
関守稲荷神社

(せきもりいなりじんじゃ)
神戸市須磨区関守町1-3

登り坂の途中にある鳥居。脇には「須磨関屋跡」の石碑があります。
〔御祭神〕
稲倉魂神
(うかのみたまのかみ)
夏になると多くの海水浴客で賑わう神戸・須磨海岸。海のすぐそばまで山が迫り、遠く淡路島も望むことが出来る須磨独特の景観はとても美しいものがあります。そんな須磨の交通の要、JR須磨駅・山陽須磨駅から国道2号線沿いに東へ歩いてすぐ、千守交差点の手前に村上天皇を祀った村上帝社があります。その境内の西沿いの道を北に抜け、山陽電車の高架をくぐって少し坂道を登ると、左手に石段と真っ赤な鳥居が見えてきます。ここが関守稲荷神社です。

鳥居をくぐり、突き当たりを右に折れると社殿が鎮座しています。
今でこそ風光明媚な観光地・住宅地として人気の高い須磨ですが、古代より畿内と西国とをつなぐ交通と軍事の要衝として地政学上非常に重要視された土地で、摂津国の南西の隅にあたる須磨には摂津関が設置されていました。いわゆる須磨関で、「天下の三関」と呼ばれた伊勢・鈴鹿関、美濃・不破関、越前・愛発関に次ぐ位置にランクされていたようです。天智天皇の治世の7世紀中頃に設置され、789(延暦8)年に廃止されたという須磨関の置かれていた場所については様々な説があります。1868(明治元)年にここから少し南西の所にある現光寺の裏手から発掘された石碑の一面には「長田宮」、もう一面には「川東左右関屋跡」と彫られていました。この石碑に彫られている「川」とは現在は暗渠になっている千森川のことで、川沿いの地にあたる現光寺境内近辺に関屋があったのではないかと考えられています。ほかにも関守稲荷神社辺りが関屋跡だという説や、多井畑にあった陸関という説も残されていますが、明確な位置は分かっていません。


現光寺の裏から発見された石碑(左)と、源頼昌卿の名歌が彫られた歌碑(右)。
関守稲荷神社の境内には、須磨を題材にして詠まれた歌を刻んだ歌碑がいくつも建てられています。中でも社殿の脇に1935(昭和10)年に建てられた歌碑には、百人一首にも撰ばれた平安時代中期の歌人・源兼昌卿の名歌が彫られています。ほかにも、平安末期を代表する歌人・藤原俊成卿と藤原定家卿親子の歌碑が1998(平成10)年に建てられ、雅な香り漂う境内となっています。

境内には、豊川大明神や車折大神など、多くの神々が祀られています。
アクセス
・JR「須磨駅」下車、北東へ徒歩5分
・山陽電車「須磨駅」下車、北東へ徒歩4分

拝観料
・無料
拝観時間
・常時開放