今回は昔の山歩きの記事です。足尾の袈裟丸山です。
歩いた時のことはハッキリと憶えているのですが、それが何年だったかというのはさすがに憶えていません。記録帖で調べてみましたら、1981年の10月でした。そして、この山行の一週間前には荒沢岳に出かけていました。こちらも歩いた時の様子はハッキリと憶えているのですが、袈裟丸山と同じ年に登っていたというのは意外でした。この1981年は初めて乳頭山・駒ケ岳(秋田)を歩いた年でもあり、他にも記憶に残る山行の多かった年でした。
袈裟丸山は今では車で林道の奥まで入ることができ、容易に日帰りができるようになったようです。でも、日帰りができるようになったことが、はたしていい事なのかどうかは難しいところです。とにかく山頂に立てればいいと考える人達にとっては歓迎すべきことかもしれませんが、その山の雰囲気をじっくり味わいたいと考える人には迷惑なことかもしれません。
27年前、まだ国鉄だった両毛線で桐生に向かい、そこで足尾線(現在の「わたらせ鉄道」)に乗り換えました。
降りたのは山の中の寒駅(寒村になぞらえて) - 沢入(そうり)駅で、そこから歩き始めました。
しばらく林道を進み、そこから塔ノ沢沿いの道を登っていきました。途中「寝釈迦」がありましたが、帰りに寄ることにして先を急ぎました。
当初は賽ノ河原の下の避難小屋に泊まるつもりでしたが、なんとなく陰気な雰囲気だったので、明るく開けた賽ノ河原にテントを張ることにしました。水は避難小屋の脇の沢から汲み上げました。
この日会ったのは、避難小屋に泊まった男性と賽ノ河原より少し先にテントを張った男性の2組だけでした。
夕刻には空が赤く染まり、素晴らしい夕焼けになりました。
下の避難小屋に泊まっていたら、この夕焼けは見ることができませんでした。
実際の夕焼けは色褪せた写真と異なって、たいへん綺麗で強く印象に残っています。
翌日も素晴らしい快晴の天気でした。
テントはそのままにして、袈裟丸山を往復しました。
道は笹の中を進んで行った記憶があり、部分的には踏み跡がわからなくなる場所もありました。
もはや、詳しい撮影場所はわかりませんが、おそらく小丸山から撮ったものと思います。(クリックで拡大)
これも詳しい撮影場所は不明です。(前)袈裟丸山と北に続く峰々です。
(前)袈裟丸山は、南側が開けていました。山頂は貸切り状態でしばらくのんびりしました。
賽ノ河原まで戻り、テントを撤収して、来た道を沢入駅まで戻りました。
途中、「寝釈迦」に寄りました。今思い出しても、あんな山の中によくぞあのような大きなものを、と昔の人々の信仰心には驚きです。
沢入駅でしばらく列車を待ちました。やってきた列車は超満員で、大きなザックでの乗車はつらかったです。しかも、満員状態は終点の桐生まで続きました。
その時は何故こんなにも混んでいるのか理解できませんでしたが、今になって思えば、それは紅葉見物の人達だったのだと思います。当時は車で出かける人より、列車で出かける人の方が多かったはずですから・・・。
週末の二日間、快晴の天気の下、実に静かな山歩きを楽しむことができました。
歩いた時のことはハッキリと憶えているのですが、それが何年だったかというのはさすがに憶えていません。記録帖で調べてみましたら、1981年の10月でした。そして、この山行の一週間前には荒沢岳に出かけていました。こちらも歩いた時の様子はハッキリと憶えているのですが、袈裟丸山と同じ年に登っていたというのは意外でした。この1981年は初めて乳頭山・駒ケ岳(秋田)を歩いた年でもあり、他にも記憶に残る山行の多かった年でした。
袈裟丸山は今では車で林道の奥まで入ることができ、容易に日帰りができるようになったようです。でも、日帰りができるようになったことが、はたしていい事なのかどうかは難しいところです。とにかく山頂に立てればいいと考える人達にとっては歓迎すべきことかもしれませんが、その山の雰囲気をじっくり味わいたいと考える人には迷惑なことかもしれません。
27年前、まだ国鉄だった両毛線で桐生に向かい、そこで足尾線(現在の「わたらせ鉄道」)に乗り換えました。
降りたのは山の中の寒駅(寒村になぞらえて) - 沢入(そうり)駅で、そこから歩き始めました。
しばらく林道を進み、そこから塔ノ沢沿いの道を登っていきました。途中「寝釈迦」がありましたが、帰りに寄ることにして先を急ぎました。
当初は賽ノ河原の下の避難小屋に泊まるつもりでしたが、なんとなく陰気な雰囲気だったので、明るく開けた賽ノ河原にテントを張ることにしました。水は避難小屋の脇の沢から汲み上げました。
この日会ったのは、避難小屋に泊まった男性と賽ノ河原より少し先にテントを張った男性の2組だけでした。
夕刻には空が赤く染まり、素晴らしい夕焼けになりました。
下の避難小屋に泊まっていたら、この夕焼けは見ることができませんでした。
実際の夕焼けは色褪せた写真と異なって、たいへん綺麗で強く印象に残っています。
翌日も素晴らしい快晴の天気でした。
テントはそのままにして、袈裟丸山を往復しました。
道は笹の中を進んで行った記憶があり、部分的には踏み跡がわからなくなる場所もありました。
もはや、詳しい撮影場所はわかりませんが、おそらく小丸山から撮ったものと思います。(クリックで拡大)
これも詳しい撮影場所は不明です。(前)袈裟丸山と北に続く峰々です。
(前)袈裟丸山は、南側が開けていました。山頂は貸切り状態でしばらくのんびりしました。
賽ノ河原まで戻り、テントを撤収して、来た道を沢入駅まで戻りました。
途中、「寝釈迦」に寄りました。今思い出しても、あんな山の中によくぞあのような大きなものを、と昔の人々の信仰心には驚きです。
沢入駅でしばらく列車を待ちました。やってきた列車は超満員で、大きなザックでの乗車はつらかったです。しかも、満員状態は終点の桐生まで続きました。
その時は何故こんなにも混んでいるのか理解できませんでしたが、今になって思えば、それは紅葉見物の人達だったのだと思います。当時は車で出かける人より、列車で出かける人の方が多かったはずですから・・・。
週末の二日間、快晴の天気の下、実に静かな山歩きを楽しむことができました。