日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

奥の院の後は

2018-04-30 21:13:51 | 高野山
こんばんは。
朝のうちは曇りがちで、ともすればこのまま降りそうとも思えた空でしたが昼過ぎ頃からは晴れてきて暑くなりました。
お出かけの方には良い(もちろんお仕事の方にも)お天気だったかもしれませんね。
明日明後日は下り坂のお天気、しかもかなり風も吹きそうな予報となっておりました。
あまり荒れずに済んでほしいものです。




                                  


                               



                                  






昨日、前の晩はお茶の飲み過ぎ;で寝られないと申しておりましたが昨夜は一転11時を回る頃になると眠くてたまらず;見ていたPCの動画もその
ままの状態でしばし椅子にもたれて寝ていたようでした。
これはあかん;と思い、どうにも身体が沼の底へ沈み込みそうな感じを持ちつつも(どんなんだ;)なんとか2階の寝床へたどり着き、枕元の灯り
をしばらく消し忘れるほど寝入っておりました;。
昨日布団を干していたのも功を奏したのか、かなりぐっすり寝ていたように思います。
朝も目覚まし代わりの携帯のアラームがかなり鳴っていたようですけれど、止めるのもしんどいほど眠気が残っておりました。
寝られたからといって疲れが取れたというわけでもなかったのか(あらら;)午前中祝詞奏上させて頂いた後も、またもや椅子にもたれかかって
いぎたなくしばし寝ていたほどでした。
何がそんなに疲れているんだろうと思うのですけれどね。
季節の変わり目、そんなこともあるのかもしれませんね。
え、歳のせいだろうって?
確かにそれは否めない事実かもしれません;。(苦笑)





                                   





そんな感じの身体の具合もあってか祝詞奏上後、座ってはみましたがあまり頭にはこれといった言葉も下りてこなかったようでした。


 目を閉じているけれど特に何も感じない
 しんどいからか?
 夕べは堪らなくなるほど眠くなる
 寝床でもぐっすり寝られた感じ

 身体が疲れてる
 底だるさは抜けない 特に脚
 どうにもならんな;


そんなことを目を閉じて感じていたようでした。
どうにも疲れが溜まっているのかもしれないですね;。
なんとか体調を戻して、また上からの?言葉を受け取れるようにしたいと思います。
お役に立てず、申し訳ございません;。




                                  
                                    





ならば、と思いまして思い出せる部分だけでも先日の続き、高野山のことを書かせて頂こうかと思います。
あまりこれも大したことのない話になろうかと思いますが、お暇な方はお付き合い下さいませ;。



先日は奥の院の辺りまでを書かせて頂いておりましたね。
その続きからとなります。

此方の案内が終わった後は高野山の中の主要な寺院へと足を運んだかと思います。
その中でもやはり金剛峰寺は真言宗の総本山でもあり、当然参らせて頂く所です。
毎回申すことですけれど十何年前のこととて記憶も定かではありませんので、そこのところは御容赦下さい。
金剛峰寺へ赴き、まずはその大きさに圧倒されました。
出雲大社御本殿の屋根もそうですけれど、此処金剛峰寺もその屋根は桧皮葺となっております。
その屋根の上に大きな桶が載っておりました。
どうやら火災が起こった時には、その桶に溜めた雨水で火の粉が飛んで屋根が燃え上がらないよう、その水で屋根を湿らせるものなのだそうです。
確かにひとたび火災が起これば人里離れた深い山の奥です、それだけでも大変であったろうことは容易に察しがつきます。
建物そのものは当然相当な年数を経ておりますが、その分歴史の重みを感じられます。
ガイドの方に着いていかねばならぬため、それほどどこもじっくりと見る余裕は無かったかと思いますが柱や梁に施された彫刻一つ取っても美しさ
を感じておりました。
当時は多分、携帯で写真、いわゆる写メを撮れる時代ではなくごく普通の小型のカメラを持参していたように思います。
柱や梁を眺めつつ、此処を撮れたらなと感じていたように覚えておりますので多分何も撮らず撮れずに足早に過ぎたのでしょう。
幾つかの部屋に描かれた襖絵の美しい図柄も観て回るのが精一杯だったように思います。
その他にも僧侶の方々のお食事を作られる台所を拝見させて頂きました。
その造りもこれもまた相当に大きく何もかもが普通ではないことに驚きの連続だったように感じます。
竈の上に切り絵があり、その奥に寺院でありながらも神棚が設けられておりました。
此処のところについても説明を受けたのですけれど覚えておりません;。
けれどお寺の内部の彼方此方に鳥居があったり神様を祀られておられることが、日本の心を忘れず宿しておられるようで何とも言えず嬉しく感じら
れた事でした。
最後であったか大広間のような所へ通され、此処でお茶のお接待を受けました。
歩いてきた足をしばし伸ばしながらほっこり出来るひとときでもありました。
そこからであったか間近に拝見できる庭、蟠龍庭(ばんりゅうてい)と称されるようですが、白砂と大きく黒い岩とも思しき石で表現されたその
景観はなんともいえぬ佇まいを呈しており、いつまでも静かに眺めておりたい、そんな風に感じられたのでした。

続いて参らせて頂いたのは壇上伽藍(だんじょうがらん)であったかと思います。
此方もその大きさに圧倒された覚えがあります。
詳しくは存じませんのでどのようなものであるのかはお伝え出来ませんけれど、朱塗りのその塔は近づくにつれ否が応でもその大きさを感じずに
はいられないほどの迫力がありました。
先の金剛峰寺といい、此方の塔といい、どうしてこのような山深い場所へ造ることが出来たのだろうとそれ自体が不思議な思いがしておりました。




                                  




その後おそらく昼食を挟んで、高野山の他の主だった寺院等も案内があったように思います。
苅萱堂(かるかやどう)であったり、他にもどちらかをお訪ねさせて頂いたのでしょうけれど、あまり記憶に残っておりません。
ツアーですので最後はどこかのお土産物屋さんでショッピングとなったかと思います。
高野槙(こうやまき)という植物がお土産として売られておりましたが、どうも高地であるがゆえに育つとの説明をバスの中で先に聞いていたよう
に覚えております。
買って帰ってお庭に植えても根付きませんよとのガイドさんからの話をなんとはなしに聞いていたように思いますけれど、それにしては彼方此方で
売られていたようでもあり、実際のところはどうなのかはわかりませんね;。
動物性蛋白質を摂取出来ないとされているためか胡麻豆腐等で精をつけていたとも伺ったようにも思います、そのためかそれら胡麻豆腐も豊富に
店頭に置かれていたように思います。
確かにあのねっとりとした胡麻の風味は、それだけでも滋養がありそうですよね。
あとは一粒がとても大きな紀州の梅を使った梅干が並べられておりました。
そんなおみやげ物を皆さん一つひとつ確かめながら購入されていたようでした。
自分は、父子二人で待ってくれている我が家へ何を買って帰ったのかもう覚えておりません;;。
おそらく甘いもの好きな我が家の住人のため(自分のためでもある(笑))そんなようなお菓子でも買って帰ったのでしょう。

後はひたすら広島目指して、途中大阪の富田林を抜ける辺りでお定まりの;?渋滞にもはまりながら無事帰着したように思います。
車中泊と言え無くも無い?かなり強行軍な高野山行きツアーでした。
そんなツアーだけに知らなかったことなども結構聞かせて頂くことも出来、終わってみれば面白かったと言えるものでした。
その後、まさかまた、今度は自分と息子二人で参ることになろうとは思いもよらない事でもありました;。
この話はいずれまた語らせて頂こうと思います。




                                  





先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。





                                   





                     
                                   




今日は満月、さそり座に入っているのだとか。
占星術には疎いのであまり存じませんけれど、物事が良き方向へ向かいますよう願っております。


明日、明後日また通常のお仕事、通学の方もおられるでしょうね。
どうぞ気持ちを少しだけ引き締めて?朝はお出かけになられて下さいませ。

本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
コメント (2)
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心の目で

2018-04-25 22:04:26 | 高野山
こんばんは。
今朝はまだ鈍色の雲に覆われた空で、雨は降らずともどんよりとしておりました。
晴れ間が覗きだしたのは午後も3時を回った頃。
ようやっと青空も見え空気も心なしか洗われたように感じます。
気温が少し下がり余計に爽やかに感じているのかもしれません。


                            


                              





                             




雨が上がり、狭いながらもある庭の草引きをしておりました。
草を引くというよりは園芸鋏で地上に出ている部分を切っていったくらいのことですので、いずれまた生えてくるのでしょう。
よもぎや場所によってはドクダミが生えており、いくら刈り取っても後から後から茂ってきます。
これまでにも刈り取ることはできたのですけれど、ふと見たよもぎにかなりの数のてんとう虫がくっついていたりして、それを無下にするのもどう
かな;と感じてしまい、つい刈り取ること自体が延び延びになっておりました。
それでも雨上がりのあまり暑くない時にと思い、よし!と気合をいれて刈り取りました。
これら下から生えてきている草と、後は裏のもの干し場の柱に絡み付いて段々と増殖、進出をしておるツタを少しでも食い止めようと、これもまた
鋏片手に塀の向こうすぐ下の流れを用心しながら切り取っておりました。
このツタという植物、切っても切っても手強い相手でして、いつぞや植物には雑草なんてない、全て彼らも生きていると書いたのですけれど、そうは
言っても放っておけばどこまでも蔓延る様にはやはり手を焼きます;。
枝を切り取る度にハックションッ!!とくしゃみを連発させつつ、さながらオジサン(ま、オバサンですけど;;)みたいな様相を呈しておりました。
しかし、こうして刈ったり切ったりしている時は良いのですが、大抵明日以降あちこちが筋肉痛ならぬ凝り;で悩まされます;。
筋肉のないオバサンの弱点というところですね。(苦笑)





                                    




昨日、大神神社について書かせて頂きましたけれど、自分がいつかこれも書かせて頂ければなと思っておりました場所があります。
それは神社ではなく空海が開いたとされている高野山について、です。
自分自身、これまでに3回ほど参らせて頂いたことがあります。
そのどれもが交通手段が違っておりました。
一度目はバス、ついで電車、最後は車であったかと思います。
また自分もですけれど、若かりし頃の主人自身、何度もこの高野山へは足を運ばさせられて?おったようです。
主人の方の事は後として(これね、また面白いような不思議なような話なんですよ;)先に自分が参らせて頂いたことから綴ってみようと思います。
しばしお付き合いのほどを。

自分が最初に訪れたのは信者さんご夫婦とご一緒にでした。
我が講社の信者さんですけれど、元々ある方について信仰されておられ、その方ご自身が弘法大師、俗にお大師さんと称される呼び名で親しまれて
おる空海を崇めておられたようです。
その関係で一年に一度は高野山へ参られるとかで、その時もご夫婦でツアーを利用して高野山までお越しになるとのことでした。
その頃は仕事の上で仏像やらお大師さんといわれる御像やらの御祓いを頼まれることも少なくなく、自分としては一体このお大師さんと言われている
空海、また高野山てどんなところなのだろうという好奇心とまた後学のためと感じ、ご一緒させて頂くことと致しました。
当時はまだ主人も元気な頃で、小学生の息子と二人目玉焼き作って食べとくから行っといで~と送り出してくれました;。(目玉焼きって;)

ツアーバスは広島を夕方に出発し朝方高野山へ着くように夜通し走っていくようでした。
大体がこのツアーの趣旨?としては四国の八十八箇所を巡った後、結願(けちがん)として一番最後に参る場所としてこの高野山を訪れるとの事で
そのような方々を対象にしたもののようでした。
そんなことはこの時初めて知った自分でもあり、ご一緒したご夫婦以外はどなたも知り合いもおらず隣に座られた女性もこの時に初めてお会いした
方です、当然ですけれど;。
とはいえ夕方から夜に掛けての行程ですし、走るうちに車内の明かりも消され、後は寝て過ごすしかありませんでした。
しかしあまりリクライニング出来る程のシートでもなく;、寝ようとしても寝付けないまま、ひた走る暗いバスの中で身体もさほど動かせずにまん
じりともしないまま時間だけが過ぎていくようでした。
途中、何度かトイレ休憩を兼ねてSAへ停車しておりましたが、元々おトイレの近い自分はこの決められた時にしか行けない状況にかなり辛い思いを
していたのを覚えております;。
昨日も申したように普段はマイカーですので、好きな時にどのようにでも停まれるというのはこういう時にとても便利なんだなと改めて感じており
ました;。
団体行動には向かない人間ですね;。(笑)

そんなこんながありつつも、それでもうつらうつらしておる間にバスはいつの間にか高野山の麓、九度山の辺りまで来たようでした。
それもふと目を覚ました時に、窓から見える外の景色でそれと知れたことでした。
ここからはこの山を登っていくわけですけれど、その道はまさにつづら折り、幾重にもヘアピンカーブの重なる道が高野山と言われております山頂
の町まで続きます。
殆どの方が寝入っている車内、そんな中でおぼろげに外が白み始めてきており、なんとはなしに景色がぼんやりと見えております。
バスは車内の皆さんを起こすことがないよう気遣うようにして、ゆっくりとカーブを一つずつ登って行きます。
少し目が覚めた方が小声で、あれ、ここどこ? もう高野山に着いたんかな?などど話しておられました。
山頂に到着しバス専用なのでしょうか、かなり大きな駐車場にてしばし待機のようでした。
予定の時刻より少し早く着いたようでした。
その後、宿坊とされていたある寺院へ向かいまずはお風呂へ入らせて頂きました。
眠気の覚めやらぬ身体も、これでしゃっきりしたようでした。
泊まるわけではありませんでしたがこのようにお風呂を頂き、続いて朝の食事も此方にて頂戴させて頂きました。
真言宗のお寺ですので当然精進料理であり、その中での朝御飯ですので動物性蛋白は用いておられなかったと思います。
しかし量的にはかなりのボリュームがあり、残してはいけないとされておったかと思いますので自分自身はかなり無理をして詰め込んだ;ように
覚えております;。
一つだけ覚えておりますのが、わかめのお味噌汁。
大きなわかめが入ったもので、屈強とも思えるような雲水さん(になるのかな;?違っていたらばすみません;)が黙々と給仕をして下さって
おりました。
そんな食事を終えると次はその寺院にて朝の勤行です。
此方の寺院で一番年長者とされておられます高僧の方が読経をされながら護摩を焚かれます。(他の僧侶の方もなさっておられたと思います)
神道とは全く違うその祈念の仕方にかなり戸惑いを覚えながらも燃え盛る護摩の火を見ておったように感じました。
時間的にはどのくらいであったのかもう覚えておらないのですけれど、このお勤めが終わり先ほどの高僧の方が若い方に脇を抱かかえられるように
して退かれました。
その後自分達も休憩に入ったかと思いますが、この際申すようにトイレの近い自分はまたしてもそのトイレに向かいました;。
行くすがらの廊下であったか先ほどの高僧の方とすれ違ったのですけれど、お歳を召されたその方ご自身、何故かしらとても有難いお姿に思え、我
知らず深々と頭を垂れておりました。
あの時の感覚は、ただ単に御歳を召されておられたからではない、何か崇高な感じを受けたからでした。
全てを達観しておられるようなその面差しに、長年の修行のその先をも果たされたかのように感じられたのかもしれません。
空海、その方に近づいておられたお顔であられたのかも、とも思います。
あの方にお会い出来ただけでも参らせて頂いた甲斐があったと、これもまた今にして感じておるところです。

その後、高野山で一番大事とされております奥の院へ参ったかと思います。
此方では多くの墓があり、日本の主だった企業のそれもあるとされておるようです。
この地へ墓を設けられれば、その企業は衰えることはないともされている、と案内のガイドの方が説明しておられました。
その他にも歴史に名を留めておる人物や様々な人の墓があります。
一々に説明を聞かせて頂いたのですけれど、なんせ今から十数年前のこと;そんなトリビア?みたいなことだけは忘れずに覚えておるみたいですね。
歩みを進めて行くうちにこの場所の最も奥、弘法大師空海、その方が未だに瞑想を続けておられるとされる御廟の手前まで辿り着きました。
そんな世界を隔てるのは、これまでにも幾つか通ってきた橋ですけれど最後の御廟橋、無明の橋とも言われる橋です。
此処から向こうはあちらの世界とされておるようで、この先は写真撮影は禁止されております。
今一度気持ちを厳かに保ちながら、歩みを進めます。
御廟へ着くとやはり何がしかの説明を受けながら地下へと下りて行きました。
その中は何であったか、これはうろ覚えで申し訳ないのですけれど壁面一面が同じものでびっしりと埋め尽くされており、それだけでも圧巻でした。
その中央に空海が手にしていたとされる金剛杵(こんごうしょ)と思しき物(おそらくレプリカかと思います、よく存じませんですみません)が
ガラスのケースに飾られたいたように思います。
此処のところも自分の古い記憶ですし定かではありませんのでご了承下さい。
その場所で説明を受けつつも自分は此処で弘法大師に想いを馳せておりました。
ツアーの皆さんがおられたのですけれど、あらかたの方がその場を離れられた後で、その場で一人心落ち着けて目を閉じてみました。
その時に

   
   〝  目で物を見るのではない

      心の目で 物を見るのだ   〟


このような言葉が頭に入ってきました。
これは空海の言葉?と思いながら聞こえてきた言葉に有難うございましたと思いつつ、その場を後にしようとすると先ほどのガイドの方が私一人を
待って下さっておりました;。
どうやら普通は大勢の方を引率して通り一遍に、ではないのでしょうがご案内はすんなりと済まされるのでしょうけれど、自分ひとりが静かに頭を
垂れておるのを見て、せかしてはいけないと思って下さったようでした。
あら、悪いことしました;と思い、一言すみませんと謝り、先を行く皆さんに早足で追いついて行きました。
後ほどご一緒したご夫婦の方に、こんな言葉が聞こえてきましたとお話すると、あのお大師さんならおっしゃるだろうね、とさして不思議とも思わ
ず聞いて下さいました。
空海という方、その当時の自分にはどのような方であるのか殆どというほどまともな知識は持っておらず、そういうものなのかしら、とこれもまた
取り立てて凄いことをおうかがい出来たものとも考えておらず、そのくせその言葉だけは何にもましていつまでも覚えておる事なのでした。

実際、このお言葉は今でも何か事があるごとに、否、何もなくてもよく思い出す言葉でもあります。
幾度も反芻するようにこの言葉をそれこそ心の中で唱えてみて、大事なことはそういうこと、と自分に言い聞かせるような思いがする事もしばしば
です。
あの御廟の地下で大事な宝物を頂戴させて頂けたのかもしれません。
                             
                                   



                                   





高野山を巡るツアー、まだ続くのですけれど、ここですみません;、書いてみると案外と長いことに気づきました;。
ですので、これしばらくシリーズ化;?してお届けいたします。(笑)
神主なのに、どうよ;?ですけれどね。
ま、気の向くまま書かせて頂きたいと思います。
お暇な方は、どうぞお付き合い下さいませ。





                                  





先日よりお伝え致しております五月十四日月曜日午前十時より出雲大社例大祭が斎行されます。
ご参列ご希望の方がおられましたら下記までご連絡下さいませ。
尚、大社側への返信が5月7日までとされておりますので、それまでにご連絡頂きたく存じます。
追って詳細をお伝えさせて頂きます。

  kimikimiblue13@gmail.com

ご参列の程、お待ち申し上げております。




                                 




本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
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