ちびたの冒険生活

猫と息子とハニスケ

もって生まれた性格は。

2020-10-19 | 私のお仕事(本業)

住宅コーディネーターになりあっという間に時間が過ぎた。

私にできるだろうかと迷っている暇はなかった。

自分でも予想以上のスピードでスキルを習得している。もともとモノづくりをしていたせいでこういう仕事は嫌いではないけど建築業だけは避けてきた。

友達の勧めがなかったら選んでいなかった。

 

入社してみたらびっくり。社長はパワハラが息して歩いているようなタイプで、一緒に働く同僚はこれまた桁外れに自己中心的な女性だった。

正直何度逃げたくなったかわからない。

ただ以前の職場よりもある意味悪いのにここの方がずっとましだと思えた。

なぜならみんな正直だからだ。

どんなにわがままでも、どんなに高圧的でも、嘘つきや裏切りであふれていた以前の職場に比べるとはるかに信用できる職場だった。

心の中が黒い上司に従うことに疲れていた私はもう二度とあの会社には戻りたくなかった。

周りからは私のスキルについてもったいないと何度も言われたけど、それでも心が疲れてしまえばもうなにもしたくなくなる。

以前の職場で何があったのか職安で何度か聞かれたけどどうやって説明すればいいのかわからないし、とにかくもうかかわりたくなかった。

私はちょうど私生活でDVを受けていた時期だったことも重なって前職場の状況を耐えられる精神力をなくしていた。

やめると決めたとき正直「あーもうなにも気にしなくていいんだ」と思うことの方が大きかった。

当時私は上司からセクハラを受けた。今となって思えばとんでもないことだった。それでも1年以上は我慢していた。

そのことをだれにも訴えずに私は黙っていた。

ただ何となく、あーもう長くこの会社にはいないだろうと踏ん切りがついた。

私がDVやセクハラ受けたことはこの世の女性が受ける現実なのだ、これが被害者の感情なのだ。私はそんな風に思って以前よりももっと女性の権利について学ぶようになり、そしてその会社がどんなに偏ったところだったか次第に気が付いていった。

弱い人に対して平気で虐げる。障がい者へのパワハラ、正直に意見を言った人へのパワハラ、これまで頑張ってきた人への無関心、強いものだけで固めあって守りあって立場の弱い人をずっと弱いままで利用する。その状況に気が付いたら何も怖くなくなった。

もう十分私はこの会社に尽くした・・・・そう思った。

 

最後に私の背中を押したのは私のパートナーのハニスケさんだった。

彼は私がどんなに当時苦しんでいたのかたぶんすべてを理解していない。むしろ私がそのクリエイティブな仕事を辞めることを惜しいと彼は思っていたかもしれない。

だけどハニスケさんを通して世界にはもっといろんなことがあり、もっと世の中は広く、クリエイティブな思考は自由な心から生まれるのだと気が付いたのだ。

私は現在の会社で昭和なパワハラを受ける。ただもう私は黙ってない。それが許される時代ではないことを知っているからだ。

私ははっきり社長へ言う。「今時そんな言い分とおりませんよ。ただのパワハラですよ。あなたは責任の所在ですが、私たちとあなたは人間として違いがない。人としてあなたから見下される理由がないんです。もう一度社長としての心を勉強してください」

「法律に触れるような自分勝手な注文を言わないでください」「みんなにも家族がいるんです。あなたが昔24時間働けたのはあなたを助けてくれた奥さんがいたからです。」「あなたが社員を守るから私たちもあなたを守ろうと思うのです」「あなたの心はお客様へ響きます。」「あなたがどんなにわがままでも私はあなたが社長として大事なものを持っていると気が付いています。」「あなたが嫌いなことは私たちも嫌いなのです」・・・・・

 

私ほど彼に対して文句を言う社員はいないだろう。彼はとても悩んでいたようで私は偶然彼がアドバイザーへ送ったメールを見た。

「社員が僕の未熟なところをほかの社長と比べます・・・」

私は大笑いした。

 

そうか。彼ℏ少しはなやんでいたんだな。何を言ってもわかっているのかどうなのか私には見えなかったからそのメールを見たとき私は大笑いしたしホッとしたし少しは優しくしてやろうと思った。

 

私には一緒に働く同僚がいて彼女は私たちを困らせる。社長のわがままと彼女のわがままのせいで私はダブルの荷物を持っている。

彼女の頑固な部分は社長よりも固く、彼女は社長よりも疲れるので私は彼女と戦わないようにしている。

彼女はただ真面目なんだ。それを彼女が周りにも求めるから周りが疲れる。

彼女はただいつもまっすぐ前を見ようとしている。それがいつもやりすぎる。

 

社長も彼女も本当にわがままで、自分自身には甘く、どうやってこういう大人になるんだと思うことが多い。

 

ただ彼らはいつも正直だ。彼らはいつも裏表がなく、人を裏切らない。

私がこれまでの人生で一番疲れた人種、腹の中が黒い人間。彼らはそういうタイプの人たちではない。

パワハラがあろうが、文句ばかり言うスタッフがいても彼らがただ正直であるだけでこんなに私は救われる。

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計画は進むよ準備も着々と。

2019-08-05 | 私のお仕事(本業)
私はこの度ちょっとした作戦を実行することになりました。
この年齢ではたぶん遅いくらい。

でも今を逃すともうチャンスは厳しくなります。

今日、びっくりするツイッターを見つけてしまった。


全く英語が話せないままでいきなり渡米しモデルを始めた80キロの女性。


私より大分若いけど、昔はそんなことなら私にもやる元気があったよなあ。



私は20年前、いきなり渡米して周りは困惑。
もう二度と日本へ帰って来るものかとまで思っていたのに結局帰って来てしまいました。

ただ、どうしてだかめぐり巡って縁がくるもの。


私には自分でもびっくりするようなチャンスが立て続けにやってきました。

そっちの方へ進まなければならないかのように。

仕組まれたようにして。


みんなで頑張ります。私と、私を支えてくれるみんなのために。
そして一緒に取り組んでくれる仲間と夢を掴むまで頑張ろう!!!
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教授たちと

2018-04-12 | 私のお仕事(本業)

私の仕事は特殊なことがものも仕組みも人間関係もすべていつものことで、私という立場いつもそういった仲間達をつなぐこと。
お客様を別なお客様につなぐこと。

職人を、会社を、地域を。

そんなことばかりの毎日でそれが楽しい。


この日私は大学の教授や専門員といろんな話しをした。

どうにか真心のある力の使い方で、組織として立派な決断力と実行力とで進みたい。そのために自分たちがどうあるべきかこれまで何がまずかったのか。そんな話しを静まりかえることもなく永遠と話していたくなる程話した。

先生はうれしそうにたくさんの夢や、自分にこれまで起こってきた出来事を話してくれた。

私は頭を下げた。

「先生に、これまで私は相談しませんでした。もっと早く話していればよかった。すみませんでした。」


先生は
「君たちにボクが冷たく見えたのはボクの責任でもあります。申し訳ない。」


私達は随分遠回りした。


だけど私の仲間達からのメッセージを伝えた。そして先生のメッセージもみんなに伝えた。やっとわかり合えた。

これから大きくなるこの組織のため。そして地域がしっかりと底上げされるように企業として、住んでいるものとして損得勘定だけに振り回されずしっかり地に足を付けて行かなければならないと心底感じた。


コアメンバーの組織を作らなければ。これは県をまたがってでも。

前向きに取り組んでいきましょうと市長はいっていた。教授は研究者だから言葉に遠慮がない。
市長がそういってくれたことがありがたくて、教授に「先生の毒舌を治してくださいね」というと大笑いしていた。

いつどんな風に自分の仕事に結びつくのかわからない。でもここまで私を信頼してくれていることを大事にしたい。
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改めて反応されてますます反省したこと

2018-02-08 | 私のお仕事(本業)
最近、仕事を起業することを勉強している異業種の全国版のような会の中で私がしている活動について知りたいという方が多かったので山と人が手を組むということはという内容で説明書を作って提出した。

予想以上の大反響で「そんな話しだったって知らなかった」とか「スケールがすごい」とか「普段の仕事に役立つ」などたくさんの言葉をもらった。

どこのエリアも同じことで奮闘していたんだということを目の当たりにした。

自分だけが努力が足らないとか、まわりの動きにイライラしているのかと思っていたけれどそうでもない。

どこのエリアの担当も私と同じ悩みを持っているんだと思った。

その彼らの力に私の話が役に立ったのだとするとこれまでの葛藤は無駄じゃなかった。
私は地域の作家を集めて30人程度のものづくりグループを主宰しているのでこの内容を発進することにした。

改めて足下からだとつくづく感じたからだ。

見たことあるでしょ。聞いたことあるでしょ。でもそれがなんなのかわからないよね。
それは私達担当しているメンバーの責任でもある。

早速反応があった。意外にも地元出身者で他県で活動している人の方が多い。


今月、私はまた海外のメンバーと話しをする。そこで日本の取り組み方を話したい。この場所の頑張りと失敗をちゃんと伝えたい。
よかったことも悪かったこともそれを経験を共有してみんなで作り上げることに価値がある。

私の報告書はそういう内容だ。

先月、私を招待したいと役所に申し入れをしてくれた海外メンバーがいた。

私はその申し出にふさわしいことをしたい。
そういう存在にならなきゃいけない。

つくづく思う。この仕事の大きさを年々知っていく。


今回のみんなの反応をみて、ますます自分の置かれた立場がわかるような気がした。
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地元活性のプロジェクトで。

2018-02-05 | 私のお仕事(本業)
去年、暮れにでかいプロジェクトに加わった。
それも2件立て続けに。

一つはフィンランドから本物サンタを連れてくる。

正月の全国放送で流れていた。正確には彼が空港で偶然東京のテレビ局のクルーに見つかってしまってそのままついて来られたという感じで、フジだか日テレだかで流れた。

この田舎でその放送よりもずっと前に大事件になって民放ではバンバン流れていた。


私はセカンドメンバーで加わったんだけど結局いろいろ開発の部分はほとんど任された。

これは市長だの地元の大手の企業だのバタバタしたけれど大きかったのは孤児院に行けたこと。


彼が孤児院へいってくれたことがなによりうれしかった。



そしてもう一つはモンゴル。

モンゴルで横綱と協力して向こうのチビッコの願いを叶えること。


これは大金が必要で横綱は必死だった。何度も自発的に動画を撮ってくれた。

日本の伝統は土から職人から全てこだわって伝えられた。


この仕事は二つとも、これからの子どもを喜ばせるために大人が必死でやったこと。


加えてくれて本当に感謝している。



そしてまた来た。今度は大人達のため。


大人が大人達のために全国の大人へ発進すること。


何ができるかな。今度はホントのファーストメンバー。素案から自分で考える。


寅さんブームを巻き起こす的な仕掛けをこの小さな場所で作り出す。

それぞれなのあるメンバー7人からの奮闘が今週から始まる。


いつもいつも私がこうやってドキドキするようなことに巻き込まれるのは、きっと私がそういう生き方をしようと思うから。

そういう事ならなんとかしたいと思うから。


それがみんなに伝わるんだともう。だからずっとそういう生き方でいたいと思う。
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