先週の日曜日、朝起きて真っ先に目にしたのが、Xでのポリーニの訃報。
その瞬間の私の脳内、、、というのが1分くらい続いたかな。最近は体調が良くないというのを聞いていたので、年齢(享年82歳)も年齢だし、そのときは来るのも遠くないんだろう、、、とは感じていたけど、ちょっと心構えしていたより早かった。
嗚呼、もうこの世にいないんだ……と思うと、とにかく寂しい。生まれ育ったミラノで最期を迎えられたのは良かったというべきか。これほどのアーティストなのに、小澤征爾が亡くなったときはあれほど大騒ぎしていた日本のTVニュースでは、扱いはほぼ皆無、イタリアでもあまり報道がないというのが哀しい。葬儀はスカラ座で行われた。シャイーも参列していた様子。
来日は、18年のリサイタルが最後で、このリサイタルは聴きに行ったが、腕の不調で日程も曲目も変わったという異例のリサイタルだった。正直言って、確かに衰えを感じる演奏で、きっとライブではこれが聴き納めになるんだろうな、と思った。これ以上、衰えた彼の演奏を聴くのは忍びないとも感じたしね、、、。
だからもう聴けないと分かっていたけど、弾けなくても存命しているのと、亡くなってしまったのでは全然違う。
こんなにも喪失感を味わうとは、想定外だった。
(画像お借りしました)おそらく、ミラノ・スカラ座でチェリビダッケ指揮でのデビューコンサート時のもの(曲はショパン協奏曲1番)。チェリビダッケが若い!笑ってる!!
ポリーニの演奏を初めて聴いたのは、高校生のとき、FMラジオの放送を通してだった。音楽もろくに聴かせてくれない母親だったから、勉強している振りをして部屋でこっそりラジオを聴くのが定番だったが、そこで流れて来たのが、ポリーニの独奏によるブラームスの協奏曲2番だった。安物ラジオの最悪なオーディオ環境なのに、あの演奏を聴いたときの衝撃は忘れられない。なんという音!!!
多分、あれは、アバド指揮・ウィーンフィルの録音だったのではないかな。その時点で録音があったのは、その盤だけだったのでは。
その後、大学生になって親元を離れてから、私のCD収集が始まった。今とは違って店で買うしか入手する方法はなかったので、ひたすら品揃えの良いレコード屋を頻繁に訪れては、ポリーニの名を見かければ曲は何でも手当たり次第に購入したものだった。
とにかく、私はポリーニの音が好きだった。触れたら切れそうな、一音一音の明晰さ。粒だったクリアな音。目に見えるんじゃないかと思うほど。それでいて流麗でもあり、ダイナミックでもあり、、、。
社会人になって経済的に多少の融通が利くようになってからは、ライブにも通うようになった。90年代は、まだまだバブルの名残でチケットもなかなか取れなかったが、必死で電話を掛けたり、人に頼んだり、、、とにかくあらゆる手段でチケットを入手した。ショパン、ベートーヴェン、シューマン、ドビュッシー、リスト、、、数えきれない演奏をライブで聴いた。
心残りなのは、コンチェルトを1曲もライブで聴けなかったことかな。チケットが取れなかったので。
彼のエピソードなどを聞くと、かなり神経質で気難しく、人間的にはちょっと関わりたくない感じの人、、、という印象しかない。が、リサイタルで私が見たのは、ファンが舞台下で花束を持って長蛇の列を作っていると、手を目の上にかざして「たくさん並んでるな……!」というジェスチャーをして、一人一人、笑顔で最後の一人まで丁寧に花束を受け取る姿だった。
ポリーニのことを思うと、私の個人的な歴史を振り返ることに等しく、思いはここには到底書ききれない。
私がクラシック音楽をよく聴くようになったのには、間違いなくポリーニの存在がある。
最後に、収集した多くのポリーニのCDの中からベスト1を。演奏が、、、というよりは、このCDこそ、初めて買ったポリーニのCDだから。ショパンコンクール優勝直後に録音されたもので、若きポリーニの鮮烈なショパンが詰まっている。何度聴いたか分からないが、今もまたこのCDをかけながら、この駄文を書いている。
ああ、、、寂しい。ただただ寂しい。