山口に帰って、改めて幕末を調べてみた。やはり明治政府は長州がつくった、としみじみ思う。1864年の第1次、1866年の第2次長州征伐、実際に衝突したのは高杉晋作、大村益次郎が活躍した第2次だが、長州側はこれを「四境戦争」と呼ぶ。
幕府側が海峡の大島口、島根の石州口、広島の芸州口、福岡の小倉口の四境から攻め込んだのを、ことごとくこれを打ち破った。ここから1868年1月の鳥羽伏見の戦いまで、一気呵成に長州軍の徳川幕府打倒の戦いが続き、明治の新政府が樹立する。
言葉でつづれば、たったこれだけの話だが、四境戦争とは幕府軍15万人対長州軍4千人、その数ざっと40倍、35藩を向こうに回して長州1藩の戦いである。誰が長州が勝つと想像したろうか?
歴史は後からなら何とも言えるが、藩が徳川幕府に真っ向から戦ったのは長州藩のこの戦いだけである。この戦いを持ってしても「明治政府は長州がつくった」と言い切れる。
その後はみんながつくったとしても、歴史とゴルフにifは無いというが、この戦争で長州が勝利しなかったら、やはり白人の植民地にされたのだろうか?
私は戦後の1949年生まれで、1968年の明治誕生100年の時の19才になるまで、「えっ、まだ明治維新から100年経っていないのか」と驚いたものである。
今だってわずか146年前の事だ。終戦から74年後と言えば、「ほんのチョット前の出来事」という感覚もしないではない。これから150周年の催しが、あちこちで開かれる。