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立山

2007年09月06日 | 山歩 - 東海・北陸
しばらく山に出かけていませんので、過去の山歩きを紹介したいと思います。1990年の9月に出かけた立山です。

この時は、山歩きを始めたばかりの会社の後輩が立山に行きたいというので、一緒に出かけました。そして、どうせ行くなら富山から大町にぬけたいという後輩の要望にこたえて、富山に向かいました。

昼過ぎに富山駅に着き、電車・ケーブル・バスを乗り継いで室堂に向かいました。下は薄日が射していましたが、室堂まで上がってくると、そこはガスが立ち込めていました。

一ノ越まで上がり、そこの山荘で宿泊手続きを済ませ、時間があったので浄土山を往復しました。浄土山ではトウヤクリンドウが咲いていたのを憶えています。山荘に戻ってもまだ周囲はガスでしたが、夕刻近くになり急に晴れてきました。やがてガスは完全に晴れ、夕日の中に飛騨山脈の山々が見事に姿を現しました。夕食の時刻になっても、宿泊客はこの展望に見とれていて、誰も食堂に向いません。山荘の人が出てきて大声で早く食事をして下さいと叫んでいましたが、本当に食事をするのがもったいない位の眺めでした。結果として、室堂に泊まらずに一ノ越まで上がってきたのが正解でした。しかし、何故か写真が一枚も残っていません。

尚、出かけたのは土曜・日曜でしたが、9月ということもあって一ノ越山荘はガラガラでした。我々にあてがわれた大部屋は全部で5人で、好きなだけの布団を好きな場所に好きな方向に敷いて、ゆったりと眠ることができました。

翌日も前日の夕刻の状態が続いて文句無しの快晴となりました。早々に雄山に向かいます。

この日は一日中好天に恵まれ、素晴らしい眺めの連続でした。



雄山から逆光に逆らって四阿山・浅間山方面。手前は鳴沢岳・赤沢岳の稜線。



雄山からの眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。(薬師岳・五色ケ原の部分が変色しています)

《 注 》 山名付きにおいて「御岳岳」とあるのは「御岳山」の誤りです。

雄山から大汝山に向かいます。雄山まではそれなりに人がいましたが、雄山を過ぎると急に人もいなくなりました。



大汝山から針ノ木岳方面の眺め。下は黒部湖。



大汝山から別山。その先に剣岳。



大汝山から後立山の山並み。クリックで拡大。山名は別山からの眺めの写真を参照してください。

続いて別山です。硯ケ池には全く水はありませんでした。「砂原」が広がっているだけでした。

最初別山は貸切の状態だったのですが、そこへTVの旅番組のロケ隊がやってきました。「旅人」は有名なTSでした。何回かセリフを練習した後に、撮影していました。旅番組なのに、台本があるということです。私は見ませんでしたが、後でこのTV番組を見た後輩は「ウソばっかし」と感想を言っていました。



別山から針ノ木岳、を撮ったものではなく、中央奥にかすかに見える(ように感じられる)富士山を撮ったものです。元の写真では確認できるのですが、わからないという人はここから。それでもわからないという人は諦めて下さい。



別山から遠くに浅間山方面。手前は爺ケ岳・岩小屋沢岳の稜線。



別山から剣岳方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。



別山から後立山方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。



別山の下りからの剣岳。



別山の下りから雄山・浄土山方面の眺め。クリックで拡大。山名付きはここから。

室堂に下りて、みくりが池温泉に入ってサッパリしました。みくりが池温泉は山歩きをしない家族でもやってこれるので、一度家族で宿泊したこともあったりして、何回か入ったことがあります。単に温泉としてみてもなかなかだと思います。

後輩も絶好の天気に恵まれて十分に満足したようでした。最後はいささかバテ気味でしたが・・・。

後は扇沢まで順番待ちもなく展望を楽しみながら、バス・ロープウェイ・ケーブルを乗り継いでいきました。このルートは標高も高いですが、乗り物の運賃も「高い」です。

こうやって残っている写真を見ると、現在に比較して撮影枚数が少ないのは当然としても、稜線からの展望写真しかありません。みくりが池の写真さえありません。当時は、写真を撮るということに熱心とはいえませんでした。それでも、この日の分としてこれだけの写真が残っているというのは、絶好の天気のおかげだと思います。尚、撮影場所については一部記録が残っていないものがあるので、一部誤りがあるかもしれません。
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