した。年々寒くなる時代に、人間の努力は実を結ばない。
 日本においては、東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、それを原因とする農村での一揆が頻発した。それが幕府の権力基盤を弱くした一因となった。また1707年(宝永4)に富士山大噴火、1775年(安永4)に三原山噴火、1779年(安永8)に櫻島大噴火、1783年(天明3)に浅間山の大噴火が起きた。火山灰は日射を遮り、数年に渡って気温の低下をもたらすことがある。天明の大凶作、天保の飢饉、生きるのが辛い時代であった。
 それでも庶民は、季節に応じて花見、月見、虫聞き、菊見と共に雪見という楽しみを見出している。1850年代に入ると、世界の気温は温暖化に転じた。小氷河期は終わった。現在の地球の気候は、地球規模では短く、人間の歴史としては長かった小氷河期からの回復の途上にあるようだ。とはいえ、現代の地球規模の環境破壊は未曽有のものだ。今までの経験則では予測出来ない時代になった。気候は数百年といった割と短期間に変動するものなので、今後必ず温暖化の方向に向かうとは限らない。数百年前の寒い時代に逆戻りする可能性だって、無きにしもあらずだ。

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