KIRA KARACHO/唐長の奏でる唐紙の音

唐紙屋「唐長」唐紙師トトアキヒコが奏でる光りと音…「唐長美術館」への軌跡

唐紙師トトアキヒコ、養源院「丸龍」の唐紙

2011-12-23 04:15:10 | 美術館への道



今年は過去最多の唐紙を手がけた。
まさに唐紙師トトアキヒコとしての1年でした。
つくって、つくって、つくって…つくる

春頃だろうか
「トトさん、今はただ、ただただ求められるがままに…そしてこころの赴くままに…つくりつづけてください。そういう時期ですよ、何も考えずにひたすらこころのままにつくってください」と、言われたことを年の暮れになり思い起こす。

来年は、もっとたくさんつくり、龍の如く駆けめぐります。




21日、名刹「養源院」で2年半ほどかかわってきた文化財修復の仕事がお寺に納められた。
緑青の地色に金色の丸龍の唐紙。
片面は俵屋宗達の松図の修復、片面は江戸時代の唐長先祖の唐紙で表裏となっている。
この宗達と共する文化財の襖の修復唐紙を手がけさせていただいた。
いろいろ試行錯誤の上、100年、200年と時代を遡り当時の色あいで修復した唐紙がおさまったことにより、伏見城から移築された聖天さんの間を美しき龍の唐紙が囲むことになる。
正面には11代目の手がけた唐紙が左右に配されている。
実は、昨年この唐紙をつくる際に11代目から学んだことが、この1年間の仕事に大きく影響を与えているし、今回の龍の唐紙にも変化が生まれているといえる。

修復仕上がりの立ち会いの際、ほのかな灯りの本堂で11代目がくれたことばが本当に嬉しかった。
「去年の龍よりええやないの」
ひとつまた成長できたということ。
ありがたい。
去年の唐紙と何が違うかというのは自分のなかでは答えがでている。
このことばが的を得ているかはわからないけど、おおらかさが違うのだ。
あらゆる面で唐紙がおおらかになったということだろう。
もうひとつは、重力。
それと、ここには記さないがもうひとつ大切なことが相まってぼくの手から唐紙は生まれる。


養源院の松図修復唐紙は、ぼくが生涯語りつげる誉れなる唐紙となりました。
先祖が残してくれ、お寺さんが守り伝えてくれたおかげで今回仕事する機会をいただけたということを忘れてはならない。

つづくということはつづける人がいるということ。

この唐紙が、この先も100年、200年と伝わり人々の心の安らぎにつながり、見守ってくれることを心から願う。
先祖の唐紙の修復というものは、調べたり想像したり…なんだかいろんな対話をするようでもあり、困難さはあれども、ぼくには、なんだか楽しい仕事のように思えた。

やがて、ぼくたちの子孫がまたこの龍の唐紙に挑む日が来るのだろう。










12月22日
唐紙師 トトアキヒコ

こだわり

2011-12-10 08:50:52 | 散歩や美術鑑賞など


Routes*Roots (ルーツ*ルーツ)さんの唐紙。

お店は建仁寺や六波羅蜜寺のすぐそばにあります。
お近くの際は、お立寄りください。
英国のアンティークとこだわりのファッションを紹介されていて、ぼくの大好きなコムデギャルソンもあつかっている。
ショップオーナーの安井さんのブログには、
「サルヤマサロンのトトさんとの対話がなければ、伝統的でありながら前衛的な色彩のふすま紙を純和風な畳敷きの2畳の間に生かすことは難しかったかと思います。
一日の時間経過の中でふすま紙が映し出す光と色の変化をじっくり楽しみたいと思います。」
と、書かれています。


ご主人は建築家であり、二人とも個性がしっかりあり、話していて面白かった。
いろいろな唐紙を検討して最後に絞られた二つ。
ここからが個性のぶつかりあい。
これについて夫婦が真剣に議論して意見交換する際の静かな熱のはいりようは、なかなかに面白く…ぼくにも意見をもとめられたが、言うべきことを述べた後は、そっとしておいた。
数日後。
二つに絞られたうちの、より攻撃的というか挑戦的であると思う方に最終的に選ばれた。

真剣勝負で選んだ唐紙に当然、ぼくは真剣勝負でこたえる訳で、自ら提案したこだわりの仕上げをこだわりをもって手がけた。赤鉄色のような濃い牡丹鼠色のようななんとも言い得ぬ色ではあるがとても美しい色であり、表面に感じるチャコールグレーのような色の奥に潜む色を感じる、感じる色に染めた。そこにうつしとられたターコーズブルーの立涌文様は、やさしい光りをうけてほんのり光り輝く美しきブルー。



素敵な夫婦をみて思った。
夫婦、家族、友人、仕事関係…互いの意見をちゃんと向き合って言い合い、その上で何かを構築するというのは、なかなかに難しいことでもある。
妥協やきづかいなどいうことからは、本当の戦いにも議論にも発展せず、結果も当然妥協したなんとなく上っ面のものになる。問題の本質が解決しないのなら問題はまた別の形で繰り返される…そんなことでは、本当の良いもの、良き関係性は生まれない。

しかし、それができるには、本質的に互いが認め信用しあっていることが必要となる。
本当のことが言える。
それは信頼という関係性がついてまわる。
もしくは、それがない状態では、孤高の強さがいる。
岡本太郎を思い出した。










12月10日
唐紙師 トト アキヒコ