藤原帰一の「守護霊」が話した内容をまとめた本が刊行されているようです。改めて申し上げるまでもありませんが、私はこの「守護霊」の発言に一切関わりはありませんし、この書籍の刊行にも全く関与しておりません。その書籍における「守護霊」の発言について責任を負わないことを申し上げます。
ひ、ひどい話だ(しろめ)>RT
守護霊ってつければいいってもんじゃないよと。しかも書籍表紙の「守護霊」って部分の文字ちっさいし!
「まったり過ごしたいアナタへ文鳥ソフトクリームのお届けです♪」
※当店のフレーバーはゴマ塩バニラのみでございます pic.twitter.com/3dLrk2Hulc
.@uchida_kawasaki さんの「緩慢な100mSvの被曝によって生涯のがん死リスクが0.5% 上昇すると言われるが、そのベースとなる値は?」
とりあえず資料としてピックアップ… togetter.com/li/643911
つか不適切とか言い切るくらいなら、ちゃんと本人に指摘すればいいじゃないか。
陰でグチグチ言ってるって辺りが気に入らないし、直接言ったら論破されるからじゃないの?とかド素人が言ってみる。
つかエアリプで呟いてる自分に対して、壮大なブーメランだと気づいた(;´Д`)
…いかんな、どうにも。
ちょっと頭冷やさなきゃ。
表現を消し去りたいのか?と言う言葉に込められたものは何なのだろう。
表現には自由があるが、表現自体には責任はない という意見も見た。
例えば全くのフィクションとして、私が脳内で思い描いた環境・人物で描いたものならば、それを表現するのに、なに一つ制限がないというのだろうか。
私はそれでも制限はある、表現者として責任はあると思う。
例えば、あまりに社会倫理から逸脱した内容を表現したとして、不特定多数の人物が観る場所で無制限に公開していいとは思わない。
時には年齢指定や、閲覧注意表示、配信する内容への説明等、表現者として配慮すべきだと思う。
ましてや、実際に存在する地名や場所等を、登場させる時、その影響力について全く考慮せずに表現するというのはどうなのだろうか。
しかもほぼノン・フィクションという体裁で表現するとすれば、配信する時期やタイミング、引きや内容のフォロー等を事前に十分に吟味して出すべきだと考えてる。
「表現を消したりたいのか?」という問いかけについては、件の人物は作品についてではなく、自分の不安とか心のつぶやきのようなものをも消し去るのか?と言いたかった、それが本音なのではないかと思う。
あの作品は、安全とは信じられない人にとっては、代弁者のような存在なのかもしれない。
しかし、もう3年が経過した。まるで地獄絵図になると吹聴したデマッター達の言ったことは、今、自分の目の前に展開されているだろうか?
目の前の現実を信じられないからと言って、自分の不安の代弁者として、ああいう問題のある表現にしがみついてどうなるというのだろうか。
美味しんぼは福島の鼻血が被曝によるものと明言はせずに印象操作する悪質さと姑息さが批判されているのに、鼻血を出したことが不当に批判されているかのようにすり替える人は、鼻血よりもご自分の理解力を心配した方がいい