月乃和熊(ツキノワグマ)のささやき

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零式艦上戦闘機(45) 航空母艦

2014-06-14 12:00:00 | 航空機・船舶(軍艦・機)
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零式艦上戦闘機(45) 航空母艦 

零戦の正式名称は『零式艦上戦闘機』というだけあって、そもそも海軍の航空母艦に搭載して、遠隔地の敵地を攻撃するために作られた戦闘機だ。

太平洋戦争が開戦したころは、アメリカも日本も訓練艦を含めて空母を9隻づつ保有し、戦力も拮抗していたようにみえた。

日本の空母は、全ての搭載機を艦内に格納するように運用されていたので、零戦、艦爆、艦攻の合計の搭載平均数は70機程度だが、アメリカの空母は甲板にも係止して極限まで搭載数を増やしていたので、搭載機数は100機以上。

搭載機にも工夫があり、零戦は12メートルある翼幅を左右50センチづつ折り曲げて格納したが、アメリカのグラマンF4Fワイルドキャットは、主翼を根元から折り畳んで格納することができたので、必然的に多くの戦闘機を搭載することができた。

日本の造船技術は明治以来の努力が実り、艦艇の建造能力は世界水準であったが、これが開戦と同時に凄まじい工業力との戦いになった。
まさに山本五十六が恐れた『アメリカの底力』を見せつけられ、そもそも資源の乏しい日本は苦境に陥っていく。

日本は終戦までに、新たな正規空母を6隻しか就航させることができなかったのに対し、アメリカはエセックス級の正規空母24隻、インディペンデンス級の軽空母9隻、合わせて33隻も就航させた。

日本は世界に先駆け有事の際には商船を徴用して空母に改装し、『特設空母』として運用するアイディアを持っていたが、実際に就航できたのは、わずかに7隻。

アメリカも似たような発想があり、考え方は実にダイナミックだ。
1937年にアメリカ海自委員会が組織され、標準設計企画が定められた。

標準設計とは、客船、貨客船、貨物船、油槽船などをすべて同じ規格で建造し、有事の際には徴用して短期間で軍艦に改装するというもので、早々と97隻も建造された。

また1939年には同じ規格の船を毎年50隻つづ就航させ、10年間で500隻の船を揃える計画を立てた。

さらに、あらかじめ空母化に必要な船の部分部分を”ブロック化”し、分割して組み立てることで改装の手間を省き、短期間で軍用艦艇、空母を就航させるという極めて合理的なアメリカ的な発想だ。

これによって、開戦時に保有していた数を合わせても、終戦までに日本海軍が就航させた空母25隻に対し、アメリカ軍は実に日本の5倍!
大小合わせて127隻もの空母を就航させたのでありました。

零式艦上戦闘機(46) 特設空母と護衛空母 2014-06-21  につづく~
前の記事 零式艦上戦闘機(44) 長官機護衛の6機(7) 2014-06-07

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