賢太/山口がぼやく"そもそも"論(トップへ)

■2018年3月10日から賢太のぼやきを最開しました。

■コメント、TB&読者登録大歓迎。必ず返事します。

Vol.42 続々カメラを考える

2013年10月31日 | パソコン

 カメラは太陽の光と色を対象に、人物、風景、海、山など自然を相手にするから難しくなる。朝の光と昼の光は色が違う。「その1枚」にコダワリが出てくる。

 そもそもフィルムの時代から撮影と現像は別々の技術だ。撮影でうまく行っても現像液でNGになることも有る。デジタルになっても撮影と印刷技術は別だ。カメラ世界の、この一貫性の無さが不愉快にさせる。こんな例は他にない。

 それは置くとして、本に「1にピント、2に構図、3、4が無くて5に露出」と有ったが、露出は3には来るだろう。まずピントが合っていなくては話にならない。自ずと合わせたピントに構図は考える。

 COOLPIXでもボカシが出る   

 バカチョンと言われる全自動は、この2つで十分だ。先日阿蘇に行った時、同世代の男性群から撮影を頼まれたが、「ピントは半押しですか」と聞いたら「いいえ押すだけです」との返事。この2つさえ判っていないのが大半だ

 カメラの本質は、露出と理解した。なぜなら相手が太陽の光である。1日24時間いや1年365日、雲や風等で1瞬たりとも同一条件はない。その太陽の光を被写体がどう受けているか、プロ、アマ問わず、その判断が勝負なのだろう。

 マクロ撮影も可能だ

 レンズで構図を考え、光量をシャッター速度と絞りで決める。カメラが計算した数値を疑い、露出をプラスマイナス補正するとか、ホワイトバランス、ISOを自分で決めるとか、理屈と経験の世界である。

 昔は理屈と経験を全手動で行った。デジタルになって全自動でも行えるが、計算値が正しいとは限らない。ここに「自分・個性」が存在する意義が残った。

 1ヶ月近く朝咲いて夕に花ビラを落とす不思議な花

 私が昔デジタルカメラを買った時、コンピュータ頭だから「画像を取り込めば、後は加工で何とでもなる」と考え、「自分」が無い世界と思って投げ出した。これが間違いだった。

 少し勉強した今は、大胆な構図とどういう条件で撮影したかを考えるようになった。写真を見る目が変わった。人工の加工は良くない。妻には相談しないで、所持金の範囲でコダワッてみたい

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.41 続カメラを考える

2013年10月30日 | パソコン

 昨日に続いてカメラを考えたい。只今カメラについて猛勉強中であり、まあ何と理屈っぽいことかと嘆き、喜んでいる。理屈っぽいことは苦にならないが、理解するのに長時間を要するようになった。

 これを機に昔カメラオタクの義父からもらい、放って置いたミノルタのNewX-700と義父が使っていたミノルタα507siのフィルムカメラを引っ張り出し、インターネットでこの2機種を調べた。

 MFのNewX-700     AFのα507si

 X-700は1981発売、α507siは1995発売の相当な年季ものだ。そもそもミノルタはコニカと合併し、コニカミノルタと言っていたが、その後カメラ権はソニーに移って、今は生産していない。

 1985年にミノルタが日本で初めてフィルムタイプのAF(オートフォーカス)一眼レフを発売したが、上記の2機種は丁度その前後にあり、X-700はMF(マニュアルフォーカス)α507siはAFだ。

 1991年には富士フィルムが日本初のデジタルカメラを発売している。95年発売のα507siは撮像素子がフィルムかデジタルのCCDかの違いだけで、ほとんどオート化しており、デジカメ一歩手前の機種だ。

 これに比べるとX-700はマニュアルカメラである。フィルムを買って2機種のシャッターを切っているが、逆にX-700の方が何もかも手動で懐かしくて面白い。500円程度でフィルムの現像とCDに焼いてくれることもネットで知った。 

 最近買ったデジタルのNikonCOOLPIXはレンズ交換できない。フィルムタイプの2機種はレンズ交換できるのでいろいろと体験でき、理解は早いが撮った写真をすぐに見れない

 カメラ本体は消耗品で、レンズが高価なことも初めて知った。ボカシ技術も判ったがコダワルといろいろな本体、レンズが欲しくなる。やはり妻とも相談の上、コダワラないことにした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.40 カメラを考える

2013年10月29日 | パソコン

 手が大きいため、コンパクトデジカメでは不便で、中古のデジカメ一眼レフを買った。Vol.33のジャンク品ではない。2009年3月発売のNikonのCOOLPIXだが、説明書を読んでカメラの進歩はすごい、と感じた。

  買ったNikkonのCOOLPIX 

 私達の年代は子供の頃、写真に映ることそのものが珍しかった。近所にカメラを持っている人はマレで、写真屋さんが写して、その写真を親が買っていた。

 カメラには職人気質の難しさがあり、アマチュアが何とかカメラを手にする時代が来て、その理屈っぽさに男心を誘われた。マニアは暗室を作って現像、プリントしていた。今のパソコン、スマホにひっ敵する価値が有ったようだ。

 当時から私はあまりカメラに関心がなく、今もほとんどない。ではなぜ買ったかといえば、その理屈が知りたいのと、やはりどこかへ行った時に思い出を残したくなった。年のせいかも知れない。

 写真展を見ても「キレイか、キレイでないか」の判断しか持ち合わせていない。中国の蘇州に観光に行った時、その庭園に関する知識が全くないと、単に見た目の造形美だけに終わることを知った。

 絵画、書、彫刻、焼き物、俳句、詩、純文学、みな理解できず、無縁である。これらを理解するには、やはりそれ相応の知識と学問が必要なのだろう。

パソコンを勉強していた時に富士フィルムのデジカメを買った。当時としては、かなり早かったと思うが、写すことよりもパソコンに取り込むことの方が嬉しかった。

 そういう目でデジカメ一眼レフを見ると、フィルムカメラが進化すると、こうなるのかと驚く。当時は金持ちマニアの道楽が、今ではシャッターを押すだけでピントが合い、露出が合い、キレイに写る。失敗すれば削除すれば良い。

 音楽、映像など昔の物のデジタル化の進化は、すさまじいものが有るが、その先頭は電話とカメラかもしれない。計算機をパソコンの前身とすれば、こちらの勝ちだが、カメラも凝ると相当な金が掛かりそうで、妻とも相談の上、これ以上はコダワラない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.39 地元では横綱、大村益次郎

2013年10月28日 | 歴史

 東京九段にある靖国神社の参道に、高くそびえる銅像が、長州出身の大村益次郎とは、残念ながら全国的にあまり知られていない。

 靖国神社の大村益次郎像

 1977年のNHK大河ドラマで放映された、司馬遼太郎氏の「花神」の主人公だ。花神とは中国語で「花咲か爺さん」の意味で、幕末に大活躍し、見事に明治国家という大輪を咲かせた著名な人物だ。

 大村益次郎、旧姓村田蔵六と言ったが、蔵六とは首と尻尾、両手両足の6体を蔵に備えている形から亀の別名だ。都合が悪いとすぐに6体を引っ込める。単なる旧姓とは思えない、亀に似た性格を有している。

 周防国鋳銭司村(現山口市)出身で、神社と資料館が建てられている。いつも近くを通りながら訪問できなかったが、今月23日に立ち寄った。

 この周辺は今でも地図にとあり、そう戦国の武将、陶晴賢(スエ ハルカタ)の陣地である。この名を中国地方以外で知っている人は相当の歴史通である。

 下克上のハシリで、大内家最後の義隆を滅ぼし、厳島の戦いで毛利元就に滅ぼされ、防長2州が広島の元就に併合された。その後の毛利家は中国10ヶ国を治める大大名になる。陶のような歴史的な地名があちこち残っているのが山口なのだ。

 その大村益次郎だが、入ってすぐに資料館の人と「何故これほど地元では有名な人が、吉田松陰、高杉晋作、伊藤博文、山形有朋のように全国区でないのだろう?」と話をして、館内を廻ったら一枚のポスターを見つけた。

 幕末維新防長異才番付     大内塗りの益次郎マスコット

 「幕末維新防長異才番付」とあり、東の横綱吉田松陰に対して、西の横綱は堂々と大村益次郎だ。注書として右下に「山口市歴史民族資料館職員の独断と偏見に基づき選定」とある。

 大関は高杉晋作と桂小五郎、伊藤博文、山形有朋は前頭筆頭だ。行事が三条実美、勧進元は長州最後の殿様毛利敬親だ。大村益次郎が西の横綱に来るのは大賛成だが、もっと彼の知名度を上げなければ、私の「訳知り話」も花が咲かないまま散ってしまう。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.38 たかじんの「日本共産党大会」

2013年10月25日 | 政治

 過日Vol.4で書いた「たかじんの何でも言って委員会」(読売系、大阪以西のみ視聴可能)で、「日本共産党大会」として共産党員8人が出席、志位和夫委員長がVTR出演して政策を述べる、前代未聞の番組を見た。そして左の人達に大いに落胆した。(下記YouTube参照)

 党側の出演は、小池副委員長、山下芳生書記局長代行、穀田恵二国対委員長、小木曽陽司赤旗編集局長植木俊雄広報部長大山とも子東京都議団幹事長山内よし子京都府議、山中智子大阪市議団幹事長の8氏。

 とかく右翼番組と揶揄される同番組だが、先の東京都議会、参議員選挙で大きく票を伸ばし、その躍進ぶりに、今や野党代表を自負する日本共産党を迎え、経済や原発、外交など党の政策をどうやって実現するかをめぐって、レギュラー陣の右翼(?)と議論した。

 当然、討論は咬み合わない。日本共産党は山下、小池、穀田3氏が多く発言し、党や赤旗を気にするあまり、他の5氏、特に女性3氏の発言はほとんど無かった。中国共産党もしかりと思う。

 特に際立ったのは、考え方が◯か✖の2者択一で△が無い。日清、日露はじめ、海外との戦争は、すべて侵略戦争で、併合された台湾、朝鮮はみな悲惨な目に遭ったとか、日本国憲法は、大戦後に戦争を起こしていないのだから今のままで良いとか、画一的なのだ。

 レギュラー陣も何度か指摘していたが、ここまでは良くて、ここからがダメはない。とかく政党とは、そうかも知れないが、日本共産党は際立っている。こういうグループとか人と話をすると、非常に疲れる。会話が前に進まないだけでなく、世間一般の正論を真面目くさって語り、反対意見を潰していく。

 赤旗は読んでいないので知らないが、そう朝日新聞の論調と一緒なのだ。同紙の現在のテーマは「環境」だそうで、原爆と核は完全廃止で毎日のように取り上げる。どうも左系の人は考え方が一方的で、単調 

 この立場に立つ人は、その耳触りの良さに「うっとり」するのだろうが、私のような反対論者は「気楽で良いよな、世の中もっと深く考えようよ」となる。

 鳩山元首相が尖閣諸島を「日本が中国から奪った」発言時の捨て台詞、「みなさん、もっと勉強して下さいよ」にも呆れるが、こういう人や朝日新聞読者が少数になった時にホントの独立国、日本が誕生する、そう信じるしか無い。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.37 山口に帰って丸3年

2013年10月24日 | 日記

 10月16日で山口に帰って丸3が経過した。使い古しで恐縮だが、長いようで短いようで、いやはや何とも・・・・・、と言葉にならない。

 2010年9月30日に退職し、2週間で片付けして帰郷、途中横浜から岡崎‐(奈良)大阪‐京都‐松江(出雲)に泊まる4泊5日、1100kmの大旅行で、家財道具は19日に到着した。

 今年も熱かったが、2010年の熱さは異常だった。帰る車には冷蔵庫の中の物とテレビ、扇風機など着いてすぐに必要な物で、ごった返していた。妻と2人「まるで車中生活者だな」と笑っていた。

 宿泊の朝、冷蔵庫に有った物が腐らないように出発する前にコンビニで氷を買い、昼過ぎにまた買った。その熱さは今年の比ではない。

 奈良は大神神社、飛鳥から東大阪の司馬遼太郎記念館、京都は宇治平等院、伏見稲荷、東寺、松江では出雲のほか安来の「和鋼記念館」で本物の日本刀を振り回した。空海が建てた東寺には面白い話があり、今度の機会に触れてみたい。

  司馬遼太郎記念館と驚きの蔵書量 

 2011年3月11日に東北大震災が発生し、9月には48年ぶり2度目の山口国体が開催され、あちこち見て回った。2012年8月にロンドン五輪があり、夜中に目が覚めるとTVを着けた。当然こんな形で五輪を見たのは初めてだ。 

 この帰省旅行が癖になり、安い温泉付き格安ホテルを見つけては、車で九州を旅行するようになった。1年後には博多、太宰府、日田、阿蘇、由布院、別府を2泊3日で回った。

 この間、娘が東京でダンス教室を開いている事もあって、5~6回は上京した。やはり田舎暮らしは窮屈で、半年も経つと東京、横浜の空気を吸いたくなる。我が家はこの10月16日が記念日だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.36 知らなかった魔の高速道路

2013年10月23日 | 新聞

 10月21日(月)の朝日新聞に、タレントの桜塚やっくんが5日に中国自動車事故で亡くなった記事が載っていた。場所は山口県美祢市の下り線、美祢IC‐美祢西IC、13.5km間だ。

 ここは地元が知る人ぞ知る、事故多発地域だそうで、私は知らなかった。下関や秋吉台から小郡、山口に抜ける時によく使っている。8月も9月も通った。

 確かに今思えば急坂、急カーブで大変運転に神経を使う場所だ。よく覚えておこう。

 愛知県に住んでいた頃、山口に帰る高速道路は山陽自動車と中国自動車の2路線ある。山陽自動車は真っ直ぐで距離は短いがトンネルが多い。中国自動車はトンネルが少ないが、山に沿って急坂、急カーブが多い。

 ほとんどの人は山陽自動車を選ぶのだが、私は車とトンネルの数が少ない中国自動車を使って、のんびり帰っていた。

 朝日の記事には、管理するMEXCO西日本の担当者は「1974年当時の技術では、あの付近の地質・地形にトンネルを掘ることは難しかった」と述べ、その分、カーブと坂道が多くなったそうだ。

 地図を見てもらうと判るが、ここは中国自動車と山陽自動車が合流して1本になっている。急いでいるのだろうか、魔の高速道路だと知らない山口ナンバー以外の車が、のろのろ走る私の車を猛スピードで追い抜いて行く。魔を知った私は「オー、コワッ!」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.35 ケルト人とビートルズ

2013年10月22日 | 歴史

 ケルト人は紀元前15~4世紀に中央アジアの草原からヨーロッパに渡来した先住民族で、古代ローマ人からは「ガリア」とも呼ばれていた。

 そのケルト人がローマ、ゲルマンに追われ、今でも大陸ではスペインのガリシア、フランスのブルターニュ、イギリスではスコットランド、ウエールズ、アイルランドに現存している。

 日本のアイヌ、オーストラリアのアボリジニ、アメリカ・カナダのインデイアンなどと同じ、ヨーロッパの僻地に住む少数民族だ。スコットランドのバグパイプは有名だが、先日もTVで同種のスペインのガルタを演奏していた。ケルトの伝統楽器だ。

 イギリスはイングランド地方を除いて、ケルトの国だ。アイルランド島はカソリックとプロテスタントで南北に分かれ、北がプロテスタントの英国に属する。南のアイルランドはイギリスに百戦百敗しても、かたくなに独立してカソリックを守る。

 珍しい植物「ウシノシタ(牛の舌)」(宇部市常磐公園)

 スコットランドはイギリスからの独立を計画している。ちなみにイギリスのヒース空港でスコッチウイスキーを試飲したが、美味ではない。昔フランスがここを治めた時にワインを持参したというのも、うなづける。

 このケルト人、アイルランドを本で追いかけていた時にリバプール、ビートルズが出て来て驚いた。ジョン、ポール、ジョージはアイルランド出身で、リンゴは不明らしい。

 アイルランドは貧しい国で、何とかじゃがいもの栽培に成功して生き延びていたが、その芋も病菌にやられて、難民がどっとイギリス、アメリカに流れ込んだ。 

 その1人がケネディ家だ。アメリカはアングロサクソン、プロテスタントの国だが、ケネディはアイリッシュ、カソリックだ。悲劇はここから始まる。

 アイルランドは童話の国で、ビートルズの詩は皮肉とロマンがたっぷり含まれているそうだが、残念にしてその意味を理解できない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.34 JR九州のヒット「ななつ星」

2013年10月21日 | 旅行

 全国的には分からないが、この地区では15日に初便が走った、JR九州の豪華観光寝台列車「ななつ星in九州」が大きな話題になっている。

 3泊4日で九州1周を巡る日本初の「クルーズ列車」で、料金は何と38万~55万円。JR久々のヒットだが、博多‐由布院‐宮崎‐鹿児島‐阿蘇‐博多と廻る。他に1泊2日の長崎コース(15~22万円)もある。

 私が9月に3泊4日で南九州を1周したコースとほぼ一緒だ。実は今年3月に山口の地元発九州1周の3泊4日バス旅行があったが、予定が合わず実現しなかった。このコースは日本人なら何となくロマンを感じる。阿蘇と桜島、熊曾の国だ。

 「ななつ星in九州」の牽引機関車   路線図

 最初は上野‐青森間を走る寝台特急列車「北斗星」のようなもの、と思っていた。3泊もすれば九州を飛び出してしまう、と。金の無いものにとって、豪華なんかどうでも良いが、JR主導で観光地を廻る、この発想がヒットなのだ。

 関東に居たころ、良くバスのパック旅行をした。北海道は千歳まで飛行機で行き、道内をバスで1周した。東北は新幹線で郡山まで行き、バスで八幡平、十和田湖を巡った。

 いずれも交通公社やツーリストの観光会社の主導である。2011年の東北大震災の翌日に開通した九州新幹線で身近になったが、駅からの足が不便で、鉄道旅行を躊躇する。 

 今回の企画は「旅行は自家用車かバス」という概念を打ち破った。JR九州はJR北海道と並ぶ赤字会社だ。JR北海道は旧国鉄並みに事故ばかり起こしている。JR九州の発想は高齢者の富裕層狙いは明確だが、いずれ高齢者の貧困層狙いも企画して欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Vol.33 ジャンク品

2013年10月18日 | 日記

 HARD・OFFジャンク品が面白い。懐かしさも加わってか、私に近い高齢者が数人、昼間から店を徘徊している。

 ジャンク品とは、「動いた。ここがNG」など店の短いコメントが書いてあり、それを承知で買って、コメント以外で動かなくてもクレーム不可、返品不可の商品だ。当然保証書無しの年代モノだが、とにかく安い。

 これまでにビデオカセット、ビデオカメラ、AVアンプ、スピーカー、ミニコンポ、パソコンモニター等々、大変お世話になっているが、大きなハズレは無い

  山口に帰って古いビデオカメラで撮った、昔のテープを整理してDVDに変換しようとしたら、テープを動かすビデオカメラそのものが壊れていた。

 安倍晋三首相の名前が見える名勝地長門峡(山口市阿東)

 ジャンク品に行ったが売っていない。メーカーも保証切れ、DVD変換専門店に行ったが対象になっていないほどに古い。

 近所にTV局に勤めている若者が居て、相談したら「有りますよ。ただし10年以上使っていません」だと。 

 恐る恐る操作したら、最初は動いたがすぐにテープが絡みつき、巻き戻しができない、テープは切れる、と散々だった。とにかく動きだけはするのだから、セロテープで繋いだり、手で回して何とかダマシダマシDVDに変換した。

 これを教訓に、我が家にはビデオカセットのテープが大量に有り、ビデオカセットも1台有るが、早速予備の2台目を購入した。音楽テープもミニコンポを買って、パソコンに取り入れた。

 昔のシロモノを持って、動かせないで悩んでいるおじさん族も多いんだろうな、と思いながらジャンク品を見て歩き回っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする