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空襲体験の継承に取り組む恐るべし女子大生たち、がんばれ! おじさんは嬉しいです。

2009年03月07日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 来る3月13日は大阪大空襲の記念日です。今日はピースおおさかで行われた「空襲体験の継承―体験者と若者のリレートーク」に急遽出席してきました。

 大阪大空襲は3月13日をはじめ50数回の空襲に見舞われ、約15000人以上の犠牲者と多大な被害を生じました。戦争体験者・空襲体験者の高齢化が進み、一人ひとりの鮮烈な「記憶」を「記録」しておくことがとても急がれています。ではその「記憶」を戦争体験者はどのように次の世代に伝え、一方の若者たちはどのように聞きとり、学んでいけばいいのでしょうか。

 リレートークには実際に聞きとりを行っている関西大学社会学部ジャーナリズム専攻科の学生たち4人と彼女たちに自身の体験を語った3人の戦争体験者が登壇しました。コーディネーターは矢野宏さん(関西大学非常勤講師)でした。

 疎開体験をはじめ、何人もの家族が犠牲になり荼毘にした体験など60年以上もたったのに体験者の記憶は実に鮮明です。まるで昨日のことのように語られます。
 一方それを聞きとる学生たち。「戦争のことなど考えたこともなかった」「出来れば避けて通りたかった」「聞きに行って本当にお話してもらえるのだろうか」「追い返されたりはしないだろうか」など時には不安感に襲われながら事前準備をし体験者たちを訪問しました。
 
 時に激しく、時に涙を流しながら話される内容とその姿は、わずか20歳の若き女子大生たちの心を大きく揺さぶるには余りにも衝撃が大きすぎたこともあったようです。聞きとりを終えて梅田の街を歩きながら、通りを楽しそうに行き交う同年代の人たちの姿と戦争のリアルな話を今しがた聞いたばかりの自身の感覚との落差に驚きもしました。が、しっかりと受け止め文字に記し、わが脳裏に刻み込む作業に挑戦しています。

 会場からある女性の体験者の方が発言されました。

「私もずっと長い間あの空襲体験を語ることはとても辛かった。でも努力し少しずつ話すことで自分自身がとても気が楽になる、癒されるようになってきた。それができるまでに60年間かかった」
 
 そうなんですね。矢野さんも話されましが、1945年8月15日で戦争が終わったからと言って、本当に戦争が終わったわけではないんです。そこから戦争が生んだ苦しみが、それこそ一人ひとりに戦争が襲ってきた60年だったんですね。

 今、大阪大空襲の犠牲者や遺族の方たちが、国家賠償を求めて立ち上がっておられます。戦争が終わった今日まで空襲被害者の人たちはまさにほったらかし状態でした。でもいつまでも黙っているわけにはいきません。空襲を引き起こした原因を作った国は犠牲者の人々に謝罪をするべきです。黙っていてはまたいつの間にか、気がついたら戦争をしていた―、そんなことを二度と繰り返してはならないのです。

 それに関して戦争時のマスコミの姿についても発言がありました。

「東京大空襲の次の日、新聞は犠牲者のことなど何も触れなかったかわりに米軍機を何機撃墜したなどと、嘘ばっかり報道し、そういうニュースが大阪にも届いていた。だから大阪の人たちは米軍など大したことはないと高をくくっていたところにとんでもない空襲が襲ってきたんです」

 そう、戦争時のマスコミはジャーナリズムとは無縁な存在だったのです。

 そして今思うのですが、この間、硬派ジャーナリズムといわれた雑誌、たとえば『論座』とか『現代』とかが休刊(実質は廃刊でしょう)しました。ある人が書かれていましたが、何でこのままおめおめと廃刊にしてしまうのかということです。確かに経営問題、出版不況、売れない、赤字というような現実が数字として目の前に突きつけられたのでしょうが、それがどうしたと言い返せるような編集者、あるいは記者はいなかったのでしょうか。

 別に戦前のような言論弾圧や攻撃があるわけでもない、命が奪われるわけでもない、でも売れなくなったからもうおしまい!って自分から進んで旗を下してしまう、それでジャーナリズムと言えるのでしょうかね。

 わが零細弱小地方出版社など足元にも及ばないような立派な器と労働条件に恵まれ何でもできそうに思える場所が与えられているだろうに、とても残念なのです。

 オッと、話がかなり逸れてしまいましたが、戦争体験をいかに語り、継承していくかはホントに大切なことだと思いました。かつて国連のアナン事務総長は国際高齢化問題世界会議の中で次のように述べました。

「一人の高齢者が死ぬと一つの図書館がなくなる」

 今の日本で考えると戦争体験にも同様のことが言えるのではないかと思います。

 戦争を体験されたみなさん、どうかまず、あなたの子どもさんに、お孫さんにお話してあげてください。そして見知らぬ若い人が訪ねてきたら暖かく迎えいれて、話してやってくださいな。それはあなた方があの日感じたであろう「戦争がやっと終わった。これからは平和な日々がやってくる」という思いの真の実現に一歩でも近づくことだと思うからです。

 うーむ、それにしても恐るべし女子大生(正確には女子大ではありませんが)たちです。時代はまさに変わっていっていますよ、お父さん。

 ところで4年制男女共学大学に通う女子を女子大生とは呼んではいけないのだろうか?

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