歴声庵

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星亮一著:『偽りの明治維新』

2009年05月17日 15時54分40秒 | 読書

 著者の星亮一が思い描く、史実を無視した文字通り「偽り」の明治維新史です。今までも歴史捏造を繰り返してきた星ですけれども、本書では新たに「言質を他者に押し付ける」と言う卑怯さを身に付けています。本感想では、このように他者に責任に転換しようとしている星の「偽り」を検証したいと思います。

 まず全体の構成から書くと、「偽りの明治維新」と大層な書いているものの、要はいつもの「会津こそ正義!、薩長は悪!」といつもの星の願望を書き連ねているだけです。その為に幕末維新史全体を書いているものの、星自身に幕末維新史の知識が無いので、通史としては極めて薄っぺらい中身の無い物になっています。
 しかし話が会津戦争に及ぶと急に饒舌になり、会津がどれだけ新政府軍に略奪されたかを強調しています。しかし一方で会津藩兵が行った搾取や略奪には触れないのは、相変わらずこの男が「公平な歴史観」とは程遠い人間と言うのを表していると言えましょう。私は白河口・日光口戦線の会津藩兵の搾取・略奪には詳しくはないので、話を越後口に限定させて頂きますが、会津藩兵が越後の民衆から搾取・略奪し、越後の民衆から会津藩兵が憎まれていたと言う史料が無数に残っています。郷土史だけでも新潟市・新津市・水原町・五泉市・小千谷市・十日町・燕市・見附市等の市町村史に、会津藩兵によって民衆がいかに搾取・略奪され苦しんだのかと言う記述がされているのにも関わらず、星はこのような「史実」から目を背け、会津の被害のみを主張する様は醜悪としか言えません。越後における会津藩兵による、民衆への略奪・搾取については、詳しくはこちらを参照下さい。
 また星は孝明天皇が新政府側によって謀殺されたのではないかと本書で書いているものの、あくまで石井孝氏が「孝明天皇暗殺説」を主張しているのを紹介しているだけで、自分の意見は何も述べていません。これが本書で星が新たに身に付けた「言質を他者に押し付ける」です。歴史小説と史実の区別が付かない人達からは未だに信じられている「孝明天皇暗殺説」ですけれども、今や学会では完全に俗説扱いされているのが現状です。かつては星と同じく東北贔屓の佐々木克氏も暗殺説を支持していましたけれども、原口清氏の暗殺説否定を受けて、その考えを改めています。また現在は評判が悪い、マルクス史観の井上勝生氏でさえ病死説と暗殺説を併記していますし、学界的には暗殺説は相手にされていないのが現状でしょう。しかし星はそのような「学会の現状」からは目を背け、少数派の石井説を盾に、暗殺説を主張するもののその責任は石井氏に押し付けています。これを卑劣と呼ばずして何と呼ぶのでしょうか。尚、前述の佐々木氏はその著書「戊辰戦争」にて、自分の誤りに気付いた後も、あえて暗殺説の支持を訂正せずに自分の誤りを反省する文章を追記し、自分が誤った考えを持っていた事実からは決して逃げずに、歴史家としての責任を果たしています。この佐々木氏の高潔さと比べると、責任からひたすら逃げ続ける星の何たる醜悪たる事か。
 そして最後は原爆発言。これはかつて会津郷土史家の故宮崎十三八が鶴ヶ城落城を、広島の原爆被害以上の悲劇と記述した事を転載して、鶴ヶ城の落城の悲劇ぶりを強調しています。しかしこの言動により宮崎氏は研究生命を絶たれ、晩年は自分の識見の無さを反省していたと伝われています。ところが星は、この宮崎氏の晩年の反省を無視して、自分にとって都合の良い部分だけを転載して、その言質は宮崎氏に押し付けると言う、正に死人に口なしの所業を行っているのです。これは被爆者の苦しみと宮崎氏の晩年の反省の双方を侮辱していると言えましょう。

 この様に本書は、星にとっての理想の明治維新史を書いているものの、それに対する批判は他人に転換出来るように巧妙に書かれた著書であり、その姿勢は卑劣としか言えません。
 しかし実際には星の著書は一部には多大な支持を得ています、これは何故でしょう。私が思うに、これは歴史小説と歴史の区別が付かない人が多いからだと考えています。敗者の会津を絶賛し、勝者の薩長を誹謗する星の文章は、歴史の啓蒙書としての価値は無いものの、負け組みにシンパシーを感じて、勝ち組に嫉妬する日本人の特性に合っているのではないでしょうか。残念ながら歴史と歴史小説の区別が付かない人が多い状況が続く限り、星の著書はこれからも売れ続ける事でしょう。
 そのような意味では、星は歴史に対する識見は皆無ながらも、商業的な識見には優れているのかもしれません。


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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ほげ)
2009-06-05 06:54:37
明治維新の本への批判にしては、あなたも戊辰戦争についてだけ饒舌ですね。

そして自ら歴史小説と断じるしかないようなフィクション的な作家の著書を、
なぜそこまで「事実ではない」と執拗に憎悪されるのか理解に苦しみます。
観光史学的なものの一定の成功の象徴としての星氏への、
貴方の「勝ち組に嫉妬する日本人の特性」のまさに発露なのでは?
Unknown (つか)
2009-06-07 17:44:30
>ほげ様へ

 やっと批判してくれる人が現れたと喜んだのですけれども、その批判が史学的な資料批判でなかったの残念です。是非とも次は史学的な批判をして下さい。

>明治維新の本への批判にしては、あなたも戊辰戦争についてだけ饒舌ですね

 当たり前です。私が現在学んでいるのは戊辰戦争史であって、明治維新はまだまだ勉強不足ですからね。そんな勉強不足な身が明治維新史を語るのは幕末維新史に対しての冒涜であり、知識も無いのに語る星亮一と同じレベルになってしまいます。

>そして自ら歴史小説と断じるしかないようなフィクション的な作家の著書を、
なぜそこまで「事実ではない」と執拗に憎悪されるのか理解に苦しみます。

 簡単です。星亮一は著書によって「歴史研究家」と「作家」の肩書きを使い分けているからです。小説家としてのスタンスを貫くのならば、私も批判などはしません。しかし星はこの肩書きを使い分けて、時には歴史研究家を名乗っています。そして歴史研究家を名乗っている以上、その星が歴史を捏造したのを、歴史を学ぶ身としては批判するのは当然です。
 歴史を捏造する者を憎む、歴史学を学ぶ者としては、言わば当然の反応だとは思います。そしてこの捏造を信じる者が増える事によって戊辰戦争史の研究が阻害される事が、私が星を忌み嫌う最大の理由です。

>観光史学的なものの一定の成功の象徴としての星氏への、
貴方の「勝ち組に嫉妬する日本人の特性」のまさに発露なのでは?

 申し訳ありません。あなたと違って、私は「観光史学の成功者」なるものに何の価値を見出せません。むしろ史学を学ぶ者としては「観光史学」などは軽蔑すべき存在に過ぎません。そのような意味では一坂太郎氏が「観光史学」に組してしまったのは残念で仕方ありません、あの人の着眼点は好きだったのですが、観光史学と組んでしまった以上は、史学的には一坂市の信用度は地に落ちてしまいました。

 ところで、あなたは私の姿勢を批判するものの、私の「星の著書に対する批判」そのものに対しては何の意見を述べていないので、是非ともこれに対する批判を伺いたいものです。
 本感想で私は、星の著書に対して、史料や先行研究を根拠として批判する、史学の手法を用いて批判しています。、
①新潟県の各地の市町村史に会津藩兵による略奪が書かれているのに、星がこれを無視するのは何故か。
②「孝明天皇暗殺説」は原口清氏により事実上否定されている、暗殺説を主張するには史学的にはこの原口説を否定しなくてはならない。しかし星は著書内にてこの原口説には一言も触れていないのは何故か。尚、石井氏の著書を引用した以上は、原口説を知らなかったと言う詭弁は通じないでしょう。理由については両者の著書を読んだ者には説明不要でしょう。
③宮崎氏の原爆発言は引用しても、後年宮崎氏が後悔した日々を過ごした事を無視したのは何故か。

 是非ともあなたには、私が本感想で主張したかった上記三点についての意見も伺いたいです。特に①については私もそれなりに資料を持っていますので、有意義な資料批判による議論が出来ると思います。
 私の姿勢を批判をするのは結構ですが、上記の資料的な批判は出来ないようなら、あなたは資料批判よりも感情論を優先する観光史学の徒と変わらないと言わざるを得ません。
 そうでない事を願いますので、次は「感情論」による批判ではなく、「史学的」な資料批判をしてくれることを強く望みます。お互いに資料批判をする事により、お互いの知識を高める事こそが私の願いですから。
Unknown (梅痴鴉@不細工軍団)
2009-06-27 09:51:22
どもざます。遅レスながらコメントしますわ。

文面がつかさんの人格攻撃だったので、無視してもよかったざますが、ちびっと書き込みをさせていただくと・・・・
>観光史学的なものの一定の成功の象徴としての星氏への
観光史学という言葉が実は侮蔑を含んでいるので、まあ星センセに対する揶揄として解釈させて頂きました。まあ、星氏はその程度の作家でしょうから、観光史学で成功というのは星氏に相応しいですなあ(微笑
Unknown (サブロー)
2011-02-15 14:50:46
会津が幕末に、北海道と日本海側の地域をドイツに売ろうとしてた事が、ドイツ側の史料から発覚したそうです。会津観光史学、どうなる事やら…。
Unknown (つか)
2011-03-05 23:20:39
サブロー様

 ニュースを知った時は驚きました。よく考えたら、交戦団体を目指していたのですから、諸外国の史料に出ていても不思議はなかったでしょうしね。
 会津観光史学については、この件も無かった事にする事ですから、ネット上で幾ら指摘しても時間の無駄だと思います。会津観光史学と議論するなら、逃走出来ないリアルな議論の場に引っ張り出さないと意味がありません。もしくはネット上でも逃走の出来ないフェイスッブクなどで。
Unknown (Unknown)
2011-05-15 15:47:12
会津のドイツへの売国は10年前に既に発見されてたそうですよ。
そういや、山口の萩から義援金貰った会津の市長が、義援金貰いながら
会津観光史学で嫌みを言ったみたいですね。本当会津ってどっかの国そっくり。
もう会津観光史学の嘘はバレてるってのに。
ま、会津系作家を会津の大使にしたような市長ですからね。
次の衆院選に出るとか。渡部黄門といい本当会津は…。
Unknown (こづき)
2011-05-28 12:47:49
 明治維新については浅学なため読みました。正直読む必要を感じなかった本でした。
 前述の通り私は明治維新については浅学ですので内容については深く追及するにかないませんが、しかし管理人さんが常々仰っているような「うすっぺら」な内容ではあった気がします。
 私が知っている以上の事は書いてありませんでしたし、軍事史なのか政治史なのか思想史なのか地域史なのか…どれも中途半端な感じがしました。
 また会津の箇所に関しては本当に会津を理解しているのか、と。なんというか、当時会津で生きた人々(農民、士族関係なく)一番を侮辱しているのは星氏自身なのではないかと思ってしまいました。
Unknown (つか)
2011-05-28 15:45:40
こづき様

>一番を侮辱しているのは星氏自身なのではないかと思ってしまいました。

 仰るとおりだと思います。会津を好きなら好きで良いのですが、星が向いているのは「会津ファンの読者」で、決して会津に住まれている方達ではないのですよね。結局だからこそセンショーナルな原爆発言をしているのだと思います。
 困った事に、会津の事しか語れない星は、半ば郷土史家扱いされて、本当に各地で活躍されている郷土史家の皆さんのイメージを悪くしているのが、星の最大の大罪だと思うのですけれどもね。
 星や会津観光史学の歴史観ですが、その屈折した考えが、地域に根付いていると言う事で、思想史として研究すれば興味深いと思うのですが。


>会津のドイツへの売国は10年前に既に発見されてたそうですよ。

 この一件は海外の史料にも目を向けなければいけないとの、良い教訓になりました。

>渡部黄門といい本当会津は…。

 別に普通に会津の住民の方達は、会津観光私学に染まっていないのでしょうが、どうも会津と言う土地は、発言力が大きい人ほど会津観光史学に染まっている気がするのですよね。まあ結局は金と知名度なのでしょうが。
Unknown (こづき)
2011-05-29 19:02:26
 会津が日本海側と北海道を売ろうとしていた事に関して、その行為自体は当時からしてみれば一種自然な事でもありますから、追及する点とはならないでしょう。事実、幕府や蝦夷政府も諸外国に土地を売っていますので。
 ここで重視すべき点は、会津は「自分の管理する領土以外」の土地を売ろうとした点ではないかと。「日本海側」が具体的にどの辺りを示すのかは存じ上げませんが、他藩の領地を売るというのには、別途国内での話し合いの史料が出なければなりません。今回はドイツ側の史料から見つかったという事で、逆を言えば日本国内からは出ていないという事になります。このまま出なければ会津が独断で自分達の領地以外を売り払おうとしていた事になり、これは非常に問題でしょう。
 まあ、ドイツ側からしたみれば、会津の土地は正直あまり使えなかったとは思いますが…海があるわけでもないので。
Unknown (つか)
2011-05-29 19:27:15
こづき様

 大久保についての返事をする前に、こちらの返事を先にして申し訳ありません。
 会津が日本海側の土地を売ろうとしたですいが、会津は慶応四年一月に「徳川家」から越後内の幕府直轄領の多くを譲られており、その中には海に面した蒲原郡や出雲崎地方も含まれているので、一応自分の領地を売ろうとしたになると思います。
 もっとも明治新政府は、幕府の直轄領の接収を宣言しているので、法的には会津の領地になるかは判断は難しいですが、少なくとも他藩の領土を売ろうとした訳ではないかと。
 尚、蒲原郡には新潟港が含まれるので、当時の日本との交易で設けようとしている諸外国にとっては垂涎の地だったと思います。

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