らくがきちょう

わにのたまごの過去ログ

10月24日(金)のつぶやき その2

2014年10月25日 03時50分09秒 | Twitterまとめ

@yashirosatoru そもそも、「明治維新」という言葉自体が実は後のもので、当時は時代一新という意味で「一新」と呼ばれていましたし、敗北した東軍側は「(幕府)瓦解」と呼んでいました

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@yashirosatoru 明治維新は、近世(封建主義社会)と近代(資本主義社会)の境として位置づけられています。しかし、東西内乱があった1867年で時代が切り替わったわけではありません。近世の中にも資本主義的な要素は十分育っていましたし、江戸幕府には優れた官僚がいました

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@yashirosatoru こうした背景なくして、明治維新の成功もありませんでした。その意味で、近代(明治以降)を見ていくには、少なくとも享保ごろ、1700年すぎから考えていかないと、正確なイメージには近づけないと思っています

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@yashirosatoru 東軍側に生まれた一史学徒の私としては、薩長史観からさらに進むと、たまねぎを剥くように、次第にうっすらと日本の原風景が見えてくる、と申し上げたいのです

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@yashirosatoru 私たちが日本的だと信じているものの多くが、実は江戸期に生まれたものだと分かります。それ以前の日本は、私たちの生きる現代とは価値観が大きく違い、まるで「別の国」のようにも見えます

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@yashirosatoru 私たちが愛してやまぬ「日本」とは、どの姿の日本なのか。東京裁判史観からの脱却を訴える方々のほとんどは「勝ち組」薩長のものの見方に立っています。愛国者である私には、伝統保持を訴える排外主義的な主張が、実はいかに「現代的」なものかと感じられてきます

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@yashirosatoru かつて現実に生活していた日本人の息遣いに、私は惹かれます。彼ら彼女らは、喜怒哀楽の感情に揺れ、人を愛して、人を裏切り、そして死んだ、リアリティのある日本人なのです

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@yashirosatoru 日本文化の根底には敬語があります。天皇の存在が、敬語の本質を規定しています。敬語が使えず、謙虚さに欠ける愛国論とは、果して存在しうるのでしょうか。愛国者として、ネット上の愛国論に違和感を抱く理由です

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@1963Tani 大学院に行ったわけでもないので、きちんとお答えできるかはわかりませんが…仕事中でもありますので、少々お待ち下さい RT 「東京裁判脱却史観からの脱却を訴える人のほとんどは勝ち組薩長の史観に立っている、ということについて具体的に説明して頂けないでしょうか。

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@1963Tani 故郷を問う時、「お国は?」と聞き方をすることがあります。明治以前の日本列島には、国はいくつもありました。強大な将軍権力の下ではありましたが、藩政は藩が担うもの。かなりの地方分権、逆にいえばバラバラだったのが前近代の徳川期です。(続く)

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(承前)しかし、このままでは弱肉強食の当時の国際社会では生き残れない。幕府もそう認識し改革を進めていましたが、時代はもっと早く進み、うろの空いた大木のような徳川秩序は、当初は負けるはずもないと思っていた西軍にあっという間に倒されてしまいました。

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(承前)日の丸は、外国船が訪れるようになった幕末、徳川幕府が対外向けに用意した船印です。島津斉彬が考案したとも言われますが、幕府公用船に掲げられました。

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(承前)なので、戊辰戦争で錦の御旗を掲げた官軍は、幕軍の掲げた日の丸を撃つ形となりました(このことはテレビドラマであまり意識されていないようですが)。他には国を代表する旗がないので、明治国家も採用しました。

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(承前)「勝てば官軍」。明治になって、前時代のものは悪であるかのように扱われました。しかし、果たして会津は唯一「滅藩」の憂き目に至るほどの悪事をなしたのか? 賊軍の藩名はどうして県名から除外されるのか? その疑問・不満は東軍にゆかりのある地域に残りました。

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(承前)私の出身地は群馬、徳川の天領だった地域です。高祖父が明治20年に書いた記述には「御一新」という言葉は使われておらず、「御公儀瓦解の折」でした。それを読んだ時、自分の出自を私は強く意識し、その時代に生きた敗残者の気持ちをぐっと近くに感じるようになりました。

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(承前)江戸文化は、文明開化の世では因循姑息・頑迷固陋なものと断じられました。薩摩人は東京の治安を守る警視庁に多く採用されましたが、言葉の違いもあって、粋を重んじた江戸っ子はかなり苦々しく思っていたようで、そんな記録は多数残っています。

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(承前)戊辰の犠牲者は近代国家樹立の功労者ですので、霊を弔うために造られたのが東京招魂社、後の靖国神社です。江戸っ子の中には、自分たちの文化を滅ぼした人々の神社を「ふざけんじゃねえやぃ」と苦々しく思っていた人が少なくなかっただろうことは想像に難くありません。

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(承前)たかだか150年であっても「日本の伝統」と呼びたいならば、それはそれで私は否定しません。でも、日本の歴史や伝統を尊ぶなら、近代だけでいいのだろうか、と疑問を感じているのです。歴史はもっと長く豊かで、実際に生きた人々の膨大な現実が累積したものだと思います。

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(承前)明治以前の人に、「日本」というアイデンティティはとても弱かったわけです。取り立てて天皇を尊崇するわけでもなく、君が代をあのフレーズで歌わず、日の丸を仰ぐわけでもない。当たり前ですが、これが日本列島に生きてきた私たちの先祖です。

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(承前)職業選択の自由がない時代の「家」の意味は、現代とは違います。代々の家産を守り、仕事を受け継ぐ資格があるのは、その家を継いでいることでした。大名でも武士でも庶民でも、養子を迎えて家の存続を図るのは当然。「家」は「血脈」より大事でした。

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(承前)「血」がそれほど重視されないので、性行動もずっと自由。子供は地域全体で育てるものでした。幕末に来た外国人は「子供が誰も微笑む国」と一様に感動を表しています。その一方、半裸の女性の姿や、あからさまな性行動、春画には驚きと嫌悪感を示しています。

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(承前)そして、江戸時代の庶民の離婚率はびっくりするような高さです。ある村では3割にも達していました。宗門人別帳を詳細に分析した歴史人口学の成果です。妻は一生、夫に尽くし添い遂げる。堅苦しい武士の哲学・朱子学の幻想に、庶民は縛られることはなかったわけです。

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(承前)そんな状況は、西欧のルールに身を合わせようとする近代国家には都合の悪いものです。前時代の悪弊として断じ、一夫一婦制が出てきます(ただし、女性の側にだけ強制するものでした)。

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(承前)「つつましやか」「しとやかさ」は、江戸の武家、そして明治以降の国家にとって、都合のよい女性像に過ぎないのです。武士より圧倒的に人口の多い庶民は、もっと猥雑でたくましい人々でした。

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(承前)ですから、保守政治家が「日本女性のよき伝統を守れ」とジェンダー論に反発するのを聞いても、何だか浅薄に感じるのです。それがよいという人を、否定はしませんけども、そんな伝統はあったのかなあ、と。

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