サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 11529「小さな村の小さなダンサー」★★★★★★★☆☆☆

2011年07月16日 | 座布団シネマ:た行

オーストラリアでベストセラーとなった、リー・ツンシンの自伝を映画化した感動作。中国の貧しい村出身の少年が幼くして両親と別れ、バレエダンサーとしての才能を開花させる過程をドラマチックに描く。本作の主演を務めるのは、バーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパルであるツァオ・チー。その母親を、『四川のうた』のジョアン・チェンが演じている。激動の時代を歩む彼の人生の変遷とともに、その並外れた踊りにも息をのむ。[もっと詳しく]

リー・ツンシンは「井戸の底」から、世界に向けて跳ね上がった。

リー・ツンシンの育った貧しい村が、山東省のどのあたりなのかは、原作を読んでいないのでちょっとわからない。
北京舞踏学院にスカウトされることになって、11歳のリー少年は村人のおおはしゃぎのなかでまず立ち寄るのが青島である。そこから汽車の長旅で、北京に向かうことになる。
十年ほど前、僕は青島空港で待ち合わせをして、山東省のある中核都市に車を走らせたことが数度あった。
行く度にその中核都市は、急速な勢いで近代化し、拡大を続けていた。
リー少年が村を旅立ったのが1972年、ニクソンが中国訪問をし、日中国交正常化が結ばれた年でもある。
だから僕が山東省を訪れたのはその30年ほどあとのことになる。
その中核都市からしかし一歩奥地のほうに踏み込めば、リー・ツンシンが育ったであろう貧しい村がそれほど違わずに存在する。
僕はたまたまある村の学校に立ち寄ったのだが、子供たちは一生懸命に民俗音楽や舞踊の練習をしていた。
中核都市の共産党のエリートたちは、その村を早く立ち去りたくて、しょうがない様子だった。



中国版『リトルダンサー』のようなこの作品は、不世出の中国人ダンサーであるリー・ツンシンがオーストラリアに渡ってから書かれた『毛沢東のバレエダンサー』という邦題の自叙伝をもとにしている。
西洋バレエで名をとげる一人の青年の成功物語といってしまえばそれまでなのだが、この物語は「毛沢東」の時代に少年期から青年期を過ごしたという歴史のめぐり合わせを抜きには成立しない。
少年が7人兄弟の6番目として生まれたのが1961年。中ソ関係が決裂し、中国では「大躍進政策」の失敗で3000万人近い餓死者が出はじめていた頃だ。
アメリカがベトナム戦争で泥沼に入っていく66年に、文化大革命が始まっている。
「毛沢東語録」をかかえた紅衛兵が出現し、幼いリー少年も「将来は紅衛兵になりたい!」と目を輝かせている。
毛沢東夫人の江青ら四人組が権力を握り、北京舞踏学院にスカウトされた1972年頃は、江青は伝統芸能の打破を掲げ、舞踏学院を視察したあとも、大衆による共産主義思想を盛り込んだ「革命劇」を要求している。
リー少年は13歳で共産主義青年団に入団、14歳で中国バレエ「紅色娘子軍」に出演している。
もちろん、文化大革命中の「革命歌劇」のひとつであり、許された演目はこの作品を含め八つしかなかった。



江青が逮捕されたのは翌年の1975年である。毛沢東が死去し、華国鋒が四人組を追放し、文化大革命は終結する。
「四つの現代化」の流れの中で、1978年には復活したトウ小平主導の改革路線が選択され、北京舞踏学院を卒業することになり「白鳥の湖」を出演していたリーに一目ぼれをしてしまったのが、ヒューストン・バレエ団の芸術監督であり北京を訪問していたベンであった。
1979年には米中が国交を樹立し、そんな雪解けムードのなかで18歳にしてリーはサマースクールでアメリカに招聘され、渡米を果たす。
ダンサーとしての素質はあっても、「米国は堕落した資本主義の巣窟」と教え込まれてきたリーが、頓珍漢な「山猿」のような真似をしてしまったり、貧しい家族を想い出してアメリカ生活に疑問を持ってしまったり、中国の領事館から「革命的警戒心」と「党への忠誠」を約束させられたりするのはこの頃である。
所属劇団のプリンスパルの怪我もあり、研修生であったリーは「ドンキホーテ」の舞台で主役を代役し、喝采を受ける。
中国への帰国命令が出たが、「自由」を失いたくなかったリーは、恋人のエリザベスと結婚し、アメリカに亡命を果たす。
この作品は、弁護士の活躍も含め、中国領事館に監禁され、強制送還されそうになるあたりを、ひとつの盛り上がりにしている。



リー・ツンシンは体力もさほどなく、偏平足であることも理由して、なかなかダンサーとしては芽の出ない落ちこぼれ少年だった。
その少年が、本当に稽古に励むようになったのは、「古典バレエ」の美しさを愛してやまないが、江青の革命劇主義からはやはり「落ちこぼれざるを得ない」ひとりの追放された教師の影響による。
その教師は、ミハイル・バリシニコフのビデオをこっそりとリー少年に手渡した。
ミハイル・バリシニコフは愛称ミーシャで知られるソ連のバレエダンサーであったが1974年のカナダ遠征でアメリカに亡命している。
ミーシャは映画でも『愛と喝采の日々』などに出演し、ジェシカ・ラングと子供をもうけたりもしている。



空中で静止するかのような大きな演技、僕たちはミーシャのテープをリーといっしょに見ながら、そのミーシャを糧として訓練に励んだリー・ツンシンや、そのリー・ツンシンを演じたいまや世界でも押しも押されぬプリンスパルであるツァオ・チーや、同様にオーストラリアバレエ団でも嘱目されている十代後半のリーを演じたグオ・チェンウの系譜を、やはり驚愕しながら見ることになる。
「白鳥の湖」「春の祭典」「ドンキホーテ」「ジゼル」・・・など古典バレエの小気味いい振り付けは才人であるグレアム・マーフィー。
バレエシーンだけでも心踊るものがある。



アカデミー作品である『ドライビングMissデイジー』のブルース・ベレスフォード監督は、優秀なスタッフを引き連れて、「反共」映画と紙一重のところで、中国の大衆に暖かいまなざしを送っている。
中国の一党独裁は続いている。
14億人を食わせるためにという理由で、激しい摩擦を引き起こしての膨張政策をとりながら、国内の貧富の格差に対する怨嗟の声を押さえつけるのに必死な共産党政権。
リー・ツンシンは結局、亡命を選んだ。



舞踏だけではなく、音楽もスポーツも芸能も、中国は徹底した英才教育のなかで、世界中にスターを輩出している。
リー・ツンシンは、故郷に錦を飾り、英雄となった。
広場で村人のために即興で踊るリーの背後に、赤い中国国旗である「五星紅旗」がたなびいている。
「井戸の底」に蠢いていた蛙が、井戸の外に引き上げられて、はじめて「世界」を見ることになる。
「躍進」を続ける中国ではあるが、たぶんまだ14億人の民の大半は、「井戸の底」で生涯を送ることを余儀なくされている。









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6 コメント

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おあつうございます (sakurai)
2011-07-18 16:40:42
まったくもうのとろけそうな毎日です。
どうぞご自愛ください。
とっても興味深い映画でした。
友人はその後原作を読んだとうことで話を聞きましたが、細かいさまざまな描写があって、なかなかよかったと言ってました。
江青女史があまりにらしくて笑ってしまいましたわ。
やはりきちんとしたダンサーが演じたことで、説得力が半端なかったです。

sakuraiさん (kimion20002000)
2011-07-18 19:42:21
お久しぶり。
江青は似ていましたね。
あの江青が、裁判で怒る姿は、よく覚えていますよ。

こんな暑いときに冷蔵庫が狂乱して、さきhど買って参りました(笑)
今日は爽やか^^ (latifa)
2011-07-22 17:49:40
kimionさん、こんにちは!
昨日といい、今日といい、日本とは思えない天候で、爽やかなからっとした空気が心地よいです。
>十年ほど前、僕は青島空港で待ち合わせをして、山東省のある中核都市に車を走らせたことが数度あった。
うわ~~!そうなんですね。
いいなー私も行ってみたいな。
チンタオといえば、ビールの印象が強い私です。
この映画の主役のお兄さんの事を、あんまり格好良くないとか書いちゃいましたが、その後新聞の記事に載っている写真を見た時、えっ!!あの人??こんなに格好良かったっけ?って認識を新たにしました。
latifaさん (kimion20002000)
2011-07-23 01:48:25
台風のせいですかね
今日も過ごしやすかったですね。
かっこいいのかそうじゃないのか、よくわかんないところはありますが、踊っているのを生で見たいな、と。
弊記事までTB&コメント有難うございました。 (オカピー)
2011-12-02 20:42:40
英国映画「リトル・ダンサー」を余りに意識した放題が良くないですね(笑)。

伝記映画としては手際良くまとめてはいますが、余り面白くはなかった・・・ものの、バレエ・シーンは良かった。TVで観てこんなこと言うのもなんですけどね。

尤も本物のバレエだって特等席でもない限り、結構小さくしか見えないけど(ボリショイを一度横浜で観たことあり)。
オカピーさん (kimion20002000)
2011-12-02 23:47:03
こんにちは。
本物のバレエをしかるべき場所で見たのは2回だけ。さすがに迫力ありましたね。
あと、20世紀初頭のニジンスキーあたりのバレエ団の記録フィルムはもういやになるほど見ました。

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