こんにちは。
今日は随分と暖かくなってきました。
皆さんのあたりでは如何でしょうか?
さて、今日はりんごについて。
皆さん、りんごってどんな風に見えますか?
そして、それを自由に描いてください、というとどんな風に描きますか?
目の前に、一つのりんごを置きます。
ここで3人、人を呼んでくるとしましょう。
一人は、男性、しかも美術系の大学行っている、いわば美大生。
次は、特に絵を描くことは普段しない主婦。
3人目は、5歳の男の子。
この3人に、それぞれ自由にりんごを描いてもらいます。
で、出来上がったそれぞれの絵。
最初の男性は、目の前のりんごを観察しながら、細部まで緻密に描いているようで で 色づけも、それなりに丁寧です。
次の女性は、普段、絵を描くことはしないといいながらも、なんとか形をとりながらが 色をつけ、りんごという絵になっています。
5歳の男の子は、目の前のりんごを見ながらも、自分の思うように形を描き、そこへ
赤い色を塗っています。
おわかりのように、3人3様、それぞれの感覚で同じりんごを描きましたが、その誰もが
同じりんごを描いていますよね。
でも、出来上がったものはそれぞれ全て違いますね。
いかにもりんご、であったり、りんごかな?と思えるものであったり、様々だと思います。
しかし、元は同じ一つのりんごを見ながら、絵に描いたものです。
これは自分の目に映りながらも、目の前にあるものを写し取ろうとすると、微妙に違った形や
色になるということの一つの例かと感じます。
頭の中に思い浮かべるりんご、これも人それぞれですね。
形、といっても、りんご「のような」形としかいいようがないですね。
色も、「赤い」とは限らないでしょうし、そもそも赤い色そのものがみんな同じ「赤」に
見えているのか?
大きさ然り。小さかったり、逆に大きかったり。
そんな風に考えていると、世の中のもの、これ全て同じものをみんなで見ていても、
本当は、一人ひとり全く違うものを認識しているのではないのかな、とある時
ふと感じたんですね。
ある特定のものは、皆がそうである、と認識しているからこそ、目の前のものはそのように
「見えている」と自分の「脳」で感じているだけではないのかな、と。
そんな事を考えていると、人間って、これは共通して見るものであると認識したら、本当は
人それぞれに微妙に見え方は違っているかもしれないけれど、その「A」というものを
同様に、「A」と感じるようになっているだけではないのかな、と思えてきたんです。
或いは色や形や大きさ、それぞれが99.999%同じように見えているようでも、
実際には、人それぞれが僅かに認識に差があったりするのかな、とも思ったりします。
こんなこと考えていても、別にどうってこと、ないんですけどね^^;。
私自身、科学者なんてものでは当然ありませんし、難しいことはさっぱりわかりません。
でも、そんな小さな差異がるからこそ、世の中、少しずつ違っていて、それがまたバリエーション
に富む結果を生み出しているのかもしれませんね。
日曜日の午後、となりにまったり眠るニャンコを見ながらの考察でした^^。
最後にすみません;。
未だに編集下手くそなオバサン、上手く改行できていなかったりしております。
何卒、ご容赦の程を^^;
(次回、気をつけたいと思います)
今日は随分と暖かくなってきました。
皆さんのあたりでは如何でしょうか?
さて、今日はりんごについて。
皆さん、りんごってどんな風に見えますか?
そして、それを自由に描いてください、というとどんな風に描きますか?
目の前に、一つのりんごを置きます。
ここで3人、人を呼んでくるとしましょう。
一人は、男性、しかも美術系の大学行っている、いわば美大生。
次は、特に絵を描くことは普段しない主婦。
3人目は、5歳の男の子。
この3人に、それぞれ自由にりんごを描いてもらいます。
で、出来上がったそれぞれの絵。
最初の男性は、目の前のりんごを観察しながら、細部まで緻密に描いているようで で 色づけも、それなりに丁寧です。
次の女性は、普段、絵を描くことはしないといいながらも、なんとか形をとりながらが 色をつけ、りんごという絵になっています。
5歳の男の子は、目の前のりんごを見ながらも、自分の思うように形を描き、そこへ
赤い色を塗っています。
おわかりのように、3人3様、それぞれの感覚で同じりんごを描きましたが、その誰もが
同じりんごを描いていますよね。
でも、出来上がったものはそれぞれ全て違いますね。
いかにもりんご、であったり、りんごかな?と思えるものであったり、様々だと思います。
しかし、元は同じ一つのりんごを見ながら、絵に描いたものです。
これは自分の目に映りながらも、目の前にあるものを写し取ろうとすると、微妙に違った形や
色になるということの一つの例かと感じます。
頭の中に思い浮かべるりんご、これも人それぞれですね。
形、といっても、りんご「のような」形としかいいようがないですね。
色も、「赤い」とは限らないでしょうし、そもそも赤い色そのものがみんな同じ「赤」に
見えているのか?
大きさ然り。小さかったり、逆に大きかったり。
そんな風に考えていると、世の中のもの、これ全て同じものをみんなで見ていても、
本当は、一人ひとり全く違うものを認識しているのではないのかな、とある時
ふと感じたんですね。
ある特定のものは、皆がそうである、と認識しているからこそ、目の前のものはそのように
「見えている」と自分の「脳」で感じているだけではないのかな、と。
そんな事を考えていると、人間って、これは共通して見るものであると認識したら、本当は
人それぞれに微妙に見え方は違っているかもしれないけれど、その「A」というものを
同様に、「A」と感じるようになっているだけではないのかな、と思えてきたんです。
或いは色や形や大きさ、それぞれが99.999%同じように見えているようでも、
実際には、人それぞれが僅かに認識に差があったりするのかな、とも思ったりします。
こんなこと考えていても、別にどうってこと、ないんですけどね^^;。
私自身、科学者なんてものでは当然ありませんし、難しいことはさっぱりわかりません。
でも、そんな小さな差異がるからこそ、世の中、少しずつ違っていて、それがまたバリエーション
に富む結果を生み出しているのかもしれませんね。
日曜日の午後、となりにまったり眠るニャンコを見ながらの考察でした^^。
最後にすみません;。
未だに編集下手くそなオバサン、上手く改行できていなかったりしております。
何卒、ご容赦の程を^^;
(次回、気をつけたいと思います)