ちびたの冒険生活

猫と息子とハニスケ

2024燃って書いてみる

2024-01-28 | 私のお仕事(本業)
母が入院してから私の人生はまた大きく変わりました。
ほんの1年前には想像もしなかったこと。
おととしの私は、人生でベスト5位くらいに入るほど落ち込んでいたかもしれない。
母の認知症と私が体調を崩したこと。

怒っているのか悲しいのかさっぱりわからない。

そんなこんなで自分が何に困っているのか説明ができないような状態でした。

母が完全に入院してから自然と自分を取り戻し、去年は建築関係の学校へも通い、そして現場監督になる試験にも合格

そういう成功体験が私を強くした

相方のポールともお互いの親の話をしたりして、何よりポールは私が思っていることに寄り添おうとしてくれる。
そういう人が一緒にいてくれて本当に神様に感謝だ。

コーヒーを淹れただけで「素敵なコーヒーをありがとう」と言ってくれるこの人に私は衝撃を受けたけどポールは別に当然のことという反応をする。

私たちがこれからもお互いのことを尊重しながら大切にしていけるように努力したいと思う


今年は長年活動しているジオパークについてもしっかり固めていこうと思う。

去年、井村先生から話をいろいろと聞いて私にできることって何だろうと思った。
みんなを支えられるような人になりたいと思う。
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商品を開発するときに思うこと

2022-06-25 | 私のお仕事(本業)
ジオパークの中では商品開発は開発することだけがジオパーク的ビジネスではない。
そんな感じのことは以前からよく話しているけど同じチームの中でもそれが理解されていないので良く意見が食い違う。
私がよく直面する問題は目先の利益を追う人たちだ。

ジオはどうしても両方の側面を気にしなければならないけれどどちらかというと長期的成長の方が大事だったりする。

そこの部分を忘れてしまって早く商品を作れとか、相手の成長を無視した自己中心的な考えで行く人たちというのはそもそもジオパークには向いているのか?ということになってくる。

知名度がないとかあるとかそういうことが問題ではないことを最近では理解できるけど、全くないのも困る。
結局は知名度はある意味必要で、まあこれは概念なのでエシカルやフェアトレードに知名度が必要か?というとちょっとそれも違う。
それと同じでジオパークも知名度が必要か?というと本来の目的を知っている人はそうではないというだろう。

参加する一般人からすると身動きが取れにくいので知名度があってほしい。

ただ先に言っているようにフェアトレードに知名度がないからやらないとかやるとかそういうことなのか?というとちょっとそれは違うようにして、「賛同しているかしていないのか」ということなのだろうと思う。

ジオパークはジオ的側面「切り口を見出す」という新しいものの見方を持っている状態で、わかっているときといないときでは目の前の景色の受け止め方に違いが生まれるのだ。

そこに一房2000円の葡萄があり、それを葡萄として平均的な値段ではないと思うのか、ジオパーク的にストーリーを知っていてその金額に納得できるのかはだいぶ受け止め方が変わる。

その他景色についても、その景色が「なるほどあの火砕流があったからこの滝はこのような形で形成されているんだな」と感じることでただの大量の水が落ちる場所から奇跡的に生まれた場所だと変化する。

ビジネスモデルにすることはただ作ったのかどのようにして作ったのか、ただ何かお金を使って施設を作ったのかお金を地域の底上げに使い住民の力をパワーアップして作られた観光地なのか、そういうことで持続可能なやり方がどちらなのか明確だ。

何かを無駄に消耗したわけではなく、誰かを置き去りにして一発屋のようなやり方をしたわけでもなく、日々の生活を次のステージにシフトアップすることで結果生まれた利益であれば鍛えられた人々は何かに依存するわけではなく自主的な活動結果によってサイクルを作ったことになる。
それがジオパークの求めるものということだ。

そんな取り組みは賛同しているかどうかということで、人気があるからやるとかやらないとかそういうタイプのものなのかは疑問だ。確かに流行りには左右されるだろう。でもそれは所詮乗っかってるだけのこと。
地球温暖化のように流行ろうが流行らなかろうがそういう問題じゃないということをわかっている人は自分の考えで参加する。

モノづくりや活動に関してもどこに比重を置いているのかは結構大切なことだ。
もしも自分たちの組織の名前が目立つような活動に意識が向いているならそれはどこかある一つの会社が儲かるだけを目的にしているようで、ジオパークに賛同して作られた組織は仕組みを作ることが会員を通じて地域に広げることと忘れてはならない。

モノづくりはたとえ試作品であってもそこには『資金』が必要だ。
タダで作ると思うのは大間違いだ。誰かの財産を使って作られるのだ。
それでも行って欲しいのであれば作ることが目的ではなく、企業はそれが世の中に出て巡回してくれることが目的なのだと理解していなければならない。ジオパークに賛同し、商品を開発して欲しいと考えるほど必要なことはある一定の知名度と
パスポートのように使える名前であること、そして受け止めてくれるジオ人口、ネットワーク事業としての口実だというところは育って欲しい点だ。
何かに投資することが何を望んでされることなのか忘れてはいけない。

立場によってジオへの賛同は微妙にニュアンスが変わるのだ。
フェアトレードやSDGsのようなことであれば自分の意思表示として賛同すればいい。

しかしそこに資産を持って開発するものが絡むなら望みのないことにお金を出すのは勇気がいるのだ。
お金とはただの紙だった本来の形を超えて人間の寿命を換金できるものとして存在する。

人は社会に貢献した時間を取っておいて後で使うことはできない。その時間を人々は換金してお札というものに変えることで時間を見えるようにしている。
そのお金を使うことは個人事業者なら投資、一般社員なら会社を納得させるという覚悟を持った取り組みなのだ。

だからこそジオパークの名のもとにある組織はすべて、賛同する個人や企業をサポートする存在でなければならないと私は考えている。
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過去にいった講座のメモ「企業向け商品開発セミナーの感想」

2022-02-28 | 私のお仕事(本業)
過去にいった講座のメモ「企業向け商品開発セミナーの感想」


先日、二日かけて商品開発セミナーへ行って来ました。



講師は販売戦略コンサルタント高峯由美さん。



自信でも化粧品会社で独立されていますが、商品開発や販売戦略で年間300件ほどの相談を受けている方です。



一日目は講話がメインです。



最初から痛いところを突いてきます。



『地方の商品が売れない理由』・・・・仕事柄こういう瞬間を感じることがあります。だけど売り主さんは一生懸命あれやこれやと手を考えていますよね。



まず、①価格がよくない ②認知度を上げる為に必要なお金や時間をかけない ③商品自体にお客さんを納得させる力を持たせていない ④作ることばかりで売るための流れなど具体的に考えていない







この様な原因をあげられました。見ただけでダメでしょと思いますね。でも残念ながらよくある話しです。



『開発に必要なもの』・・・・つまりは人間の手で、人間を相手に・・・ってことです。



①結末やある程度のレベルのイメージ ②マンパワー ③投資 ④そして諦めない執念です。



④番目が特に肝心なところですね。人はできない理由を並べるのは本当に得意ですから。







『売れていくもの』



食べものの場合は①素材感が出ている ②土地らしさ・人らしさ・会社らしさが詰まってる ③ストーリーがある ④わかりやすい







大丈夫という商品はない。いろんな人がいるようにいろんな好みがあるので・・・それは食べものに限りませんね。







今までうちの商品の中にもありますが、売れないものは漠然と作っているものが圧倒的に多いような気がします。



作れるから作ったとか、見たことがないしとか。惑わされるのは「最初だから」です。



ただ最初だっただけなんです。日本人の得意はカスタマイズだったりします。



息の長い商品達に備わっている大事なところは、早かったかというところより目線・ポイント・思いなのでしょうね。



消費という行為をシーンで分けるとすると『悩みや不便を解消する』と『快楽や癒し、幸せを与える』とになります。



誰のどういう欲求を満たすのかとことん考えてみるのもいいですね。







新しい市場を作った商品は強いということで例としてあげられたのが、服に穴を開けずに名札をつけられるクリップでした。私も持ってます。小学生の親にとって、可愛いと思って買った服に名札の穴が開くことは結構傷つきますよね。名札のつけ方が下手な子は生地を少ししか拾わないからそこに重さが集中してどんどん穴は広がります。



しまいには穴がいくつも開いたりして、それが合体したりして・・・



そんな思いをするくらいならちょっとお金を出して道具で穴が開かない方がいい。



でも最初売れなかったんですって。それがマスコミに取り上げられてから長期間No1の商品になったんだそうです。







じゃあマスコミを使えばいいのか???



じゃないんですよ。そりゃお金を払えば広告を載せられます。



でも見せたい相手によっては新聞なのか、フリーペーパーなのか、専門雑誌なのか変わってきます。



イベントごとならフリーペーパーでいいでしょうけど、理想的なのは『記者さんに興味を持ってもらえて取材して記事を書いてもらえる』ことだったりします。



記者というフィルターを介していることがただの広告より信頼性が上がります。



でもほっといたって記者さんは気がつきません。それにお金も時間もギリギリだったりすると広告すら限られたものになってきます。



そんな強い味方はプレスリリース。自分で仕様書を書いて新聞雑誌の会社へアピールするんです。



ダラダラ書いてはいけませんし、自慢話のオンパレードは捨てられます。



記者は初めて知ることです。商品の仕様、特徴とストーリー、そしてめざすイメージを書いて、できればFAXを送る。または市役所や県庁にある記者クラブボックスを使うとかプリントアウトを渡すようにします。



1回でヒットしないのは当たり前。今回の講師の高峯さんは毎日のように書いて雑誌の会社へ送っていたんだそうです。



プレスリリース以外にすごく参考になったのは値付け。



「えい!っとつけるな」と何度も言われました。



商品原価に見合った利益の計算方法など出てきたんですが、今回一番参考になったのは『チャネル』







どういう流れでエンドユーザーに渡るのか。間に入った業者によって利益は変わります。全体でどれくらい売れたのかというよりも、どこで売れたのかということで力加減がかわるんですね。



これは私のようなオリジナルを作っている会社には新しく入ってきた考えでした。







商品作りについて「これは人づくりですよ」と言われました。



斬新でいいものを発信する会社には自由な机があったりと遊び心がたくさんあります。



人は管理され続けると時間が過ぎればいいという気持ちが芽生えてきます。ディズニー社は会社の敷地に動物を放し飼いにしています。



人を創るということと思ったように動く人を作るのは違いますね。そう思うと人の能力を引き出す手助けも様々で、よかれと思っていることも的がはずれていたりして、器と勇気がある人のところに幸せの神様が来るんでしょうね。



商品の話しに戻りますが、商品を売り込むときにものだけ持っていっても不発に終わることがよくあります。



容器やラベルのデザインは特に大事で、新規のお客さんの足を止めるためには大きな影響があります。



デザインを考えるとき、デザイナーに「これのためになにかない?」みたいなのはダメ。



ここで活躍するのが目線・ポイント・思い なんです。



デザイナーだってプロとはいえ人間。人の頭の中をのぞき込むことはできません。







デザインのプロでしょと片付けるのはかわいそうです。



どの商品にもチャームポイントがあります。そこに気がついて欲しいと思うところがあります。



そして売られて手に取られてお嫁に行ってくれるために自分はどんな風にするつもりなのか。



我が子の良さを話すつもりで最初に頑張るところです。







我が子を見違えるように綺麗にしたら、今度はお披露目会場へ連れて行かなきゃいけません。



そこでは「うちの子はこんなにすばらしい」ということを伝えなきゃいけません。



ここで登場するのが仕様書。



仕様書は履歴書。バイヤーは仲人さんです。



自分以外の人の口を借りてエンドユーザーへ伝えてもらうわけですし、もしかすると説明してくれる人がいないかもしれません。



仕様書や品物の様子によってはバイヤーの一押しになって、嬉しい椅子に座らせてもらえるかもしれない。そうなると仕様書も見た目もいい加減にはできませんね。



二日目のセミナーでは仕様書とプレスリリースの書き方を実践しました。



モデルはおむつケーキ。宮崎で作って実際売られているものです。



中に入っているスタイは石巻市で頑張って復興しているお母さん達が手作りしたものです。



赤ちゃんの出産祝いでおむつはハズレが少ないものだと私は思っているので、何を買って良いかわからない男性などにはいい商品でした。



みんな思い思いのチャームポイントを探します。ネーミングもキャッチコピーも考えました。



話しながらその商品がどういう風に売られて、誰に購入されて、もらった人にどう思って欲しいのかどんどん出てくるんです。



そのうちおむつケーキは立派なストーリーと意味と価値を添付されました。



いつか「おむつケーキを送られた赤ちゃんは幸せになる」くらいの存在感ができるといいですよね。



今回、本当に人のモチベーション。人のやる気がどんなに商品へ影響をだすのかあらためてすり込まれました。



高峯先生ありがとうございました♪
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過去にいった講座のメモ「おもてなし講座」

2022-02-28 | 私のお仕事(本業)
講師の先生は古川智子先生。そして上田弥生先生。







そして場の空気をぬるくする「おもてなしお」先生。



この3人です。







古川先生は私が初めて就職した会社で最初にかわいがってくれた先輩にそっくりで、同じ人かと名前を見直したくらいでした。おかげでけっこうリラックスしていました。







おもてなしということは東京オリンピックプレゼンで有名になったような気がしますが、それ以前から古川先生は携わっていたそうです。



今では日本一のおもてなしをテーマにした会社の社長です。







おもてなしは「あの人にまた会いたい」と思ってもらうためであったり「こちらの意を叶えるために」恥ずかしがらず、ふきげんな顔をせずに相手に対して「あなたを大切に思っている」ということを伝える行動です。







どうしてそんなにみんなは気にするのか・・・・というと、創業しても今の時代5年で60%が倒産してしまうのだそうです。これは全国的な話しで首都圏も含めですので地方ではもっと状況は違うでしょうけどね。







そのために変化に対応して生き残っていくということ突き詰めていくと、自然とたどり着くことなのです。







老舗ほど実は柔軟でしたたかで、ふんぞり返らず泥臭く・・・仕事を考えていく必要があるのだそうです。



その中でも老舗にはないといけないものが師弟間、先輩後輩の間で行われる躾、相手を思いやる心、そう言うことが大切。







私の会社は手仕事、職人仕事なので一番必要かもしれない関係ですね。







おもてなしの精神を勉強する中でいろいろインパクトがあったことがあるのですが、中でも「日本人は遠慮する文化」という話しがには心当たりが多くありました。







「別に気にしなくて良いからね」と言いながら本当に気にしなかったらびっくりされる。とか黙っているから不満がないというワケじゃなくて、そっと心の中で吹っ切っているだけ。







そう言うことは自分でもよくあります。







おもてなしはただお茶を出すだとかそう言うことではなくて「心のやり取り」誠心誠意の「思いやり」です。



そこから「ああ~こんなに大事に思ってくれているのか・・・」と感激・感動して頂くことで他の会社やお店に良さがあったとしても「なにか物足りない・あの人に会いたい」という気持ちに向かわせる手伝いをする、それが「おもてなし」という行動です。







おもてなしを頂点だとすると、底辺には道徳・態度・礼儀作法があります。



そこが培われていてこそおもてなしの的を外さない流れができます。







ここで言う道徳・態度・礼儀作法は単に手をそろえてお辞儀をするだとかそういう上辺のことというよりは、倫理観であったり常識であったり昔ながらのことであったり躾であったり、そういった人と関わっていくときに一番大切な感覚のことを指すのだと思います。







逆に人の地雷を踏んでも平気でいられるようなタイプの人が知識として入れていてもそれが本質にそっているのかそこは疑問だなという気がして、こういったことをきちんと理解できる大人になっているということは一番大切な底辺だと改めて思いました。







おもてなしの中で当たり前のことを当たり前に行えて自分が出会う人を喜ばせ、行く先々を輝かせる人のことを『一流人』と言います。



それには8の前提と10のチェック項目があります。







8の前提ですが明るさ・健康的・身だしなみ・やさしさ・あたたかさ・一生懸命さ・誠実さ。以上なのですが、「ああ私は該当してる」と思っているのとまわりにどう写っているのか別ですね。



優しいつもりで話していても「あの人は人間に角がある」と思われているなら優しい口調なだけであって優しい人かは疑問だと思います。



心の中の状態からにじみ出てくる感覚であって、8の前提は表面的につくろったことではなく人として持ち合わせていなければならない倫理観のようなものだと思いました。







『おもてなし』という勉強の基本となっている素材は『江戸仕草』というものです。



江戸仕草は昔ながらの縁起を担いだり、師弟関係、上下関係、そういう躾のようなことがらをまとめたものです。







中には現代ではちょっと不向きなところもありますが、ほとんど大事なことばかり。







その中には仕草が(態度)がよくでてきますが、腕組みをしない、腰に手を当てて聞かない、足をむやみに組み直す、アゴで挨拶をしない、クビであやまらない・・・などたくさん出てきます。



どれもその仕草をした状態でどんなに幸せな言葉を発しても説得力のない仕草です。







この中で良しとされていることは全て相手のこと思えばこその仕草で「お客様本位」の状態。



逆に悪いとされていることは対語の自分本位で、人が人に対して行うことではないものばかりです。







勉強を進めていく中でコミュニケーションとはなにかという話が出ました。







おもてなしの中ではそのことを「意志や感情・思考を伝達しあう力」とあります。



話せばいいということではなくて「わかる力・感じる力」を通して思いやる動きをし、信じてもらえる状態につなげていく関係。







私はよくコミニュケーションのことを「たくさん話すからいいということじゃない」と言っていました。



私の同僚にうちの営業マンから絶大な人気をうけている人がいます。



彼女は物静かで普通よりおとなしい方です。



そんな彼女がなぜみんなの信頼を得ているか。







彼女はみんなが望むことを先に察して動くのです。黙っていてもそっと動いて安心させるのです。



言われたことをやっているだけとは大違いです。



物事の道筋を読んでいて、結末を想像する力があるということです。



これほどのコミュニケーション能力があるだろうかと思います。







相手の感情を想像する力を持っているというのはそれだけこれまでの人生で大事なものを受け止めながら生きてきた人だからです。



そこを養おうと思えば、辛かったこと、腹が立ったこと、悲しかったこと、呆れたこと・・・嫌な気持ちになったことから学ぶものがあるなと思います。



そこから「されて嬉しかったこと」が導き出されるわけですね。







おもてなし重要ポイントが5つあるのですが、その中でも「相手の反応を見ながら話す」というところがあります。



これはコミュニケーションの力量が出るところだと思います。







ときどきそばで聞いていてハラハラするような話し方をする人を見ることがありますけど、相手の反応をみる余裕もなく伝えたいことを早く手放したいという自分本位がそうさせるんだと思います。



そう言う自分に気がつくチャンスがあればいいですが「遠慮する文化」の日本人ですから黙って諦められてしまうの可能性が高いですね。



ただその後は歩み寄ってもらえない関係が出来上がってしまうだけなのでやっぱり気がつかないといけませんね。







最後に人生を切り開くための気づきという話しがありました。







そこにはすべて世の中に対する感謝の気持ちから出てくるような感情で、生きているだけでありがたいと思う心です。







そんな人はきっとブランドになります。企業ブランドや商品ブランドがある中でも『自分ブランド』という存在なります。







ブランドの良さはいろいろありますがとくに私が感じるものは安心感ですね。







人は誰かに喜んでもらいたいと思ったとき、自然とブランド力に頼ります。







あの場所にいくと楽しいよとか、あの店に行くと見つかるよとか、あの会社の車はきっといいよとか。







そこに結果名前がついていて「三越」であったり「ディズニーランド」であったり「トヨタ」だったりするのです。







それが自分にできると嬉しいですね。







「あの人にお願いしたい」になると大成功ですね。
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10年ほど前のインタビューを通して今思うこと

2021-08-15 | 私のお仕事(本業)

10年ほど前に商工会の会報にコラムを書くことになって自宅の片づけをしていたら原稿が出てきました。

いまさらながら読んだら自分でも下手な文章だと思いながらいいこと書いてるとも思ったので紙原稿がゴミになる前にブログに残すことにします。

****************

私は小さいころから絵が得意で、中学に入ってすぐに絵描きの先生に教えて貰っていました。

私は弟子のように先生といろんな絵をかきに行って、思えばなんて恵まれた中学生だっただろうと思います。

高校もその道をまっしぐらで、たった10分の休み時間さえ美術部の部室へ行くの好きでした。

 

そのころ小学生の頃に入っていた合唱団の影響で音楽にも興味があって、私のひいじいちゃんが島民謡の歌い手だったせいなのか遺伝だなと感じていました。そんな自己満足で作曲や作詞をしていました。

小さいころから何となく独学で鍵盤も叩けたので母がそんな私のために誰かからエレクトーンをもらってきてくれました。

私の幼少期は右脳だけのような子供でした。

結局、いつも私は自己満足で芽が出るわけでもなく、出すつもりもなく、ただ絵と音楽が好きだったというだけでしたが絵は私の人生を支え、音楽は私の人生を楽しくしてくれました。

たまに誰かに認めてほしいと思う時もあるけどほとんどは私がそうしたいだけ。

ごく一部の知り合いの中には以前プロを目指していた人もいます。彼らは私に対して「素人さんは」とか「アマチュアで…」とかそういった言葉を言う時があります。

私にはそれがとても滑稽で、小さな器の言葉のように聞こえてしまいます。

特殊印刷の仕事を通して私の絵の部分は本業になりました。

両親が離婚しお小遣いなんて十分にもらったことがない子供だった私は絵の具を買うお金なんてほとんどありませんでした。だから草や花びらの汁で絵を描いたこともよくあります。
ようやく買えた絵の具は原色6色のみで、裕福な家庭の子供は24色や36色の絵の具を持っていました。

しかし私には特殊な目がありました。じっと見るだけで物が何色の集まりなのかわかるのです。

小さいころから色を作り出すことに挑戦していた私は色の配分も見ただけでわかるのです。

たった6色でしたが私には十分でした。その私の目と、自然の中で見つけた色の作り方のスキルが私の仕事を成長させています。

音楽にしてもたまにステージで歌っているくらいでギャラなんて現金のこともあれば商品券のこともあるしたまにはお弁当とジュースのことだってあります。

それでもそこに聞きに来てくれる人がいるだけで私は嬉しいのです。

本物のアーティストほど私に「アマチュア」といいません。

 

絵も、音楽も、それぞれ個人の精神世界をわかるように表現しただけだから。人の心にプロフェッショナルもアマチュアもないのです。
だからアートを楽しんでいる人や努力をしている人に対して「アマチュアだ」とか「素人だ」とか言った途端にもう精神の劣化が始まっているような気がします。

他人を見下したとき、それは右脳で生きるアーディストではなく、とても物欲的でつまらないプライドの人間になるような気がします。

そんな人間になってしまって、どうやって人の心に響く発信ができるでしょうか。

私は絵を描くことが仕事に繋がっていますが、だからといって絵描きを仕事にしていない人に対して「アマチュア」とはいいません。

私が過去に受けたこの経験を忘れずにいたい。相手の技量も知らずに見下すような人としての劣化を起こさないでいたいと思って仕事をしています。

「音楽は耳に聞こえるから体に留まっているのではない、心に響くから体に留まるんだ」と友人から教えてもらったことがあります。

絵も同じでそれを上手に描けるから人を感動させられるのではなくて、心に訴えてくるからいつまでも忘れない景色として覚えているのだろうと思います。

****************

これは息子がまだ10歳くらいの頃に書いたコラムの記事で、自分の仕事を通してこれからの自分の在り方を考えるというめんどくさい質問を受けたときの話なんです。

よくまあこんな簡単に答えられないような質問をしてくるなと当時は思ってたんですが今聞かれても同じように思うでしょうね

現在の私の仕事は建築です。色と何にも関係ないようで実は絵そのものが関係あります。

住んでいるところの絵が見えていなければならない。私にとっては絵にするという2次元の表現が建築という3次元になっただけなんです。

私はこの仕事を始めてまだ浅いのですが、スタッフからもお客さんからも10年くらいたった人のようだといわれます。

もともと私はインテリアをリメイクしたり家のリノベーションが好きでした。元の仕事は特殊印刷なので物を作ることは得意なんです。表現するものが3Dになっているだけで小さいころから好きなジャンルのことをしているだけ。

現に彫刻などの造形物を作っても学校ではいつも表彰されていましたから、10年のベテランに見えると言われるのも個人的には静かに納得してます。

大工さんたちと仕事をするときちょっと感じるのはお客さんを喜ばせることができる大工さんはいつもアーティストのように話すんです。

ときどきただ上手に作れるだけという人はたくさんいます。特殊印刷の世界にもたくさんいました。

ただ上手に作れる人とは機械の操作が上手だったり、道具が好きな人ですね。作り上げる作品に対しての思い入れよりも、道具が好きな人っているんです。特殊印刷なら印刷機が好きな人。そういう人に限って最新技術に興味が向いて昔ながらの職人技とかあまり興味を示さないないんですよね。

アーティスト肌の職人さんは古い印刷物から出てくるその時代の空気を楽しんだりします。

大工さんも同じ。伝統的な文化を自分の仕事と結び付けて考えることができます。

そういう人が作り出す建築物はただの物理的な存在を超えて品格を持っています。そこに住む人が誰かに見せたくなるようなチャームポイントを作り出せる大工さん。

大工さんたちが作り出す家や家具を見て、私は彼らからアーティスト魂を感じることがあります。

 

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