約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

ミニミニ東京神学大学物語~中間テスト編

2009-06-24 20:43:19 | 東京神学大学
こんにちは。実はとてもブログを更新しているような状態ではないほど、先週後半から来週まで試験と課題と宿題、予習で目一杯なんですけど、最近どういうわけかブログへのアクセス数が多いので、あまりにもいつものようになかなか更新しないのは申し訳ない気になってしまったので、炊飯器のごはんが炊けるまでの間速攻で更新します。(なんか生々しい。あ、炊けてしまった。)

昨日と今日は2科目の小テスト(中間テスト)がありまして、どうしてもゆっくりは試験対策できないので、睡眠時間縮小作戦でなんとか乗り切りました。それにしても教会史の試験は大変ですね。ほとんど中世ヨーロッパの問題で世界史みたいなんですけど。。

しかし師匠がこないだ、「なんで中間テストなんかあるんだ。高校生みたいだな。」と言ってたんですが、そういえばそうだなあ。。まあ勉強しろってことか。
まあ今日は速攻更新ということで、あまり何も考えていないでどんどん書いてるんですが、まあすごい大学ですよ。ここは。小さい大学なのに、とことん勉強できるところですね。語学なんか、英語・ドイツ語・ギリシャ語・ヘブル語はもちろん、ラテン語・アラム語・シリア語、大学院ではアッカド語まで学べます。ぼくは英語とギリシャ語だけで死にそうですが。いや、そうかんたんに死なないか。

じゃあまた食事して勉強しますんで。
渋谷陽一さんがあんまりにも短いブログでしょっちゅう更新してるんで、それにも触発されてちょっと今日は書いてしまいました。

ではまた。 
(写真↑は東京神学大学最寄り駅の武蔵境駅構内の案内板です。国際基督教大やルーテル学院大といっしょに載ってます。武蔵境はその他、亜細亜大など大学がいっぱいあります。)

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いまを生きる Carpe Diem

2009-06-19 22:36:57 | 日記・エッセイ
いつもは週に2度も更新することはあまりないのだが、今週と来週は夏休み前の課題や宿題やグループ発表が重なってしまい、わずかな隙をついて更新しないと更新できそうにないので、今日はさっき豚肉を焼いて食べた(安いものですけど)後で、少し休みたいのでさらさらっと今日は書こうと思う。

このあいだ三沢光晴の訃報について記事を書いて以来、思わぬ方々との交流がリアルでもネットでも急に行われた。最近すっかり人気が陰った感のあるプロレスだが、やはり長くプロレスを愛して観ている人はけっこういるのだな、と思わされた。プロレスはほんとにファン以外の方は、なんであんなものを観るのだろう、と思う人は多いと思うのだが、単なる肉体と肉体のショー的ぶつかり合いを超えて、哲学的なものと、経営的なものと、人生ドラマが噛み合う不思議なプロフェッショナルな業(わざ)なのだと思う。ファンは多かれ少なかれそれを感じてるようだと、今回改めてそれを思った。

僕のようにAround40にして、今人生何度目かの学生生活を限られた予算の中で、しかもできるかぎり勉強に時間を費やさないと授業について行けない、そういう学校で学んでいると、以前働いていた時のように興味や関心を広げられない。たとえば観たい映画があっても、観に行く金銭的余裕と時間が残念ながら無い。そんな中、やはり同じ学生寮で生活している学生たちは貴重な仲間たちなのだが、いかんせん自分が神学生(=牧師研修生)のわりにはあまりにも多分野に興味がありすぎるので、なんか仲間たちと神学生っぽい話題ばかりだと、もう少し違う話もしたいなあと思うことがある。(って自分が一番喜んでそういう話題ばかりしてるかも。)

でも改めてまた思ったのは、インターネットやっぱりすごいって思う。色んな情報や、思いがけない人とコミュニケーションができる。PCでもケイタイでも。僕もこのブログをやっているおかげで、今回は三沢さんのことで思いがけない方々とネット上でいろいろコミュニケーションできたけど、もしインターネットがなかったら知り合えない方々だと思うと、やっぱすごいツールだな、と思う。

このブログだって1日70人くらいの方が見てくださっているし、記事を更新した日にはその倍くらいの人数の方々が見てくださっている。おそらくこれらの数字の半数くらいの方々は僕と直接面識のない方々だと思う。そんなにしょっちゅうは更新できないけれど、こういうつながりを大切にしていきたいと思う。旧ブログでも書いたことがあるけど、坂本龍一が「20世紀最大の発明はインターネットだ」と言っていたことがあるが、それはちょっと凄すぎる賛辞ではあるけれど、確かに凄い発明だなと思う。世界が広がるよね。関係も新しく生まれるし。

僕は今、神学(キリスト教神学)と言う学問を学んでいる。
本当は「神学とは何か?」という感じの記事を書きたいけれど、正直まだそこまで行ってない。いつそこまで行くのか。とにかく今は学ぶしかない。神学は、日本ではなじみは少ないが世界的にはメジャーな学問だと言っていいと思う。他の学問ではたどり着けない部分(人生や人間について、そして神について、この世界についてなど)に光を当て、客観的な探求を、また答えを見出そうとするものである。

インターネットはわかりやすい形で新しい関係が、世界が広がって行くが、神学は簡単にはわからない世界に光を当て、その答えを探っていくものだ。方向は違うが、新たな気づきやその感動は近いかもしれない。

今、僕は現在のその学びに打ち込むと共に、卒業後のこと(大学院修士課程まで学びたいと思っているため、約4年後のこと)を考えている。またそのために祈っている。牧師にはぜひなりたいと思っているが、その中で具体的に挑戦したいことがあるのだが、そのことを思いをめぐらしている。

ああ7年前市役所を辞めた時、お世話になった先輩に

「将来は”朝まで生テレビ”なんかに出られるようになりたいと思ってますんで!」

なんて、意気込んでいたのをなつかしく思い出す。

おっと、書き始めて30分以上たってしまった。止めなければ。
またお会いしましょう。みなさんもどうか良い日々をお過ごしください。


(映画「いまを生きる」のDVDジャケット。20年前に観た映画で今も好きです。)

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三沢光晴よ、あなたは偉大だった。

2009-06-15 05:33:38 | スポーツ・格闘技
1週間というのは、何事もなく比較的平凡な週もあれば、何週間分も神経と体力を使ってしまう、そんな週もある。ちなみに僕はこの約1週間は、あまりにも色々ありすぎてすっかり心身のエネルギーを使ってしまい、大学の勉強もここ3、4日はままならない。それでも、それでも人生は続く。生きていればなんとかなるさ。

と、思いたいのだが、そんなブログにも書けない色んな意味で緊張走る日々を過ごした中で、おととい土曜日夜、急な訃報が飛び込んできた。それはここ約20年、日本のプロレス界のトップレスラーであった三沢光晴の試合中での死亡であった。

「えっ、どういうことだ」

信じられなかった。
しかしそのネットでの情報はやテレビ、またスポーツ新聞の一面でそのニュースを目に、耳にしてしまった。肉親でもなんでもないのに、時間が経つにつれ、なんかどんどん胸が痛くなる。三沢光晴は死んだのだ。(プロレスリング・ノア社長 兼 レスラー/享年46歳)



先日、ロックアーティスト・忌野清志郎の死についてもこのブログで書きつづった が、いずれもショックな出来事、早すぎる死である。個人的には三沢(と親しみをこめて呼び捨てにさせてほしい)の死はさらに胸が痛い。本ブログおよび旧ブログ(2009年2月6日終了)では、時折抑えめに書いているが、実は僕は20世紀最後の約25年間、熱いプロレスファンであった。1999年に特に大ファンであったプロレスラー前田日明(現役時代後期はプロレスラーではなく格闘家であった)が引退し、そして21世紀に入りしばらくたって桜庭和志が衰えてきたころからプロレスも格闘技もあまり見ることはなくなってきた。

三沢については、個人的にはファンではなかった。しかしよく試合は観ていた。生で彼を観たのは一度だけかもしれない。しかしテレビでは日曜日の深夜によく日本テレビで観た。1990年代の全日本プロレス中継での当時「四天王」と呼ばれた三沢川田小橋田上の試合は、プロレスファンのみならず日曜夜に夜更かしした男子の多くは観ていたのではないか。今思い返しても、もしプロレスをスポーツと呼んだとしたら、あれほどハイレベルなプロフェッショナル・レスリングをやっていたのは、感動にしかならない。ほかにどう表現するのか。90年代半ばには、すべての試合の終わった後の番組のエンディングテーマに、その日の試合のレスラーの表情をバックに辛島美登里の「初めての恋」が流れていたが、そんなしっとりしたラヴソングが似合ってしまうほどの質を持った番組として、当時の全日本プロレス中継は成り立っていた。

そしてその中の看板レスラー4人、その四天王の頂点に立つ男、それが三沢光晴であった。

三沢光晴は、高校でアマレスをやった後、全日本プロレス入団、そして若手時代を経て、タイガーマスク(二代目)に抜擢され人気者となる(1984年)。そしてその後ある試合で自らそのマスクを脱ぎ捨て、正体の三沢光晴に戻った瞬間、その過激さで人気が大爆発した(1990年)。それ以来、彼を観るために多くのファンが日本武道館に集まるようになり、全日本プロレスは武道館満員御礼が続いていった。

その後、全日本プロレスの総帥ジャイアント馬場が死去(1999年)。そして全日本プロレスは分裂する。三沢をリーダーとする改革派(多数派)は全日本プロレスを離脱し、新たな船出の意味を込めて新団体「プロレスリング・ノア」を立ち上げた(2000年)。



そのノアでも四天王のうち3人と、新たに秋山という名選手を加え、ハイレベルな戦いを繰り広げていった。しかし私見だが、そのころはもう三沢のピークは過ぎていたと感じている。加齢に加えて、おそらく社長業のほうが大変だったのだろう。体の締まりはなくなってゆき、技の切れもスピードも甘くなっていった。

90年代の三沢光晴、そして彼を含む四天王の試合は感動であったと書いたが、ある時ある試合の中継で、解説席に座っていたジャイアント馬場が泣いていたことがあった。

「馬場さんが泣いています!」

と、当時のアナウンサーは叫んだ。馬場の目から涙が流れていたのが、テレビに映った。その試合のレベルの高さ、いや技術を超えたプロとしてのアスリートとしてのその精神力と技の攻防すら超え、限界を超えて闘っている姿に、師匠であるジャイアント馬場は涙を流したのだ。その象徴が三沢光晴であった。

今回死因はまだ正式には公表されていないが、試合でのダメージや、これまでの現役生活での身体へのダメージの蓄積があったのだろうか。あってもおかしくない。あれだけ激しい試合を20年近くもやっていれば、やっていれば・・・やっていれば。。これ以上書けないよ。そういう試合が自分にも多くのファンにも感動を与えて来たんだから。生きるエネルギーだって少なからずもらっていたんだから。。。

三沢光晴は本当のプロフェッショナルであり、真のテクニックとハートを持った本物のプロレスラーであった。そういうレスラーは減ってしまった。プロレスはかつてゴールデンタイムで(批判は絶えず受けつつも)日本人サラリーマンと男子学生に生きる勇気と喜びを与えてくれたものであったが、しかし今は、言いづらいが低級な娯楽へと成り下がってきてはいないか。また一人、現代に生きるサムライを失ったようだ。彼の死は、尊い殉職だ。

三沢光晴さん、あなたは偉大だった。多くの感動を本当にありがとう。私たちは、あなたとあなたの闘いを決して忘れはしない。




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東京神学大学物語 その1~英語はつらいよ

2009-06-09 00:27:31 | 東京神学大学
いつもこのブログをご覧くださっているみなさん、お久しぶりです。こんにちは。

実は毎回こうなんか世間に訴えかけたいようなものを書けないだろうか、コラムでもエッセイでも小説でもいいから書けないだろうか、と思いつつ過ごしているのですが、東京神学大学に入って以来、ずっと「なんでこんなに勉強するんですか」という日々が続いており、ブログ更新する余裕があまりないんです~。前も書いたような気がしますが。

で、なかなかこう自分的に書きたい感じの記事を書こうとしていると、余裕なく目標の週イチ更新もままならないので、ちょっとこれからゆる~い感じのものも書いていこうと思います。旧ブログ(さとうけいぞうのインディペンデント・ペレストロイカ:2009年2月6日終了)ではそんなものばかり書いていたような気がしますが、少しそんなものもまた書きたいと思うのでごわす。

そこでその一環として、本日より気まぐれ連載で「東京神学大学物語」なるものを書き始めたいと思います。昔、ちゃんとは読んでいませんが、漫画家の江川達也氏が「東京大学物語」というけっこう若い男性の本能丸出しのような、ような、そういう感じの漫画がありましたけど、そういうんじゃなくてテキトーさだけそういう感じで行きたいと思っています。(でも学校の学びはちゃんとやっているのでご心配なく)

さてむかし椎名誠さんの本(哀愁の町に霧が降るのだ)を読んでいると、なかなか本題が始まらない、しかし面白いというのがありましたが、ブログでそれをやると本題はまた次回!となってしまってシャレにならないので本題に行くぞ。
この東京神学大学(通称・東神大)は、とにかくよく勉強させられる。そのために入ったのだが、予想をはるかに上回る勉強量だ。とくに僕のような3年編入組はシンプルな内容だが、よく宿題と予習が必要だ。

毎日夜な夜な英語とギリシャ語が夢に出てきそうなくらい、やんなきゃだめなんですね。でもやりきれないからダメなんですが。(喝!) 今日は英語のほうのお話をいたしましょう。

英語は最初に補講クラス履修が必要かどうかで、試験を受けさせられたのですが、なんとそれをパスしてしまいまして!補講クラス履修はなくなり、本科クラスのみとなりました。しかしそれは単なる英語ではなく、英語の神学書の講読の授業なんですね。当代きっての世界的神学者・ アリスター・E・マクグラス(前オックスフォード大学神学部教授、現ロンドン大学教授)のテキストが与えられて、それを1週間に2ページ訳すだけなんですが・・・だけなんですが・・・これがわからないの、なんの!まじめな話本気で英語をやるのは17年ぶりと言ってもいいので、始めそれを訳しきるのに12時間かかった。ワンセンテンスが長いのに加えて、専門の神学書で歴史と哲学の知識もないと訳しても意味がわからなくて、わからなくて。

そして授業になると名前は大先生なので伏せますが、アットランダムに当てられる。しかもトランプを切ってめくって、その出たトランプのカードと出席番号を合わせて当てていく。トランプの数字以上に履修生はいるんだが。とにかくトランプをめくって当てている。

「はい、佐藤さ~ん。」

懸命に訳文を答える。うーん、一応クリア。
しかししばらくすると全員当たりきる。

「不幸にして、一巡しちゃいました~。」

で、またトランプを切られる。そして再び、

「はい、佐藤さ~ん。」

うう、今日はそこまで訳しきれていない・・・すみません、そこまでやってないです。

「OHっと!」

・・・訳してないチェックをされてしまう。

そして授業は終わるが、また新たな1週間、新たな2ページ翻訳が始まるのだ。
余談だが、同級生に年配の男性の方がいる。僕と仲良しだが、彼は少し前まで寮の部屋でいつもいつも英語をやっていた。

「ギリシャ語や他の勉強までいかないんですよ。」

なんでそんなに英語ばっかやってんですか!

「だって、まず補講の英語と、それからあのトランプの英語と、それからもう一つ英語の講読とってるけん。。」

なんでそんなに3つもとってんですか!ぼくなんかトランプの英語だけで週10時間くらいやってんですよ。

「いや~、あの語学好きな○○さんがとってたから、ワシもとったんだけど・・」


なんつう取り方してんですか。自分で履修科目は決めないと!早くいっちゃん大変なトランプだけでも辞めないと。今なら(4月末)まだ単位不合格にならずにリタイアできると思うんで。先生に相談に行ったほうがいいですよ。

「え、さとうさん、そんなことできるんけ。知らんかった。。」

ったくもう、何しに神学大学来てるんですか、英語やり来てるみたいじゃないすか・・。

と、早くも級友たちと激サイトしているのでございました。これはまあ激サイト中級編ですが。(やや上級編は、休み時間に教室で例によって熱くでかい声で語っていたら、机で寝ていた韓国人留学生の女の子に「さとうさん、うるさい!」と言われてしまいました・・・。)まあトランプ英語は2カ月やってやっと8時間くらいで訳せるようになりました。そんなわけで東京神学大学物語、第一回終わり。次回物語は授業以外編です。お楽しみに。

 
(↑ 5月8日(金) 校舎と てっぺんの十字架にかかる虹)

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