映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

カティンの森(2007年)

2017-05-29 | 【か】



 夫はソ連軍の捕虜となり連れ去られた。それっきり妻(アンナ)の下へは帰ってこなかった。帰ってきたのは、夫が最期の日々を書き記したメモ帳。ある日を境に空白が続くそのメモ帳が訴えるものとは、、、。

 アンジェイ・ワイダ渾身の告発映画。

   
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 7月に海外へ行くことになり、コペンハーゲン→ベルリン→ワルシャワの予定で移動するため、関連する映画を見ている次第。今回は、ポーランド映画。ワイダ監督作は、『ワレサ 連帯の男』に続き(多分)2作目。来月公開予定の『残像』も見たいと思っているところ。

 本作は、公開時から見たい見たい、と思いつつ、結局今頃の、しかもDVDでの鑑賞と相成りました。


◆地図から消えた国

 冒頭のシーンが印象的。こちら側からあちら側に逃げようとする人々。反対に、あちら側からこちら側に逃げてくる人々。双方の人々が橋の上で交錯する。

 こちら側=クラクフ、あちら側=東側ソ連国境。橋=ヴィスワ川に架かる橋。アンナは、クラクフから橋を渡って東へ、大将夫人は東側からクラクフへ。

 大将夫人は、アンナに「クラクフに戻れ」と言う。しかし、東へ行くアンナ。2人の女性が橋の反対側にそれぞれ向かう。どちらも、逃げているのだ。それなのに、逃げる方向は正反対。

 そう、これは、当時のポーランドが置かれていた状況そのもの。この川を境に、独ソ不可侵条約においてポーランド割譲が密約されていたから……。どちらへ逃げても、安住の地には辿り着けないポーランド国民。

 ポーランドの歴史は、映画を通じてかいつまんでいる程度なのでほとんど無知に等しいけれども、地勢的に、両脇をソ連(ロシア)とドイツという、まあ、言ってみれば侵略国家に挟まれて、非常に厳しいものであったことくらいは何となくだが知っている。

 そういう、ポーランドの地理的な宿命を、見事に描いている冒頭のシーンは胸に迫る。この後、アンナたちはどうなってしまうのか、、、。

 そして、この冒頭にもう一つ印象的なセリフが。

 「私はどこの国にいるの?」

 このセリフを言った女性は、作品の後半、ソ連を告発する行動を起こすものの、案の定、ソ連に逮捕され、地下室へ連行される。多分、そのまま生きては帰れなかったんだろうな、、、。

 戦争自体が終わっても、ソ連統治による地獄は終わらなかったという、ポーランド(だけじゃないけど)の抱える不条理がしっかり描かれている。


◆カティンの森事件

 事件については、あちこちのサイトに書かれているけれど、ここでは、wikiにリンクを貼っておきます。

 で、事件を直接的に描写したのは、終盤の15分~20分くらいでしょうか。ほとんどセリフもなく、ただただ淡々とした描写。しかし、その内容は凄惨極まりない。

 その描写の詳細はここでは書かないけれども、あんなことをさせられた加害者側のソ連兵たちにとっても、相当の精神的ダメージではなかったろうかと思う。映画でたった数分見ただけで、これだけのダメージを受けたのだから、実際の現場を体験した者たちのダメージは想像を絶する。

 こういうダメージは、その場では分からなくても、じわじわと低温やけどの様に時間が経ってから症状が出てくるものだと思う。きっと、生きて帰ったソ連兵たちも、苦しんだに違いない。そんな事実は当然のごとく抹消されているだろうが、、、。

 そして、その終盤の凄惨なシーンを見ながら頭の中を駆け巡っていたことといえば、“ソ連は何でこんなことをする必要があったのだろうか?” という根本的な疑問だ。

 虐殺されたのが、ポーランドの知識階級の人々が多数を占めていたことから、国力弱体化を図るため、という解説を目にしたけれども、果たして真相はどうなのだろうか、、、。

 一人ずつ後ろ手に縛り上げて頭部を拳銃で撃ち抜くという、何という手間暇の掛かる殺し方。それを何万回と繰り返したその執拗さ。弾丸1発でも、何万人分ともなれば、決してそこに掛かる経費は安くないはずだ。もっと、安価で簡単に虐殺する方法はあったはずなのに、どうしてそんな執拗な殺し方をソ連は選んだのか、、、?

 しかも、銃殺は屋内で行われ、床に流れた大量の血を、1回1回、丁寧に洗い流すのである。何という、手の込んだ虐殺か、、、。

 この疑問に明快に答えてくれる情報には残念ながら、辿り着けなかった。虐殺の方法に良いも悪いもないものだが、ここまで執拗かつ残虐な手法をソ連が選んだ理由が、私にはどう考えても分からない。


◆映画作品としては、、、

 本作は、ある意味、終盤の15分が全てを語っていると言ってしまっても良いくらい、映画作品としてみれば、いささかバランスを欠く構成だった様に思う。

 登場人物が多いので、それぞれの立場が明確に分からない人もおり、後から何度か見直してみて、何となく分かったように思うけれど、、、。

 アンナが、国境からクラクフに無事に戻れるのも、イマイチ分からないけれども、恐らくその前のシーンでアンナ母娘を匿ったのがソ連の将校で、彼の助力があってのことだと思われる。実際にどんな助力だったのかは分からない。将校がアンナに(命を保証するため)偽装結婚を申し出ても、アンナは頑なに拒むわけで、その後、どうやってクラクフに戻る許可が下りたのかは描かれていない。

 主役は、夫を待つアンナであるけれど、同じように家族を失った人々が群像劇のように描かれるので、それぞれの立場を理解するのに時間が掛かるし、説明不足は否めない。もう少し、登場人物を絞って、視点を定めても良かったのでは、、、。

 とはいえ、ワイダ自身が、この事件の遺族であり、ポーランド人としてこの事件について描くことに執念を燃やしたのは、本作を見れば、痛いほどに分かるので、作品としてバランスが悪くても、瑕疵があっても、それを補って余りある価値が本作にあることは間違いない。

 映画は原則としてはエンタメだと思うが、こういう映画ももちろんアリだし、映画だからこそ出来ることだと思う。

 実話モノは受け止め方が難しいところだけれど、本作については、圧倒的な監督の熱量にねじ伏せられた感じがする。有無を言わせぬパワーに圧倒されるのも悪くない。


 






ソ連はやはり怖ろしい。




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恋に落ちる確率(2003年)

2017-05-18 | 【こ】



 カメラマンのアレックス(ニコライ・リー・カース)は、自分の父親と、恋人シモーネ(マリア・ボネヴィー)の3人で食事を共にした。しかし、店を出る際に、父親が苦手なアレックスは用があるから先に帰ったことにしてくれと言って、シモーネとは駅で会う約束をし、父親が店から出てくる前に立ち去った。

 駅でシモーネに会う前に、アレックスは美しい女性に一目惚れする。その女性は、小説家の夫アウグスト(クリスター・ヘンリクソン)とコペンハーゲンに来たアイメ(マリア・ボネヴィー、2役)だった。シモーネと落ち合ったアレックスは、アイメも乗る電車に乗るのだが、アイメが下車した駅で、シモーネを置き去りにして自分も降りてしまう。そして、アイメと一夜を共にする。

 そこから、アレックスの回りの世界が変わり始める。借りているアパートの部屋はなぜかなくなっているし、アパートの大家、友人ばかりか、自分の父親、シモーネまでもがアレックスのことを「会ったことがない、知らない人」と言うのである。しかし、アイメとの時間は確かなものであり、2人は逢瀬を重ね、遂にはローマへ逃避行しようということになるのだが、、、。

   
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 ややマイナーなデンマーク映画。7月にコペンハーゲンに行く予定をしており、それまでに、ちょっと関連映画でも見るか、ってな感じで見てみたところ、これが案外良かったのでした。


◆これは映画、ただの作り話。それでも心は痛む。

 見出しは、冒頭、マジシャンの映像に流れるナレーション。そして、このナレーションの主は、アイメの夫アウグスト。なので、この映画は、つまりアウグストが書く小説なのかな、、、と思う。ちなみに、このナレーションは、ラストシーンでも流れる。だから、やっぱりアウグストの小説、もしくは妄想、そんなところか。

 ……とか頭を巡るけれども、見終わって思うに、そういう解析はあまり意味がないかな。

 アレックスは、アイメに出会ってから、自分の世界が根底から覆されてしまうのですが、これって、恋に落ちればフツーにあることです。まあ、もちろん、親しい人に「アンタなんか知らない」と言われたり、住んでいた部屋がなくなったり、というのは現実的にはあり得ないことですが、それくらい、いろんなことがひっくり返っちゃうような出会い、ということであれば、不思議でも何でもない。

 アイメとの時間だけは、終盤までしっかりとアレックスにとって現実として描かれており、つまり、アレックスにとってアイメが彼の人生における地軸になっちまった、ってことなのかもね。アレックスはきっと、何かこう、、、生まれて初めて経験する感覚だったんじゃないかしらん、アイメとの時間が。アイメの存在そのものが。きっと彼は、「今、生きてるぞ、オレ!!」という、生の実感を全身に受けたんじゃないかなぁ、と、見ていて思いました。

 そういうときって、家族とか、仕事とか、友人とか、それまでの人間関係とか、一瞬吹っ飛んでしまうではないですか。なんかもう、とにかく、自分と相手の1対1だけの世界にいる感覚。

 そして、そういう感覚は、本当に一瞬であって、持続しないものなのです。さらに、決まって破綻する。

 でも、これは映画だから、90分間は持続した、、、。でも、映画だけどやっぱり破綻した。映画といえども、世界がひっくり返った感覚のまま、人生を続けさせるほど、世間は甘くないのだね。

 そう、アイメとのローマへの逃避行は、実現しないんです。それも、アレックス自身のミステイクによって。そして、アイメもまた、アレックスのことを知らない人のように振る舞うのです。


◆考えない。“感じる”映画。

 ただ、本作中では、アレックスとアイメの出会いのような(?)シーンが、繰り返されます。それが初めて出会ったシーンなのか、何度目かなのか、その辺りがよくは分からない。

 作り話、と最初に宣言されているわけで、アレックスの運命の恋は、作者によって何度も書き直されているかのよう。そうしてみると、本作の原題“Reconstruction”は、なるほど、という気もする。直訳すると、復興、再建、、、。再構築としているレビューもいくつか拝読したけれど、まあ、そういうニュアンスでしょう。

 しかも、シモーネとアイメが非常によく似ている女性で、これは1人二役か? と途中で疑ったけれど、やっぱり同一人物か否か、ハッキリしない。途中、シモーネとアイメが夜の街角のショーウィンドウ前で向き合っているシーンがあって、2人が交互に「わからない?」「愛してたのに」「ずっと」等と言い合う。この幻想的なシーンで、恐らくシモーネとアイメは同一人物だろうとほぼ確信したけれど、、、、。メイクが全然違うだけで同じ人かどうかの区別もつかなくなるという、、、この辺りの曖昧さ、境界の微妙さ、みたいなものも本作の味わいの一つです。

 明らかに惑わされているのにもかかわらず、なにかこう、、、アレックスやアイメにリアルな感情移入をしてしまう。この不思議な感覚、不思議なシナリオ。

 あんまり、ロジカルに理解しようとか、無理矢理ストーリーのつじつま合わせをしようとか思わない方が良い映画です。考えるのではなく、“感じる”映画、とでもいいましょうか。


◆その他モロモロ

 シモーネとアイメを演じたマリア・ボネヴィーが良いです。シモーネも、アイメも、あまり好きじゃないけど、かと言って不快でもない。アイメを演じているときの唇の色が印象的。濃くて深いブラウン系のワインカラー。一歩間違えると、もの凄く不健康な顔になると思うんだけど、アイメの美しさを象徴するメイクになっているのが素敵。

 一方の、アレックスを演じたニコライ・リー・カースは、、、ちょっと猿系と申しますか、、、うーん、個人的にあまり好きなお顔じゃなくて、、、ごめんなさい。ものすごく良い雰囲気の作品だったけど、肝心のアレックス君がアップになるたびに違和感ありまくりでした。というか、斜め横からの顔は良いんですけど、どうも正面からのアングルがイマイチで。……ただの好みなのでお許しください。この方、あの『しあわせな孤独』に出ていたのですね。

 あと印象的だったのは、コペンハーゲンの地下鉄。駅がもの凄くシンプルかつモダンなデザインで、なんかSF映画見ているみたいでした。この駅のホームを、終盤、アレックスが歩き、その後をアイメが歩き、、、、ふと、アレックスが振り返るとアイメはいない、というシーンがあります。なんか、あのギリシャ神話のオルフェウスの話を思い出してしまいました。振り返ったばかりにアイメを失った、、、というのは、まあ考えすぎですかね。





コペンハーゲンの地下鉄に乗りたい。




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霜花店-運命、その愛(2008年)

2017-05-03 | 【さ】



 高麗王朝末期。男しか愛せない王様の超身勝手な振る舞いに、宮廷が大悲惨に見舞われる、エログロ歴史絵巻。

 当の韓国では、18禁ながら400万人を動員し、大ヒットしたんだとか。

  
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 今、「本当は怖ろしい韓国の歴史」(豊田隆雄著、彩図社)という本を読んでいるのだけど、これが結構分かりやすい。大まかなところは押さえられているので、これだけでも、だいぶ韓国の時代劇を見るには役に立つと思います。というか、これを読んでいたので、また韓国時代劇を見てみる気になったんですが、、、。やはり、どうせなら話題作を見てみようと、本作をレンタルしました。


◆自己チュー過ぎる王様

 相変わらずのエログロワールドでしたけれど、ネットで評判をチラ見していたので、それほど驚きはありませんでした。序盤の、恭愍王(チュ・ジンモ)と、近衛隊である乾龍衛の隊長ホンニム(チョ・インソン)のベッドシーンは、気合い入りまくりで固まってしまいました。ううむ、、、やはり、同性愛の描写は苦手だわ。

 かといって、ホンニムと王妃(ソン・ジヒョ)の濡れ場も、頑張ってるなーー、とは思うものの、別にゾワゾワするような官能は感じない。ちょっとスポーツに近い感じ。もう少し色っぽい絡みに出来なかったのかしらん。

 本作は、そのエロ・シーンで話題先行気味の様ですが、確かに、シーンの時間は長いけど、それほど大騒ぎする様なもんじゃないのでは。

 それよりも、私は、見ていて王様があまりにも勝手過ぎで、ムカつきました。そもそも、自分が女とセックスできないから、世継ぎをもうけるためというタテマエ上、愛人のホンニムを王妃と交わらせた訳で、三角関係の原因を作ったのはご自分でしょ? 子種を撒けないからって、トラブルの種を撒いちゃったわけで。

 それなのに、ホンニムと王妃が愛し合ったら激怒して、ホンニムを去勢しちゃうなんて、どこまで王様ってのは自己チューなんでしょう。

 しかも、王妃が妊娠していると分かったら、ホンニムと王妃の関係を知っている宮中の者たちを皆殺しにするんだからね。知りたくないのに知ってしまった家臣とかも、問答無用で斬殺。ひぇ~~~。もはや、自己チューどころの話じゃありません。気が狂っています。

 まあ、、、でも、歴史上、こういった、理不尽な血みどろってのは枚挙に遑がなかったわけで、本作での話も、そのワンオブゼムに過ぎないのですよねぇ。ったく、こんな時代に生まれていなくて良かった、、、。


◆歴史と国民性

 で、本作では、グロシーンも結構あったんですが、中でもインパクトが大きかったのは、王様が、乾龍衛を使って、家臣たちを皆殺しにするシーンです。

 ちょっと調べたら、経緯は微妙に違いますが、実際に恭愍王は、反対派を粛清した史実があるようで、これがモデルになっているのかも、と思いました。何しろ、韓国史などゼンゼン知らないに近いので、付け焼き刃情報ですが、本作のシーンほど凄惨を極めたのかどうかは分からないけれども、かなりグロテスクな史実はあったようです。

 本作でも描かれていましたが、親元派の奇轍(キ・チョル)は相当のクセモノだったらしく、また、恭愍王は、宗主国である元に対してはアンチの立場で、キ・チョルらの横暴ぶりが許せなかったんでしょうねぇ。映画では、でっかいモーニングスターみたいな武器で、容赦なく反王派の家臣たちを殴り殺していまして、そらもう、、、恐ろしいのなんの。みんな一撃で死んでいました。

 恭愍王が実際、同性愛者だったのかどうかは分からないけど、乾龍衛のモデルはあったとか。そして、その美少年たちが王様の夜伽をすることもあったと聞けば、なるほど、そういうネタがあったからこそ、この話になったのねぇ~、と納得です。

 いずれにせよ、小国の身で、地続きで強大な国が隣にあるというのは、本当にそれだけで苦難を強いられるのですね。前述の「本当は怖ろしい韓国の歴史」を読んでいると、属国としての存在を強いられてきたがゆえの、朝鮮の国民性というのは、なんとなく納得するものがあります。あそこまで虐げられ、屈辱的な歴史があると、直視したくなくなるのも分かる気がするし。だからこそ、日本に「歴史を直視せよ」なんて言うのでしょうね(そう言っているのは中国もだけど)。本当に自身が直視したら、そんなことは軽々しく言えないと分かるのだから、、、。

 “恨”の民族と言われるのも、これだけの歴史的背景があれば、むべなるかな、という感じです。

 日本は、何だかんだ言っても、回りを海に囲まれていたことが、中国やロシアの侵略を許さなかった最大の要因だと思いますね。そういう意味では、ただただラッキーでした。地勢は、本当に大事です。


◆その他モロモロ

 見ている間中、チュ・ジンモがキムタクに見えて仕方なかったんですけど、この2人、似ているって言われているのでしょうか? 激似じゃありません? この2人を使って、日本と韓国で生き別れた双子のハナシ、とか出来そう(ゼンゼン面白くなさそうだけど)。

 ホンニムを演じたチョ・インソン、体当たり演技で凄かったです。顔もなかなか涼やかなイケメンでgoo。アングルによっては醜男にも見えるという、不思議な役者さんです。立ち回りもシャープでカッコ良く、王様に目をつけられるのも納得。

 王妃は、初めてホンニムと同衾するシーンで見せる涙が印象的。一度、女性としての悦びを知ってからの変貌ぶりも微妙ながらしっかり伝わり、素晴らしい。

 いずれにしても、主要3役を演じた俳優さんに匹敵する、日本の俳優はなかなか見当たらない。少なくとも、ストーリー上必然性のある濡れ場を、ここまで大胆かつきちんと演じる俳優はいないでしょう。俳優は、脱ぐのも仕事なのです。それが嫌なら、せめて濡れ場のある作品に出るなと言いたい。もっと言っちゃうと、清純派とか言われて喜んでいる、あるいは、それを売りにしている女優なんか、やめちまえ、と思いますけどね。







退屈しません。




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ショパン 愛と哀しみの旋律(2002年)

2017-05-01 | 【し】



 泣く子も黙る、あのショパンの伝記映画。リストとの出会いから死に至るまで、ジョルジュ・サンドとの恋愛を軸に、ショパンの名ピアノ曲をバックに描く。

  
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 公開時から評判が酷かった本作。確かに、ポスターの絵柄がゼンゼン魅力的でなく(サンドの方が目立ってるっておかしくないか?)、気にはなっていたものの劇場まで見に行く気にならなかったので、DVDでようやく見ました。

 ネットのレビューでも酷評されているものが多いですが、劇作家の山崎哲氏は絶賛しています。

 私は、そこまでヒドイ映画だとは思いませんでした。絶賛する気にもなれませんが、音楽家を扱った映画としてはマトモな方ではないでしょうか。ポーランド人俳優を起用し、ポーランドが制作して、ゆかりのある土地でのロケが盛りだくさん、、、と、気合いは十分入っていると思います。


◆制作陣、頑張ってます。

 酷評しているレビューを拝読すると、おおむね「中途半端」「ショパンを描けていない」というところに矛先は集中しているようです。まあ、確かに、それは一理あると思います。

 私が一番感じたことは、タイトルに「ショパン」とあるのに、中身はどっちかというと、ジョルジュ・サンドの苦悩がメインになっちゃってるんじゃない? ってこと。ショパンが何に苦悩したのかがよく分からない。ただただ、サンドとその子らに振り回されて疲弊しているショパンばかりが目についてしまう。

 しかも、冒頭のサロンコンサートで、確か「英雄ポロネーズ」を弾いていて、その後にサンドとの恋が始まる展開になっていたと思うけど、「英雄ポロネーズ」は、割と晩年に近い時期に作曲されているはずだから、時系列がちょっとヘンだよね、、、。

 ……とか、まあ、ツッコミ所は確かに満載なのですが、私が本作をこき下ろす気にならないのは、何というか、制作陣の並々ならぬ意気込みを画面からひしひしと感じたからです。

 ショパンを演じたピョートル・アダムチクや、リスト役の俳優にも、相当ピアノの訓練をさせたと思われる、その演奏シーンは、なかなか見物。少なくとも、手元を映さないで、過剰な顔の演技だけでピアニストを撮るという、志の低い手法は選んでいない点は評価されても良いと思う。しかも、ピョートル・アダムチクの鍵盤を叩く手の演技はもちろん、弾いているときの姿勢などもなかなかのもの。決して嘘っぽさは感じません。

 また、BGMが時系列的におかしすぎる、という批判もあったけど、それは別にいいんじゃない? と思う。シーンと選曲が合っていない、というレビューもあったけど、まあそれは個人的な感性の違いといえるレベルじゃないかと。アンダンテスピアナートの流れるシーン(何のシーンだったか覚えていないのが笑止だけど)とか、なかなか画と音楽が合っていたと思うなぁ。

 しかも、ワルシャワ、パリ、マヨルカ島とロケを敢行し、マヨルカ島でのサンドとの愛はありながらも荒んだ生活は、島の厳しい自然をバックに叙情的で、制作陣の意気込みは十分感じられます。惜しむらくは、ショパンからフォーカスがぼやけてしまって、意気込みが空回り気味なところですな。

 あと、ショパンを決して美化していないところも好感持てました。マザコンで、わがままで、キレやすく、甘ったれ、、、な、今で言うところの典型的だめんずなショパン。まあ、実際のショパンも、才能以外は、決して褒められた人間じゃないと思われるので、ヘンにイイ人に描かれても白けます。

 ただ、サンドの息子に目の敵にされ、娘には迫られ、、、ってのは受難続きで気の毒です。特に、息子モーリスは、ショパンを目の前にして、自分の凡才ぶりを突きつけられ、ほとんどショパンに八つ当たり。しかも、サンドは、母親のくせに、モーリスが荒れているのに「ショパンだって天才だけど努力しているのよ」みたいなことを平気で息子に言う。嫌っている男を引き合いに出されりゃ、そら、怒りますよ、誰だって。この辺のサンドの息子への対し方を見ていると、いかにも無神経。

 実際のモーリスは、確かにショパンを嫌っていたみたいだけど、一応、画家として作品も残していて、天才とは言いがたいにしても、そこそこ才能はあったんじゃないでしょうか。

 ともあれ、ハッキリ言って、これよりヒドイ楽聖映画なんてフツーにあります。少なくとも、『クララ・シューマン/愛の協奏曲』や、『ラフマニノフ ある愛の調べ』といった、どうしようもない映画よりは百倍マシです。


◆魔女みたいなサンド。

 とはいえ、もちろん、文句を言いたい部分もあるわけで、、、。

 何より興醒めだったのは、ジョルジュ・サンド役のダヌタ・ステンカという女優さん。この方、あの『カティンの森』(未見)にご出演の方らしく、ポーランドでは実力のある俳優なんでしょうが、いかんせん、ちょっと老けすぎなのでは? 本作制作時に42歳。ううむ、、、。42歳もイロイロだから、数字だけでは何とも言えないけれど、少なくとも、実際のサンドがショパンと出会ったのは30代前半なわけで、でも、画面に映るダヌタ・ステンカは、どう見てもアラフィフのおっかないオバハンです。このギャップはあんまりです。

 一応、肖像画をイメージした装いでサロンコンサートでのシーンは登場していますけれども、あれじゃあ、ほとんど魔女でしょ。怖すぎます。あんな魔女みたいなオバハンにラブレターもらって恋が始まるなんて、ホラー映画かよって話。

 まあ、、、でも、ショパンも相当のマザコンみたいに描かれているので、ああいう、オバハン的なところに惹かれたのかな、、、なんてね。んなわけないよね。

 あと、リスト役の俳優さんも、かなりイメージと違います。あんなゴツい男、リストじゃないでしょ、、、。もうちょっと、イメージを壊さないキャスティング、できなかったんでしょうーか???

 でもでも! ショパンを演じたピョートル・アダムチクは、なかなかgoo。ショパンはイメージ的に優男で、ピョートル・アダムチクは優男というにはちょっと骨太な感じだけど、繊細さもあるし、何より顔がそこそこイケているので、見ていて悪い感じはしません(ただ、ヅラをとった画像を見ると、、、)。むしろ、あのサンドにはもったいなかろう、、、と思っちゃう。

 サンドがもっと美しくて魅惑的な女性だったら、本作の評価も、もっと違っていたんじゃないか、とさえ思います。サンドが主役になった映画といえば『年下のひと』が思い出されます。内容はほとんど覚えていないけど、サンドがビノシュで、愛人ミュッセがブノワ・マジメルで、画にはなっていたんだよなぁ。やっぱし、見た目も大事なわけよ、映画なんだから。

 ……というわけで、悪くはないけど、ちょっと惜しい作品です。

 





あのショコラ、飲みたい。




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