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●映画・・ 「少年メリケンサック」

 シリアスな役柄しか見たコトない上に、あの「篤姫」で国民的女優とまで呼ばれた人気と、丸顔大きな目東南アジア系清純美少女雰囲気だけに、この役この演技をこなすのには正直驚いた。
コミック風コメディーの今風ギャグ少女を違和感なく自然にやってのけているのは見事だ。イヤな雰囲気を出さずに自然に笑わせる。これはすごい女優さんだな、と感心した。

 実は僕は生まれてこの方、NHK大河を見たコトないので「篤姫」もどーだったか知らないが、あの国民的人気は単に自然流行に乗ったアイドル人気ではないのだ。 偶発的に生まれたアイドル人気ではなく、ちゃんと裏打ちされた実力があるのだ。宮崎あおいは実力派女優です。


 宮崎あおいがあの役を見事にこなしたからこそ、このコミック映画を自然に笑えて面白く見れた。監督・脚本の宮藤官九郎さんも、生活ドラマストーリーをコミックギャグ映画やドラマに仕上げさせたら、その才能はすごいね。独特な、こーいう味、趣向、傾向のモノを、作り出せるのは、現代ではこの人だけだろう。

 宮崎さんも一度結婚したからこそ、あの役をやりこなせたという気がする。別に離婚すると決まったワケではないが。ウワサが・・。
僕は個人的にはアフラックのCMは気に入らない。

 

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●映画・・ 「ロボ芸者」

 テレ東系の深夜ワクで“シネ通”ていう番組やってて、それで「ロボ芸者」て新しい特撮SF映画を紹介していたけど、かなり面白そうだった。オタク的マニアックB級映画。 SF活劇だけど、何か大昔のアメリカB級SFティスト満載な感じで、エロ味も入ってるし、ちょっと馬鹿馬鹿しくもカッコ良く楽しめそう。 マニアのオジサンが造りました、って感じ。是非見たい映画ですね。 実写版“キューティーハニー”“キャシャーン”みたいになってなきゃいいけどな。まァ、あれらはあれらで良かったんだけど。

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●映画・・ 「ミュンヘン -MUNICH-」

Photo Photo_1  今回のタイトルは、カテゴリ分け「映画」で、お題はアメリカ映画「ミュンヘン」になってますが、この映画「ミュンヘン」は僕が今月初めにDVDで見た、スティーブン・スピルバーグ監督作品の映画です。最初、僕は「MI-Ⅲ」等のミッション・イン・インポッシブルシリーズのような、ど派手なアクションシーンが入ったスパイものを期待して手に取ったのですが、カバージャケットをよく読むと、実際にあった襲撃テロ事件とその後の周辺事件を、事実に忠実に描いてエンタメ映画として制作したものであり、その発端の事件が72年のドイツ・ミュンヘンのオリンピック村襲撃虐殺テロであり、その報復の暗躍をスリリングに描いているようで、ドイツ舞台といえば古い映画になるけど、主演ジョン・ボイドの「オデッサファイル」を思い出して、あのサスペンスタッチの雰囲気と似たものを期待して、この「ミュンヘン」を見たのですが、やはり事実に基づく映画なだけに派手さはありませんし、エンタメサスペンスのような意外な展開やどんでん返しの驚きがある訳ではありません。でもなかなか良い映画でした。これはスティーブン・スピルバーグ監督の反戦映画ですね。

Photo_3  朝晩がめっきり冷え込んで来た感じで、朝方寒くて、思わず夜中に蹴脱いだ毛布にくるまる。朝の寒さに鼻水が止まらなくなり、ティッシュでかんでもかんでも止まらぬ鼻水のいやらしさにカプセルの鼻水止め鼻炎薬を飲むと、一日中眠くてかなわなかった。で、上の映画「ミュンヘン」の続きの話になるんですが、10月初めに見たDVD映画の事でも記事に書こうかな、と思っていたら10月9日に何と、北朝鮮の核実験実施の発表があった。我が国日本を仮想敵とする隣国北朝鮮の、7月の日本海ミサイル連射事件に継いで、衝撃のニュースが飛び込んで来て、僕もこれは、スピルバーグの反戦映画「ミュンヘン」を語るならば、この度の北の核実験について、ひいては人類の愚かな所業、人類を60回も全滅出来るだけの量を世界で保有という、悪魔の絶滅兵器、核についても語らねばならぬと思い、人類平和への希求の書き込みに意気込んだが、なかなか筆が進まず、ブログ記事が書けない。やはり事があまりにも重大な事柄だけに、僕もちょっとひるんでしまったみたいなのだ。実際、10月入ってから、その前からでもあるんだけれど、ブログ記事が何だか書けなくて、やる気が起きなくて、気分的にノラなくて駄目だった。だから今回の記事は、やる気が起きないところに持って来て、大きな問題を扱おうとしてひるんで、それでも何か記事を書き込もうとして、どーでもいいところから入って行って、どーでもいい記事が中途半端になった書き込みの寄せ集め、という記事になってしまった。だからこれからの下記記事は、実は10月10日過ぎくらいから先にぼつぼつ書いた文章なのだ。という訳で、今回は寄せ集め記事です。何の脈絡もなく段落で、突然内容が変わります。ちゃらんぽらんな構成記事で、どうも申し訳ありません。

 日曜朝の日テレ系のトーク番組に、怪人アラマタンがゲストで出演してまして、やっぱり変わった人ですね。ちゃんと普通のしっかりした奥様を貰っていました。怪人アラマタンはその昔、江戸風俗研究家で非常に個性的な漫画を描かれていた女流江戸漫画家、杉浦日向子さんと結婚をしてました。が、半年で離婚してしまいました。その時、確か「噂の真相」か何かでアラマタンのゴシップが載って、怪人アラマタンの女癖が悪くて杉浦日向子さんが辟易して別離たのだ、とか一方的にアラマタンに非があるように書かれていたように記憶していますけど、僕の十数年前の記憶だからあんまりアテにはなりませんが、その時、僕は確か、この人がそんな器用にあちこち女遊びが出来る人にはとても思えないけどなあ、と感じたものです。と思う。そう思っていたら、日曜トーク番組見てると、やっぱりそうでした。怪人アラマタンは女に不器用な人だったんです。また相手の杉浦日向子さんは非常に個性的な人だし、どっちも変わり者じゃあ合わないはなあ。無論、杉浦さんといえば若い頃は可愛くて可憐なお嬢様みたいな漫画家でした。僕は当時、マニア向け漫画専門誌の若かりし時の写真を見て、可愛い人だなあ~、とうっとりしたものです。変人という意味では怪人アラマタンの方が横綱級でしょう。僕は怪人アラマタンの著作といえば、ベストセラー怪異小説「帝都物語」くらいしか知りませんが、トークで話してたんだけど、昔、平凡社で会社に寝泊りしてライフワークの大博物図鑑を私費を投じて編纂刊行し、莫大な借金を作って、「帝都物語」のベストセラー印税で調度、それをペイ出来たんだって。昔の話ながら良かったですね、借金残らなくて。番組トークの荒俣宏さんの話は非常に面白かったです。実物は身長185センチの巨漢でびっくりしました。「帝都物語」は昔、映画公開前にビグコミスピリッツで短期連載されているのを、当時雑誌で読みました。僕は「帝都物語」「帝都大戦」共にビデオで見ていて、とても面白かったです。

 作家荒俣宏さんは今でも一日に3冊くらいは本を読むという。すごいな、とびっくり。新書判なんかは一時間で読み終えるという。驚異を感じると共に羨ましい。僕なんか今は全くといっていいくらい本は読んでない。駄目だ。やっぱりね、脳味噌を鍛える一番の方法は読書ですよ。読書は脳味噌トレーニングの不動の王者です。僕が今、読むのはせいぜい週刊誌の記事くらいなものだもんな。堕落じゃ。荒俣宏さんは眼鏡を掛けてるし近眼だろうが、年齢的にも老眼も入ってるんだろうが、読書に対しては眼の弱さは支障しないのだろうか?僕なんか荒俣宏さんよりもずうっと若いのに、もう眼が弱りきってて、長い読書は苦痛です。今は、読書に向かう知的好奇心も薄れてしまってるしなあ。ホント駄目だなあ。昔、速読の本を何冊も買って来て、何回か速読にチャレンジしたが駄目だった。けっこう根気良くハウツー本に沿って独学練習した事もあったが無理でした。いつもその内投げちゃったしね。最後は、こんな読み方では読書が全く面白くない。読書の味わいが無い、なんていって、自分で納得してやめて。実際、面白い小説をじっくり味わいながら読んで行くのには適さないよね、速読法というのは。しかし万能評論家の立花隆さんなども一日3冊はラクなもんだろうしなあ。あの方は毎日5冊くらいは行ってるんじゃなかろうか。僕には一日2冊読む人は人間ワザではないと思う。一日1冊でも僕にはものすごいことに見える。

 荒俣宏さんて、「帝都物語」からこっち、小説は書いているんだろうか?僕は荒俣宏さんの著作は1冊も読んだ事ありません。どうも済みません。昔、15年くらい前か、「週間(週刊)少年マガジン」の創刊から70年代までの懐かしい記事やヒット漫画や当時の誌面構成紹介の、ノスタルジックグラフ誌が刊行されて、その責任編集の一人が荒俣宏さんで、そのグラフ誌に書いてある解説文やエッセイ評論などの文は、荒俣さんのものを読んでいるけど、それくらいだなあ。雑誌に書いたコラムやエッセイなどでは幾つか読んでいるかも知れない。「帝都物語」って伝奇SFになるのかな。大時代で歴史的な怪奇ものですよね。スピリッツで漫画版と映画はビデオで見てるけど。陰陽師系の呪術、妖術や魔術の世界でもあるんだけど、映画版の「帝都大戦」ではサイキックだよね。だからあれはSF的。「帝都大戦」の方の南果歩熱演のサイキック美女は良かったなあ。荒俣宏さんは昨年夏公開の映画「妖怪大戦争」の制作の中心的プロデューサーの一人だったよね。怪人アラマタン、好感持てる、巨漢知性者ですね。「妖怪大戦争」の魔人加藤保憲はトヨエツが好演していたけど、「帝都物語」の本家魔人加藤保憲役やった、怪人俳優嶋田久作さんは今はどうしてるんだろう?東大出て植木職人していたという、この人もとても変わった人だったけど。 

 話は変わりますが、まあ、映画つながりで。あややの「スケバン刑事」コケたらいしですね。「スケバン刑事 -コードネーム麻宮サキ-」、初主演映画だったらしいですが、興行収入が2億円に届くかどうかの大苦戦という話。この映画、興行収入が5、6億円は行かないと制作費がペイしないんだとか。あややスマイルの松浦亜弥のキャラを大幅イメチェンして臨んだ活劇映画でしたが、ファンは着いて来なかったらしい。時代は今さらセーラー服に凶器ヨーヨーのスケバンでもないのかな。松浦亜弥の人気も凋落ぎみだと聞く。あややの年齢って意外とまだ20歳なんですね。今大人気中の旬の若手女優たち、沢尻エリカ、長澤まさみ、堀北真希なんかと同世代になるんですね。デビューが早かったから昔から居る印象が強くて。以前、松浦亜弥24歳説だとかいう噂が流れたことがありましたが、今だと思わず信じそうになる。スターもどんどん新しい人が次々出て来るし、芸能人が常に第一線に居続けることって、やはり相当に大変な事なのでしょうね。松浦亜弥というと、ホームドラマの純心明朗少女って感じがある。何処にでも居そうな素直な可愛い庶民的な美少女。安全パイ的なイメージ。これから、芸能界でどういう立ち位置に居るかっていうのも、難しそう。この間なったっていう顎不全症は治ったのかな?頑張れ松浦亜弥!って特別ファンじゃないけど。
(※あややの顎関節症は一応は治ったようで、22日にステージ復帰、ファンの前で昼夜2公演延べ36曲を熱唱したそうです。良かったですね。)

Photo_4  あややの「スケバン刑事」といえば、AV関係で、あややのそっくりさんとしてAVで売っているAV女優、紋舞らんの新作ビデオが「スケパン刑事」で、セーラー服着て、ヨーヨー持って、「おま×こゆるさんぜよ」のセリフが書いてあって、笑わせる。コードネーム麻裸宮(マラミヤ)サキだって。宣伝エロサイトで見たんですけど。そういえばAV女優早坂ひとみには、「スカイハイ」の釈由美子そっくりや「ごくせん」の仲間由紀江そっくりの企画ものAVがあった。どれもAV本編は買っても見てもないんだけれど、エロパロディは笑わせますね。早坂ひとみはAV引退したらしいが、前にも書いて、考えた事だけど、こういう人って引退後はどういう生活するんだろう?異色のスターですよね。芸能人ほどではないにしろ、人気AVアイドルはやはり全国的に顔が売れちゃってるでしょうから。引退後、普通のサラリーマンの奥さんとかに納まれるのだろうか?AV界スタッフとかと業界結婚するのだろうか?AV女優から一般女優や芸能人タレントになる人って、もうほんの極々わずか数える程だろうし。AV男優って人たちのプロフィルや生活も興味あるなあ。ムキムキのモリモリ筋肉マンでプロレスラー兼AV男優って人も居たよなあ。AVアイドルって仕事はいくら汚れ仕事みたいなものでも、いざ引退から結婚したい、とほのめかせば、綺麗でスタイル抜群の人たちも多いから、ファンにはAVビデオ何十本出ててもいいから結婚したいって男も殺到するだろうなあ。今の時代、主婦売春とかも多いらしいし、AV引退後、普通に結婚しててもあんまし関係ないのかな。陰口とか、世間もあんまり騒がないのかも。AV女優ってものすごい世代交代が早そうだし、何本か出て辞める人も多いだろうし、AV女優さんて五年間とか十年間とかってスパンで数えたら、圧倒的すごい数が居るという気がする。まあ、どーでもイイことなんですけど。いや、引退後何年も経って、普通に静かに安定して生活しているのに、突然過去を掘り返されゴシップで苦難を味わわされて苦悩している、とかって人も居るのかな、とかちょっと疑問に思っただけです。 

Meteor01 Daodan1  「この世界には無限のものが二つある。ひとつは宇宙。そしてもう一つは人間の愚かさである」・・・というのはアインシュタインの言った言葉なんだそうである。歴史的な天才科学者アインシュタインが何時何処でどのような時に言った言葉なのかは僕には解らないが、おそらく凝りもせずにせっせと国民同胞の若い命と巨額の金を注ぎ込んで、人間同士で果てしなく殺し合う人類に対して発した、怒りと諦めとやりきれない歯がゆさを含んだ言葉だと思う。単純に考えて見るといい、核爆弾は今現在世界中に1万6千発あるという。TVのニュース番組で言っていた数だ。何かの雑誌には3万発あると書いていた。もう随分前にこの世界には人類を60回全滅出来るだけの核がある、と聞いたことがある。今の原爆一つでどのくらい殺せるんだろう。先ず10万単位で殺戮できる。爆心から離れた周辺に居て、その場は生き残れても、放射能禍でやがては結局死ぬ。苦しませながらじわじわと殺していく。水爆ならどのくらい殺せるんだろう。今度は100万単位だろうか。とにかく人間をいちどきに十万百万と殺戮して、あとに残った人間も漏れなく放射能禍で苦しませて殺していく。核を何発も爆発させれば広がる死の灰は凄まじいものだろう。死の灰を浴びた生き物はみんな死んで行く。人間科学の粋でこんなものをせっせと作って来たのだ。今も、持っていない国々は本当は欲しい。だから作れるものなら作って手元に持っていたい。だが先に作って大量な数を持っている国がそれは許さない。多分、全世界の核爆弾の何十分の一かで、地球上のあらゆる生物を道連れに人類は絶滅する。核シェルター?馬鹿を言っちゃいけない。あんなもの意味があるものか。アインシュタインの言った事がよく解るでしょ?さすがは万物の霊長、人間。愚かさもスケールが違う。アインシュタイン博士の言うとおり、人間の愚かさは果てしない。これは神の視点だと思う。神様に代わって神様の視点を語ってみたのだ。人間のあまりの馬鹿さかげんを。

Photo_2 Photo_5  という訳で、今回は記事自体がすごく長いけれど、一つ一つの文に脈絡がない、寄せ集めの、ちゃらんぽらん記事になってしまった。1972年のミュンヘンオリンピック時の選手村の、イスラエルチーム宿泊施設にアラブゲリラが襲撃殺戮し、その報復をイスラエルの諜報機関モサドに所属していた一市民が特命を受け、仲間数人と共にテロ実行犯を地道に報復暗殺していくという、スパイ映画としてはとても地味な作品を、平和希求の思いと共に語ろうかとしたが、何だかまとまらない形になってしまった。しかし、この映画は、主人公が国家間の戦争の下に、報復の暗殺を次々と繰り返して行き、自分の取って来た行動に疑問を感じ、そして苦悩する姿を通して、いろいろと考えさせられる作品だった。名画だと思います。殺す側も元は一市民なら、復讐される殺人集団も、一人一人は普段は普通に常識的一般人として、市民生活を営んでいるごくごく市囲の良い人たちなのだ。そうした普通の常識的一般人の市民達が、国家を背負い、戦争の下、殺戮し合う。復讐をすれば今度はその復讐を恐れて怯えて生きて行かねばならない。人間てどうして戦争をするのだろう?人間てどうしてこんなにも愚かしいのだろう?とこの映画を見た後には考えさせられる。2006年第78回アカデミー賞5部門ノミネート作品。スピルバーグの力作を鑑賞して、確かに今の日本人は平和にどっぷりと浸って暮らすことが出来る恩恵にあるが、今も世界中で起きている隣人どうしが殺戮し合う戦争、戦争を止められぬ人類の愚かさを今一度、深く考えてみましょう。

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●映画・・  「マタンゴ」

Mtg01  携帯電話のAUのテレビCMで、バックにストーンズのサティスファクションが女性ボーカルのカバーで流れていて、画面下に小さく♪BENNIE-Kとありました。サティスファクションは60年代の曲ですが、テレビのCMでBGMによく70年代80年代のポピュラーやロックのヒット曲が使われていて、もともとは男性シンガーのものだったのが、女性ボーカルの優しい曲にアレンジされていて、聞き覚えのあるメロディーなのだが、曲名やアーチスト名が全然思い出せなくて、ああ誰だったか!?と頭掻き毟ってバタバタやるくらいに悩んでしまうって、よくありますが、結局思い出せません。オリジナルで聴けば、思い出せるのかも知れませんが。何のことはない、自分が歳を喰って、記憶があいまいになり、脳味噌の衰えを暴露しているようなものですけど。

 とういうような話はどうでもいいんですけど、やっぱ年取っちゃうと、ロックやポピュラーのような洋楽は昔聴いた曲ばかし、繰り返し聴いちゃいますね。購入したり借りて来たりするCDって、最近は60年代70年代80年代のポップス・ロックのヒット集盤ばかし。で、もっぱら自動車の中で流して、何となく聞いてるんですけど。あ、思い出しました。1曲、元は80年代頃のヒット曲で、今のテレビCMのバックで女性ボーカルのユルイ曲になって流れる曲。短いフレーズだけで、掛かるサビのメロディー頼りに、うんうん唸るが如く考え込んでいた、とても思い出せなかった曲。スティングでした。Every Breath You Take、見つめていたい。でも、今度はCMが何の、どんなCMだか具体的に、いっこうに思い出せない。嫌だなあ~、歳喰うのは。やっぱり、巷で流行り、マスコミがバラエティーで、やれやれって急き立ててる、脳味噌トレーニングしなくちゃいけないんだろうか。アハ体験だとか。大人のDSトレーニングだとか。今は何か、あの手のごく簡単そうなクイズ番組って多いですよね。昔のIQ計測テストみたいな。知識問題もごく簡単そうな、小中学校で習う社会科みたいな問題が多い。これが、意外と解らないものですけど。TV局もよくしてますね。片方で、やれ脳が老化してるから柔らかくしろ、脳を若返らせるならこんなが良いぞ、と視聴者を煽り続け、今一方で、それに相応しいクイズ番組ばかし流して、視聴率稼ぐ。今年の夏の、26時間ぶっ続けで全部クイズ番組、って何じゃあれは!?て感じ。まあ、今のクイズ番組って、小学校の中高学年でも解る問題が多いし、家族みんなで楽しめるという事なんでしょう。でも、今の時世、一家団欒とか、家族が一緒になってテレビなんか見るのか?

 別に今のTV放送のクイズ番組論をやるつもりは、毛頭無いのだ。何だかよく解らずに、そういうふうに流れて行ってしまった。思考のコントロールが利かない。やはり脳の老化か‥。とりとめなく書いて来てますけど、実は僕は数年前に頚椎損傷を起こし、首の脊髄をやって、その後遺症で下半身に麻痺があり、昔みたく激しい運動は出来ないのだ。それで時々は運動の為に、歩く。たいした距離でもないけど。上半身の運動は時々だけど、以前の武術オタクの名残りで、鉄製の重いサイを、風呂場の脱衣所で振ってます。運動量は以前の十分の一程度ですが。時々やる程度だから、以前の二十分の一程度かも知れない。それでも、上半身くらいは少しでも鍛えとかなきゃ、って不安になるし。ええと、散歩の話でした。それで、この間、近くの公園を散歩していたのですが、その公園はひとつ、こんもり繁った丸山に、うねうね幾つもの舗装した道を作り、山の下に大きなグランドを配置した、公園なんですけど、この丸山を縦横する山道の如き散歩道を歩くと、けっこう運動になる。この道をふうふう歩いてたら、大きなキノコが生えてまして、見るからに毒キノコで、多分、タマゴテングタケとかそういう名の毒キノコだろうと思うのだけど、今まで見た事のあるこの手の毒キノコより倍以上もでかくて、僕の膝くらいの高さまで伸びていて傘幅も広く、ちょっと驚いたのですが、で、今回語りたいのは、キノコネタです。時節的にも、食欲の秋、松茸の季節。松茸は高価で、なかなか庶民の口に入り難く、タマゴテングタケは無論、毒キノコで食べられません。

 キノコネタといっても、真面目に植物学的にキノコを語るのではなく、空想上のキノコ、毒キノコ、化け物キノコです。幼少時に、TVでエノケンのモノクロ映画を放映していたのを見た記憶がありますが、それはストーリー的には、ヤジさんキタさんの東海道中膝栗毛をモチーフにしたようなコメディ時代劇で、一応爆笑怪談ものでした。何らかの目的で旅をする渡世人のエノケンが、旅中に数々の怪事に合う、という話でした。勿論、小さかった僕は詳細なんか憶えてません。ただ、怪事の中で、一つに、足立が原の鬼婆の話があり、もう一つは、大きな毒キノコの大群に襲われるというのがあり、それだけは、そのシーンだけは記憶しています。ストーリーの前後の脈絡なぞ、てんで憶えてません。あれもみんな、等身大の怪物キノコでした。で、話は、等身大の毒キノコです。マタンゴ。どうして急に「マタンゴ」に思い至ったのか、自分でもよく解らないのですが、最近はいつでもヒマさえあればTV番組ばかり見ているTV漬け状態でして、何故かブログネタがまるで思い付かないし、ブログ記事書く気にもなかなかならぬ気分でして、困っていたのですけど、何かのきっかけで「マタンゴ」に行き当たりました。半年くらい前かそれ以上前かに、近所の本屋で、漫画文庫の石ノ森章太郎の怪奇漫画の短編アンソロジーを見つけまして、そこに昔懐かしい、石ノ森の短編漫画化した「マタンゴ」が収録されていました。何故か、その時は買い求めはしませんでした。後に探したけど、近くの本屋には何処にもありません。注文すれば手に入るでしょうけど、そこまでの気持ちもありませんし。

Atlnnhvjd  「マタンゴ」という映画は、1963年制作の東宝の特撮怪奇映画です。当時石森章太郎作画の短編は、光文社の月刊少年漫画誌「少年」63年9月号の本誌に掲載されました。短編漫画の方は、僕も幼少時リアルタイムで読んでますし、ただ単に映画のストーリーだけをざっと追った、子供向けの何でもないものだったと記憶しています。それからン十年後に本屋の立ち読みで、漫画文庫パラパラして行き当たる訳ですけど、作品的には映画のダイジェストみたいなものだし、漫画は子供向けだし、全然恐さが伝わる代物ではありません。当時、幼少だったけど、僕は本編の映画の方も見てるんですが、映画はものすごく恐かったと憶えています。子供心に本当に恐い映画だった。その時の恐怖感は印象深く残っています。後に、もう一度、偶然、TVの昼にやっている、ちょっとした映画劇場で放送されているのを見てるのですが、見た事は確信があるけど、いったいいつ頃だったのか、全くはっきりしません。大人になってからなのは間違いないでしょうが‥。待てよ。20代ってほとんどTV見てないから、30歳に入った頃かなあ。僕は18歳からこっち、TV受像機は持たなかったし。いつ頃だったか、その当時の友人がポータブルテレビくれて、えらい映りの悪いの持ってたけど、見なかったなあ。まあ、どーでもいい話だけど。

Matango03  映画「マタンゴ」はねえ、幼少時に映画館で確かに見てるんだけど、いろいろ調べてみると、併映が加山雄三の若大将シリーズ第2作、「ハワイの若大将」(何と、4作目でした!)だったらしい。こっちは僕は見た記憶はまるで無い。僕は、子供の頃、住んでた家の斜め前が邦画封切の映画館で、当時の怪獣映画や青春映画なんかをよく見ている。若大将シリーズというのは、僕は「海の若大将」から見て来ている。「ハワイの若大将」というのは見ていない。なのに、「マタンゴ」は見ている。不思議だ。ちなみに「海の若大将」の併映は「キングコング対ゴジラ」だった。「キングコング対ゴジラ」というのは、当時子供の僕は、生まれて初めて見る本格的怪獣映画で、ワクワクハラハラドキドキ嬉しくて、上映されてた2週間くらいの間に7回も見に行った。「マタンゴ」の話でした。「マタンゴ」という映画は、何でも、極限状況下で、食料と女性を奪い合い、憎悪し合う、人間の本性の醜さを描いたものだったらしいですね。そんなもの、無論、幼少時の僕に理解できる訳もなく、ただただ大キノコの怪物マタンゴに恐怖したばかりだったんだと思います。もともと僕は子供の頃から、ものすごく人見知りが強く、そんな小さい頃から斜に構えていた、ひねくれた餓鬼でしたから、幼少時に人間不信の極みみたいのを表現している映画を見せられても、どうって感じなかったんでしょう。ていうか、やっぱ頭悪くて鈍感だったのかなあ。こっちの方だろな。

 

Matango01  映画「マタンゴ」のストーリーはですね、ヨットで海に遊びに出た数人の若者グループが、嵐で海で遭難し、とある孤島に漂着する。ヨットは修復不能で、仕方なく、無人島で食料を探して集め、サバイバル生活に入る。確か、仲間には二人の女の娘が居て、片方はオミズの如き遊んでるスレタねえちゃんで、もう一方は素直な純情そうな娘だったと思う。やがてサバイバル生活に疲れて来たみんなが、食料と女を奪い合い憎悪し合う。人間の醜さを剥き出しにして争う若者たち。食料は尽きたが、島の山奥にはキノコが群生していた。見るからに美しく美味しそうなキノコ。だがこれこそが恐怖の毒キノコ、マタンゴだった。ネタバレになりますけど、この毒キノコ、食べると、キノコモンスターに変身してしまう。無論、人間時の知性も感情も記憶もすっかり失くして、怪物化する。マタンゴは夜な夜な、難破船ヨットに仲間を襲撃にやって来る。一人また一人と、人間が怪物マタンゴ化して行く‥。てお話。これはね、知らなかったんだけど、もともとはホジスンていう、19世紀末から20世紀初頭の、イギリスの作家の怪奇小説が原作というかタネ本というか、ここからの翻案らしい。一応、脚本が、往年の日本SF作家、福島正実と星新一となっている。しかしほとんどが福島正実の仕事らしい。これはノベライズ化を福島先生がやっていて、ホジスンの原本小説とは別に、小説作品としても残っているんだそうだ。福島正実といえば、日本SFの父と呼ばれる人ですね。初代SFマガジン編集長。僕は、日本のSFの父の名は、海野十三だと思ってるんだけど、福島先生って、いわば、日本SFの裏方の父だよね。アメリカでいうと、ガーンズバックみたいな。まあ、いいか。

Mtg06  63年公開東宝特撮怪奇映画「マタンゴ」の監督は、昭和「ゴジラ」シリーズ初期の監督、本多猪四郎監督。特技監督は言わずと知れた伝説の円谷英二特技監督。そしてこれにも、東宝特撮映画には欠かせない悩殺女優、昭和の特撮映画クイーン水野久美が出演しています。僕が映画見た時は、あまりにも僕が小さ過ぎて、その色香が理解出来なかったが、今また見てみたい、あの当時の美しい水野久美さんを。DVD化されてるから、今一度見たいなあ、「マタンゴ」。幼い頃とにかく恐くてたまらなかった映画を、ン十年経った今、見たいです。その見たい気持ちの半分以上は、あの当時の水野久美さんをもう一度見たい気持ちです。あの頃の子供の僕には、何てったって、「キングコング対ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」‥、宇宙から飛来襲撃の最強怪獣キングギドラに地球のゴジラ、モスラ、ラドンが挑む、ってヤツとかだったもんね。それが、あの幼い時分で、印象深く憶えてるってことは、よっぽど恐怖を覚えたんだろうなあ、「マタンゴ」に。


 石ノ森章太郎先生の63年の短編作「マタンゴ」が収録されている漫画文庫、「プレミアムコレクション-歯車」には、かつて、評論家呉智英さんが石ノ森章太郎の最高傑作と絶賛された、中篇「くだんのはは」が収録されています。今回の記事ではその事も書こうと思ってたんですけど、疲れたので、もう書くの、これで止めます。またの機会に書こう。文庫の「歯車」、探そうっと。
(※『ハワイの若大将』63年公開、『海の若大将』65年公開、『キングコング対ゴジラ』62年公開、『モスラ対ゴジラ』64年公開、『三大怪獣地球最大の決戦』64年公開。と、調べたらなってました。私のン十年前の記憶なんていい加減なもんです。でもおかしいなあ‥。)

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●映画・・ 「オーメン」

Omen 雑誌などの広告で、よく映画「オーメン」の予告を目にします。雑誌の裏表紙一面使ったものなど多い。オーメンといえばもう、6・6・6ですから、劇場公開は、全世界同時ロードショーで06年6月6日なんだそうです。悪魔の子、ダミアン。僕は多分、劇場には見に行かないでしょう。この「オーメン」は知ってのとおり、リメイク映画です。僕は旧作も見た事ありません。でも、元作公開当時、有名なホラー映画だったから、だいたいストーリーは知ってます。昔の当時、僕が劇場やTV放送、あるいは名画座で見ていないのは、多分僕が怖がり、だったからでしょう。今はそうでもないから見れるけど、昔の僕は本当に怖がりだったから。昔、劇場でキューブリック監督の「シャイニング」を見た後は後悔したものでした。元作「オーメン」は1976年制作の映画なんですねえ。ダミアンて名前や、悪魔の数字だという6・6・6って有名になりましたもんねえ。

 映画「オーメン」も「エクソシスト」のシリーズも、キリスト教文化圏の映画ですねえ。キリスト教宗教圏といった方がいいのか。「オーメン」には聖書の「ヨハネの黙示録」からの引用が多いらしいです。日本人にはビジュアル面の怖さは「オーメン」も「エクソシスト」も嫌という程解るけど、その内容は今ひとつピンと来ないのではないでしょうか。勿論、僕はクリスチャンではないので、聖書のことはほとんど知りません。クリスチャンではなくとも、キリスト教の聖書というのは世界的な教養の一つではあるのでしょうけど。どーも、だいたい悪魔というものは実体の無いもので、人間に悪行を起こさせる者のようですけど。多分、誘惑かなあ。欲望の誘惑をするもの。そういうものなのだと思う。映画の中のダミアンそのものは、悪魔らしいんですけど。まあ、76年版映画も、その続編映画も見た事ないですから、僕には、はっきりした事はいえないんですけど。日本人て一般的には、キリスト教的知識があまり無いから、悪魔といってもピンと来ないですよね。ホラー映画だと、日本人にはやはり悪霊、妖怪。やっぱ幽霊でしょうね。悪魔って、西洋人には何か精神的に深いものだという感じがある。高尚にいうと哲学というか‥。

 

B000a0d92q09  ジョージ・ハリスンがジョン・レノンの追悼曲として歌った「All Those Years Ago」の歌詞の中に、確か、射殺犯を「悪魔の最高の友人」と呼ぶくだりがあるけど、あれなんかいい例ですよね。射殺犯自体が悪魔ではない。まあ、別にここで僕が悪魔の意味を深く考察なんかしなくて、いいんですけど。でも、ミッキー・ロークとロバート・デニーロが共演した「エンジェルハート」なんて怖い映画でしたけど、あれなんか、西洋の契約社会というのがよく解りますねえ。それと、記憶たどり続けますけど、「6・6・6」というのは、聖書的には、「獣の数字」というんだそうです。ダミアンの母親が真っ黒い犬であった、というのと関係があるのかな(?)。昔、SFの歴史的大巨匠R・ハインラインの最晩期の小説が、本屋で分厚いハードカバーであったのですが、そのタイトルが「獣の数字」で、ケダモノの数字っちゃ、何のこっちゃ?と不思議に思ったものですが、いや、ハード作品も書くSF作家の作品名ですから、難解な理科系の命題か何かだろうか?とか考えちゃって。無論、そんな難しそうな本は読みはしませんでしたが、今になって、「オーメン」映画に触れて、やっと知りました。実に20年以上ぶりくらいで。アメリカ人ハインラインも、キリスト教圏の人ですからね。(『獣の数字』は80年ハインライン73歳頃の作品。モチ、僕は読んでなく、内容も知りません。)

 キリスト教関連といえば、公開前から話題沸騰、記録的ヒット上映中「ダビィンチ・コード」ですけど、あの物語のキーポイントは、イエス・キリストとマグダラのマリアの関係、ですよね。イエスとマグダラのマリアは実は夫婦で、その間に子が出来、代々と子孫が続いて行った‥。その子孫を守ってきた組織があった、とか、そんな事ですよね。ダビィンチが自分の作品にその事を暗号化して隠している‥とかいう、ね。あまり詳しくはストーリーは知りませんけど、ロードショーは見に行かないだろうけど、DVD出たら見るつもり。原作は、アメリカの作家ダン・ブラウンさんの世界的ベストセラー。日本でも、ハードカバーと文庫で、相当な部数、売れている。公開前の話題沸騰で、前人気は爆発的だったが、意外にも、観賞後の見た人たちの感想はあまりパッとしない。評判ほどではない‥、という感じらしい。まあ、「ダビィンチ・コード」には悪魔は出て来ませんけど。

 新作「オーメン」のキャッチフレーズの中に、「人類はダミアン最後の遊び相手」と、「未来が終わる」という二言が書いてありますし、TVのコマーシャルでは、人類滅亡の危機‥、というような言い方も宣伝文句に入っていたと思いますが、悪魔に取っては、人間が滅んで居なくなってしまうのは、相当に都合悪いんではないかと思えますけど。人間が滅んでしまおうと、神様は別に困らないだろうが、悪魔には、人間あっての悪魔、という気がします。悪魔って存在は、いじめの事そのものだという気がする。悪魔のやる事は、いじめ、ですね。チョコチョコ一人、二人に災厄を浴びせて死に追いやる。死という結果をもたらす過激ないじめを、人間相手にやり続けているんだ、という気がします。だいたい、子供の中のいじめ、毎日いじめに合い続け、登校拒否せざるをえないまでに追い込む、という、実は無邪気な筈の子供たちのいじめは、悪魔の所業に思えますね。とにかく悪魔にとっての仕事とは、人間いじめなんですから。人間そのものが全部居なくなっちゃうと、悪魔自らの存在意義がなくなっちゃう訳で、人類滅亡まで持って行くのは、おかしいと思うし、悪魔は絶対しないと思う。

 ここまで考えると、僕はある短編漫画作品を思い出します。漫画の神様、手塚治虫先生の短編作で、しかし、手塚先生というのは、本当にストーリーテリングの天才だと思う。短いページ数の中にきっちり起承転結を着けたドラマを作り上げている。そしてその短編のお話の数が尋常ではない。どれもが感動感激のある優れた短編です。手塚治虫漫画全集全400巻、といいますが、優れた長編作もいっぱいあるけれど、数多くの短編ドラマをきっちり作り上げている、その才能はなまなかなストーリーテラーではないですね。以前、僕は小池一夫さんが、稀代のストーリーテラーといいましたが、その小池さんがかすんで見える。で、話は戻って、新作「ダミアン」の人類滅亡‥?から思い出す手塚感動ドラマの掌編。ファンタジーというか、寓話ですね。「すべていつわりの家」というごく短い短編。初出「月刊少年マガジン」76年9月号。

 この30ページの短編のお話は、ぶっちゃけいうと、人間は環境汚染と核戦争でついに滅びてしまう。人類はたった一人の子供だけしか残らなかった。悪魔が神に、この最後の一人の人間の子をどうしますか?と問うと、神は答える。もうそんな出来の悪い人類の生き残りのことなぞ、知らん、と。神はここまで愚かな人類は、最後まで見捨てる。人間あっての悪魔であると、悪魔族たちは、この一人の子供を育てることを決意する。この一人からまた人間が繁栄するまで。お話の中では、いずれ魔女とでも結婚させようと、いうセリフがあります。僕はこのお話が大好きです。完璧完全絶対な神ではなく、最後には悪魔が助ける。ここに手塚先生の優しさと人間性がある。手塚治虫のドラマは、そのSFや幅広いジャンルを描ける、頭脳の優秀さではない。感動感激を与えるドラマが描けることです。僕に取って、「すごい人」は未だに、手塚先生が世界一の「すごい人」ですね。

 しかし、今回は結局今までの、最終的には漫画に持って行き、漫画でオチを着ける、という以前の「Kenの漫画読み日記。」スタイルになってしまった。何か今回は、戻っちゃったなあ、形式。「オーメン」は半年後、DVDが出たら見ようっと。

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