原爆ドーム
(げんばくどーむ)
広島市中区大手町1-10
近くに立つと、その壮絶な姿に圧倒されて息苦しさを感じます。
原爆ドームは、当時の広島県知事・寺田祐之氏の肝煎りで計画が進められ、チェコ人建築家のヤン・レツル氏の設計によって1915(大正4)年4月に竣工、その年の8月に「広島県物産陳列館」として開館された地上5階・地下1階建の建築物です。
日清戦争をきっかけに広島の産業は成長を遂げ、そこで生み出された地場産業製品をアピールするために建設された原爆ドームは、1921(大正10)年に「広島県商品陳列所」、1933(昭和8)年に「広島県産業奨励館」と改称され、地元製品の展示・販売をはじめ展覧会や博覧会などの文化イベントに利用されました。しかし、戦争が厳しくなるにつれて徐々にその役割は縮小されていき、1944(昭和19)年には内務省の出先機関など、戦時下の統制機関として利用されるようになっていきました。
内部の瓦礫も当時のまま残されています。
1945(昭和20)年8月6日早朝。広島県産業奨励館には約30人ほどの職員がいたと見られていますが、8時15分に広島上空580mで炸裂した原子爆弾によって崩壊した建物とともに即死しました。このときの地表の温度は4000℃、爆風の風速は440m、圧力は1㎡あたり35tという凄まじいものでした。そんな状況にも拘らず原爆ドームがその形を留める事が出来たのは、真上から垂直に衝撃を受けたこと、そして建物自体に窓が多く、爆風がそこを抜けて衝撃を軽減したからだといわれています。
1966(昭和41)年に広島市議会によって永久保存が決議された原爆ドームは、その翌年に市民からの募金によって保存工事が行われ、1989(平成元)年にも補修が行われました。1995(平成7)年には国の史跡に指定され、その翌年の12月にはユネスコ世界文化遺産にも登録されるなど、原爆の恐ろしさを語り継ぐ象徴として、そして平和の大切さを世界に語り継ぐシンボルとして、これからも人々を見守り続けます。
元安川にかかる相生橋。ここを目印に原爆が投下されました。
アクセス
・広島電鉄「原爆ドーム前」下車、南へすぐ
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