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牛筋と切り干し大根の煮付け。クラブハウス・サンド/事件です

2014年10月31日 | 田舎生活の衣食住
 今年はいち日の気温差が激しいですね。今朝は(未明だけど)そうでもありませんが、昨日などは、朝は結構な冷え込み。この時期にこれだけ寒いとなると真冬の寒さも計り知れると言うもので、炬燵だけでは無理かと、暖房機を検討中です。
 石油ストーブがあるにはあるのですが、大き過ぎるので、小さな物にするか電気の暖房気にするか…。ただ電気は部屋全体を温めるのには役不足らしいので、やはり石油ストーブか! 石油ストーブって灯油の補充が面倒ですよね。寒い中、シュポシュポ(家ではこう読んでいる)で補充していた思い出があります。
 最後に石油ストーブを使用したのは北日本震災の日でした。こちらもガス、電気が止められたので、石油ストーブを引っ張り出して暖を取り、そこで湯を沸かしてカップ麺を食べて寝ちゃいました。
 最後と書きましたが、ここに住み出して初めてでもありました。真冬は綿入れ2枚を着込んで炬燵で凌いでいます。

 牛筋が64円と格安だったので急遽店にてメニューを考え、家にある切り干し大根と煮付けにする事に決定。こんな時、最低でも3品は入れたいので、油揚げに目を付ける。
 牛筋は一度じっくり湯がいてから細かく刻み、油揚げも、切り干し大根と同じくらいに刻んで、甘辛味に煮るだけ。簡単で美味しくて、ひと品で十分な栄養。
 牛の甘味も加わってご飯のあてにぴったりです。コンニャクも合いそう。




 焼売・卵・チーズを挟んだクラブハウス・サンドイッチです。焼売を横に半分に切って卵焼きにしました。これなら、つなぎにもなり、バラバラにならず、食べ易いかと思って。



 
 忘れられない事件です。所はシンガポール。オフィスは、昔は遊郭街だったとかで、夜になると陸の孤島のように静まり返る場所にありました。
 治安も悪いとかで、大きな施錠を余儀なくされていました。
 その同じ建物内で、フィリピン人のメイドが、主の妻子を刺殺する事件がありました。犯人は直ぐに逮捕されましたが、裏で糸を引いていたのは、主。愛人関係にあったそうです。
 それだけでも十分怖いのに、その事件直後に、深夜帰宅しようとエレベータに乗ろうとすると、なんと、開いたドアから見えたのは、燃え盛る光景。
 何者かが火をつけた模様。これは怖かったですよ。直ぐさま警察に通報し、階段を使って下り警察が来るまで地上で待機していたのですが、何と何と何と、通報から40分も過ぎた頃、口をもぐもぐさせた警察官が暢気にやって来ました。
 「飯喰ってたんだ」。
 「大丈夫だ」と、警官はバケツで火を消し、事情聴取もなく、帰されました。良いのか、それで!
 ニューヨークで滞在していたホテルでは、深夜に通りで発砲事件があり、咄嗟に、窓から遠いバスルームに避難。
 仕事で訪ったフィリピンでは、まずは台風の為にディンギー(小型ボート)が転覆しそうになる。目的地である上陸した島(漁村でユネスコの小学校があるのみ)で一週間足止め。元より暑い国なのでシャワーは水のみにも関わらず、折からの台風のため、気温が下がり、すっかり風邪を引いてしまいました。
 する事もなく、台風の風雨が吹き込む部屋で日がな寝て過ごすのみ。しかも着いた翌日からは全島停電です。トイレに行くにも頼りはライターの火のみといった有様でした。
 漸く島を出られる運びになってもマニラまでの航空券が取れずに、10時間以上のバス移動を余儀なくされ、そのバスがパンクで2時間の停車。
 這々の体で着いたマニラでは、乗車したタクシーが接触事故を起こし、またも2時間。もう地べたに座り込んでいました。
 マニラでホテルにチェックインし、暑い風呂に浸かった時は、身も心もほっとしたものでした。言うまでもなくその晩は爆睡です。
 しかし、安心出来たのはそこまで、翌日はマニラがアキノ氏暗殺の事件に殺気立ったのでした。
 何とか脱出出来ましたが、「マニラには二度と行かない」。
 所変わって上海。これは同僚の話です。疲れ果て爆睡していたところ、泥棒に入られたそうです。そして、枕元にあったMacを盗まれたそうです。気が付かないのも何だかなですが、もし目覚めたら命の保証はなかったかも知れず窮地に一命を得た事件でした。
 同じく上海にて、また別の同僚ですが、目の前を自転車で通り過ぎた二人連れが、100元紙幣を数枚落としていったそうです。そして、直ぐに戻って来ると、その同僚に「お前が盗っただろう。お前の口座に入金しただろう」と、有無を言わさず銀行まで連れて行かれて現金の引き出しを余儀なくされたそうです。
 そんな事有る訳がありません。「どうして銀行まで行ったのか?」不思議で聞いたところ、「怖くて身動き出来なかった」そうです。確かに現場でひとり切りならそれも否めないかも知れません。
 そして事はこれだけでは終わりませんでした。現金を引き出させたのは、その場で暗証番号を知る為で、その場でカード入りの財布を引ったくられてしまったそうです。
 その後、直ぐに会社に引き返し、中国人の同僚に話、カードを使用停止などの手続きを済ませた為、被害は最小限に留まりましたが、聞いただけでも怖い話でした。
 ほかにも自転車の籠に入れていたバッグを引ったくられたなど、上海で無傷の日本人はほとんど居なかったくらいに、怖い町でした。
 かく言う自分も財布をやられていますからね。
 香港では、ダブルデッカー(2階建てバス)の2階で居眠りをしていたところ、夢うつつの中、煎餅を焼く様な香ばし漂ってきました。「煎餅だ」と思いながら全身の気怠さで、うつらうつらしていたのですが、そのうちに煙に気が付き、目覚めるとバスは無人。大慌てでバスを降りると、火を噴いているじゃないか。
 ほかの乗客や乗務員は既に避難し、道路上。
 バスが火を噴いている以上に、「誰も起こしてくれなかった」怖さが先立ちました。幾ら個人主義だからって。
 タイ人は、日本人が転ぶのと同じくらいの回数で交通事故に遭います。これ、強ち嘘ではありません。2年住んだ自分も、乗っていたバスが衝突事故を起こしました。自分は後部座席に座っていたので、足を踏ん張り堪えましたが、丁度前の座席の無い通路の最後部座席に座っていたタイ人は、でんぐり返しをしながら前まで転げていっていました。
 そしてバスを下ろされ、ほかのバスに乗るように指示されてお仕舞い。次のバスではしっかりと乗車賃をまた取られました。前記の香港では、同社のバスが直行し下ろされた乗客を無料移送してくれたのですがね。
 ざっと思い出しただけでもこれだけありました。怖い話が続いたので、最後は笑える話です。
 上海の路上を自転車で走っていた同僚の話です。後方から近付いて来た2人乗りのバイクにかぶっていた帽子を盗られたそうです。
 するとそのバイクの2人連れは同僚を追い越して、はるか前方の自転車のおっさんにその帽子を被せて走り去ったとか。
 突然に帽子を被らされたおっさんは、自転車を降りると、帽子を投げ捨てたそうです。
 そんなアメリカンジョークを知っている中国人が居たとは…大笑いの話でした。
 




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