KIRA KARACHO/唐長の奏でる唐紙の音

唐紙屋「唐長」唐紙師トトアキヒコが奏でる光りと音…「唐長美術館」への軌跡

美の息づかい 唐長のある暮らし vol.12 「いのち」展

2012-06-27 03:48:44 | 美術館への道


神なき時代に
唐紙を通じて人の世に
神を呼び起こしたいとぼくは思うのです。


これは、作品を数万回に及び、自らの指で染めている中で、ぼくの心のなかにあった言葉です…





写真は、3年前の作品「inochi」です。
今はMIHO MUSEUMに収蔵されています。



今回、唐長サルヤマサロン「いのち」展でお披露目するぼくたち夫婦の唐紙作品「いのち」は、姉妹作があるのです。
それは、フランス、ルーブル美術館のガラスピラミッドでもよく知られている建築家I・M・ペイ(Ieoh Ming Pei)の建築物におさまりました。ペイ氏はアジア系出身の建築家では、世界的に最も名声を得た一人であり、氏の建造物に唐長の唐紙を芸術作品としておさめる機会を与えていただいたことは、大きな誇りです。ご先祖さまたちと神さまの導きであり、メッセージであると信じ、自らの信念に挟持をもって、さらなる道を切り拓きたいと思うのです。


今回の「いのち」展では、唐紙の芸術性を唱えて活動をはじめた頃、4ヶ月連続開催したサルヤマサロンでのシリーズ作の展覧会から3年の月日を経て進化したぼくたちの有り様を見ていただければと思うのです。そこには、ずっと問いかけつづけていることの答えがありますし、多くの方々に応援いただいたことへの感謝をこの開催を機に、あらためて唐紙とともに、みなさまにお伝えしたいと思います。



今回のコンセプトとしては、4つの視点で、取り組んでいます。
ぼくと愛子。
ぼくと愛子と宇敬氏。
ぼくと大島氏。
ぼくと愛子と会場を訪れるみなさん。

それぞれの違いをひとつの音にしようとしているのです。
ぼくが、唐紙づくりの際、ずーと意識している「不揃いの美」ということです。
これは11代目から教わった、とても大切な宝です。

今回のサルヤマサロンで、違う何かがあわさった時に生まれる和音はどんなものになるでしょうか。
感じることが大事。
そして、それは見る人にとっては素晴らしい調和であり、見る人にとっては不協和音かもしれませんが、そこによしあしの判断基準はありません。昨日Facebookにも記しましたが、ピカソのキュビズムみたいなもので展覧会の会場をひとつの絵画としてとらえています。
まぁ、そもそも、誰にとって不協和音なのかは、見る人自身や見る角度によって異なりますし、モノゴトには多面性がありますから、それでいいのです。
そもそも違うということは、比較や争うべき対象ではなく、時に多様性として受け入れた時に別のカタチを生み出すことがあり、そこに進化や変化のチカラが宿るのは歴史が証明しています。

何かを感じること自体に、価値があります。


全ての作品に共通することは

「祈」



それぞれの方が、日常の仕事をすると共に作品に取り組んでくれています。
まだ、完成していません、ギリギリまで変化し続けるでしょうし、この魂と魂のぶつかり合いがたまらないです。

それぞれの作品は、それだけでは完成しません。

会場に来ていただいた方々の気配とともに「いのち」展はつくられてゆきます。


唐長の唐紙を通じて集まるみんなの笑顔
その風景こそが一番の作品なのです。













6月27日
唐紙師 トトアキヒコ

最新の画像もっと見る