女として大阪で暮らす2

初心にもどり、ちゃんとブログをつくりたいですね。
たまに、読んでください。誤字脱字は、ご容赦くださいね。

かなわぬ恋(文鳥花子作)

2015-06-28 06:05:12 | 日記
人を好きになるのも、愛するのも偶然だから。
そして、かなわぬ恋とやらをするやからも、たくさんいる。

年齢とか、容姿とかそういうものではないが。
人を好きになるときがある。

おじいさんがおばあさんをすきになるように。
おじいさんは、死ぬ前にお酒をたくさん飲んで、毎日あばれていた。

夜中になると、叫んだ。
「おばあちゃん、おばあちゃん」

かなわぬ相手に、最後の精液をふりかけるように、手淫をした。
一滴の汚液をだすために、手淫をした。

おじいさんは、自分の顔をしらなかった。
薬とお酒で気持ち悪いほどに、しわがより目がくぼみ骸骨のようなかんじだったのだ。

おばあちゃんも、決してきれいなわけでないが、普通の容姿をしていた。
おじいちゃんは、それでも、そのおばあちゃんを思うと、酒を飲んで薬をした。

たまに、村の若い女たちを呼んで、どんちゃんさわぎをした。
そして、できないなりに、手淫をした。

おじいちゃんのそれは、できないまでも膨らんだが、手淫をするだけの代物だった。
夜中に、叫んでは、迷惑をかけ続けた。

そして、おばちゃんは、ある日遠くに引っ越しておじいちゃんは、ショックをうけた。
それでもあきらめきれずに、おばあちゃんの売春婦をさがした。

そっくりなおばあちゃんをさがした。
かなわぬ恋だけど、手淫をするときは、そのおばあちゃんのことを思った。

今でもそのおじいさんは、最後の子種を宿すごとく、夜中にさけぶのだ。
「おばあちゃん」

恋をするには、おそすぎる、そしてかなわぬ恋ならおじいちゃんは天国でかなえればいい。
みんなは、そう思ったが、恐ろしいので、だまってみていた。

におい(文鳥花子作)

2015-06-27 22:17:57 | 日記
心地よいにおいが、人によって違う。
たまに、腋臭とか汗のにおいがすきなひとがいる。

色気とかかんじるらしいのだが、汗のにおいはたまに感じる。
私の、汚い汚れたにおいが、なんだか人間の生きた証のように香る。

おふろにはいってしまったら、石鹸の匂いになりそれはたちまち消える。
昔から自分にあるにおいがあった。

それはふるさとの香り、田舎のにおい、青草の香り、川のにおい。
雨の香り、そしてお母さんのにおい。

なまぐさくぬめぬめとしたいやなにおいでも、自分にはそれがなつかしくおもえるときがある。
決まったじきでなく、川の汚れたにおいが、通学路から帰る道にしていた。

学校からとぼとぼと帰る道に、雨が降った後ににごった水になるぬめぬめとしたにおいがすきだった。
どぶのぬめりのように、今でもおもいだすのだ。

田舎では、何もなかったそうなにもないのに、田舎の道はすきだった。
ときおりとびだしてくる、虫たちの鳥肌が立つきもちわるささえ、なつかしい。

村のはずれにあるきれいな川では、せりの青いにおいが立ち込めていた。
おそらく今では、ないのだろうけど。

蓬もちにする蓬も、きっとあったかもしれないが、その香りはおぼえていない。
ずっとあとから、緑のあじのあるにおいだとしったのだが。

こんなに年を重ねたおばあちゃんになってもしらないにおいがある。
覚醒剤をしている人の体臭なのだ。

どんな香りでどんなものなのかは、しらない。
犯罪者に染み付く香りが、どんなものなのかはしらない。

だから、たまに酒の焼けたにおいとともににおってくる嗚咽するにおいが、たぶんそうなのかもしらないとおもう。
いいにおいではない、いやなくさい、吐き気を催す、甘酸っぱいにおいなのだ。

さけのびんをおきっぱなしにしたかおりではない。
だから、あいつが、くすりをやっているのはすぐにかんじた。

体臭がきつくなり、そして行動もおかしかった。
あのにおいが、きつくなったとき、くすりにおぼれていった。

私はどんなにおいも、すきなわけではない。
でも、すすけたふるさとのにおいだけは、きらいにはなれない。

そして、あの薬のにおいだけは、どうしても吐き気をもよおす。
そんなところに今は、住んでいる不幸だと、最近感じた。

おくらの花(文鳥花子作)

2015-06-25 21:34:46 | 日記

きゅうりの花が咲いた、私の畑に黄色い小さな可愛い花。
そして、きょうは大きな黄色ハイビスカスのような花が咲いた。

おくらの花だった。
畑の中で、美しくきれいに堂々と開いていた。

野菜の花の中で一番豪華で美しい花、黄色のハイビスカスのような花だ。
そしてその花が枯れていくときに、三角の実が顔をだしていた。

食べるとおいしい、おくらの花がいちばんきれいなのだ。
野菜の花は、どれもしおらしくかわいいけど、豪華な花はすくないのだ。

きゅうりの花は、小さくて可愛い。
ナスの花もおなじだ。

でも、おくらの花は、まるで野菜の花のようではない。
一番野菜の花の中では、豪華なのだ。

しかも、その花はたべられるのだ。
てんぷらにしたりしたら、かなりおいしい。

黄色の花は、堂々と咲いていた。
畑の中で、一番輝いていた。

わたしのほしいものはないけど、このおくらの花は、すごくみたかった。
そして、きゅうりの花もしおらしくって、可愛くて、だいすきなのだ。

実になる前に、美しい花が咲く。
まいとしはたけでで、堂々と咲いているのを見ると夏を感じる。

今年も、畑のあちらこちらに、可愛い花たちがさいている。
かわいらしく、きれいなうえに、素敵な実をつけるために輝いていた。

090-7347-12〇〇(sutekinatokoro)

守るものも、守ってもらう人もないなら。

2015-06-25 17:35:55 | 日記
生きる意味なんてないけど、生かされている。
でも、孤独な都会の片隅で、もがいている。

この命、いらないから、お金に返られないかなあ。
保険金をかけても、受け取る人もないしなあ。

自分の生きている意味は完全にないが、価値さえもない。
守る人もいないし、守られることもない人生は味気ない。

人の役に立とうとして、ボランティアをしたら、馬鹿にされたし。
金にならないことをするなんて、馬鹿にしかできないと笑われた。

私は、水槽の金魚と同じなのだ、狭い空間でいきている。
えさは、世間からもらっているし、生きるのは狭い狭い、水槽の中。

いつも、パクパクとしている、流金と同じなのだ。
たまに、可愛いと感じるが、私はその可愛ささえ、老化してないのだ。

水槽の水をかえなくなれば、金魚は死んでいく。
えさをあげないと、金魚は死んでいく。

わたしは、自分で死んでいくのかは選ばなくてはいけない。
必要のない人間を生かしてくれる、世の中はいいかもしれない。

こころがどんどん、暗くなり生きるだけの苦しみを感じる。
私は、この金魚と同じで、なんのやくにもたたない、金魚はまだかわいいのに。

無駄に生きる意味を考えてみたが、なかった。
誰かのために、自分のために、生きがいを感じることができたのは過去なのだ。

私は、それでも生きなくてはいけない。
道徳心なのか、自殺してはいけないと教えられたからなのか。

ボランティアさえできない自分が、情けない。
ただの、馬鹿なのだ。

ただの、おろかな生き物になりさがった。
それでも、生かされるなら、殺されるまで生きなくてはいけない。

ひとりで、うまれて。
ひとりで、死んでいくために。きょうも生きる。

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