約束の地をめざして

I STILL HAVEN'T FOUND WHAT I'M LOOKING FORー めぐりあう人々と出来事とともに

ヴィヨンの妻、だけじゃないんですが。

2009-12-07 10:38:53 | 映画・ドラマ
もう1週間近く前の話だが、11/29(日) 教会でぼくが担当するベーシックバイブルクラスという講座が終わった。と言っても第1回目が終わっただけだが。(月に1回ずつ全5回のクラス)

そしてその日の夜であるが、それまで約50日間色々やらねばならないことがあって、ホントに体力・時間の限界と闘いながら過ごしていたので、その疲労をいやすため、自分へのご苦労賃で、今年度初めて映画を観に行かせてもらいました。

見たのは、ヴィヨンの妻
モントリオール世界映画祭で最優秀監督賞を受賞したのもさることながら、主演の松たか子が人妻役というのがたまらない。というと非常にエッチな響きに聞こえるので、奥さん役、にしておく。。いずれにしても勘違いされそうで、文才の無さに悩みまする。



要は、松たか子自身に凄まじい思い入れはないのですが
松たか子がかつて出演した、僕自身こんなに気に入った作品も珍しい「隠し剣 鬼の爪」の江戸時代と思しき、「きえ」という貧しく辛い女性役を演じきった松たか子が忘れられないのです。

あと、この作品は太宰治が原作である。
かなり本を読んでいない自分には全くそれを語る資格はないが、今自分が太宰ゆかりの地、太宰が最後に過ごした地であり、自害した地である三鷹に住んでいる。太宰ゆかりのものが三鷹にはけっこうある。

そんなことが噛み合って、日曜の夜はかなりクタクタなのだが、その日は上野からの帰りに有楽町までヴィヨンの妻を観に行った。

くわしいレビューは今回は書かないが、一言で言うと、まさに映画を見た、という感じがする。作品として1秒も隙がない、完成された映画であったと思う。人によって、面白かったかどうか感想は分かれるタイプの映画だと思うが、芸術作品としての映画、文学作品の映画化としては最高レベルではないだろうか。モントリオールの映画人は目が高いと思う。その後、原作を速攻で読んだが、いやー、原作面白いじゃん、太宰やっぱ読まなきゃだめだな、と思わされ、つい反省した

話は変わって、三鷹と言う土地のことをもう少し書きたいが、ここには三鷹の森ジブリ美術館もある、そして多くの大学もあり、文化・学術的なものが多い街だ。

その日のベーシックバイブルクラスは、なぜこの日本で、聖書というものに違和感を感じやすい国で、この聖書を学ぶ必要があるか、というとこころから話を始め、参加者と意見を交わしながら進めていった。レジュメ、意見交換、レクチャー、そしてホワイトボードを使うという、こういうスタイルは実は初めてだったので、慣れずに苦しかった。しかし不器用ながら、伝えたかったこと、考えてほしかったことは伝わったようで、ホッとした。

こういう三鷹という文化的、学問的素養が豊かな土地で、様々な文化を体験しながら神学を学びながら、どうこの国の文脈に合わせて、思想的に確かなメッセージを発し、そして新たな文化・芸術を発信できるのか、やっぱりその可能性を試していきたい。3年編入生なので、今はほんとに3年分の専門科目の詰め込み学習みたいなところがあって余裕はないが、来年4年生になってから、それに通じる学びが少しずつできそうだ。

そして先月、小沢一郎さんが発言したように「キリスト教は排他的で独善的な宗教だ」 、みたいなことを公でまた言われないようにしたい。そんな話はキリスト教の教えを普通に学んでいけば、とうてい事実ではなくて、何をもって小沢さんがそう発言したのか、いまだによくわからないんだけど、可能性としてはキリスト教の歴史の中で、そう受け取られても仕方のない一部の過去の出来事の印象が強かったのかな。(まあでも公でそういうことを言うほうもどうかとは思うが)

俳優の渡辺謙が、今夏、一市民として東京新聞に投稿し、政治家への意見が載ったそうだから、僕もそのうち実力がついたら、何かそういうことを感じた時、朝日新聞にでも何か投稿しようかしらん。
なんかね、どうしてもパブリックで、できるだけメジャーに世の中にインパクトと変革をもたらしたいっていうDNAがあるみたいなんです。今はまだそういったことはとてもできませんけど、やがてやってみたいんですよ。


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映画 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 の衝撃

2009-02-28 08:59:21 | 映画・ドラマ


僕は定休日が月曜日なのだが、このところ月曜日以外の6日間で神経と時間を使いきってしまい、月曜日は心身ともに休むこと以外は何もできない。1月に私的な出来事で精神的にかなりのダメージを受けたが、そのショックがまだ尾を引いているのか、月曜日に仕事をせず一人になるとなかなか体が動かない。これは牧師研修生としては情けないのかもしれないが、しかしこのようなときは無理に動かないことが自分自身を取り戻す助けになるのかもしれない。

そこであまり動けないので、しばらくあまり借りなかった映画のDVDをこのところ週に1本借りて月曜日に観ている。3週続けて観た。「隠し剣 鬼の爪」「レオン」そして「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だ。 「隠し剣 鬼の爪」は、今月の始めに日本テレビで放映したときには仕事がかさんでしまって、大好きな作品なのに結局テレビでは見られずに後悔したのでTSUTAYAで借りてきて観た。本当に好きな作品で我ながら困ったものだ。いつか書く、書く、と言って藤沢周平原作の映画作品ブログはやはりいつか書かねばならない。 「レオン」は超有名なのに、今まで観たことがなかった。というより、僕は洋画(特にハリウッド映画)は、20代の頃あまりにも観すぎたときがあり、すっかり作品のパターンが読めて飽きてしまって、洋画に若干のアレルギーがあるので有名な作品でもけっこう観ていないことがある。「レオン」はその一つだった。

「レオン」は一言で言えば、とても良い作品だと思った。すごいマイ・フェイバリットにはならないが、この映画がとてつもなく好き、という人の気持ちはわかる。始まりから終わりまで、作品として隙がなく作られていて、ストーリーや登場人物設定がなさそうでありそうで、そして全体に流れているせつなさがこの作品を忘れられないものにさせている。そして今週月曜日に観たのは歌手のビョークが主演した2000年カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞(最高賞)受賞の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」だった。



すでに「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を観ている人からすれば「やっと観たのか」「遅かったがよく観てくれた」と言ったところだろう。TSUTAYA東京上野店の「愛され続ける映画ベスト100」にレオンと同様にランクインされていたのであるが、これを140分間見続けて、そして見終わったときの衝撃は、どう言葉でいい表せるのだろうか。こんな作品に出会ったことはめったにない。同じようなインパクトがあった映画としては、自分としては「鬼畜」 (松本清張原作、緒方拳主演)、 「デッドマンウォーキング」 (ショーン・ペン、スーザン・サランドン主演)があったが、やはりダンサー・イン・ザ・ダークはそれらとは別の唯一無二の衝撃を与えてくれた映画であった。

この作品を観たことがない人もこの記事を読んでいるだろうから、残念ながらストーリーはここでは書けない。一つだけ書けるとしたら主人公セルマ(ビョーク)の設定だが、それは彼女が弱視で、12歳くらいの男の子の母親(シングルマザー)で、ミュージカルが大好きで、昼間は工場で働いている、という設定だ。作品全体に流れているテーマには「病」との闘いがある。くわしくは知らないがビョークはこれが映画初出演だったのだろうか。こんなに鬼気迫るというか、真実味を帯びた演技をよくできるものだ。彼女の才能とはあれ、ダンスシーンに飛び抜けた感があった以外はまさにこの主人公セルマの人となりそのものであった。ビョークでなければできなかった役であろう。

映画は予備知識なしで観るに限る。このブログを読んでこの作品に興味を持った方は、絶対に事前にウィキペディアなんかでストーリーを調べないように。僕は 「ブレードランナー」 (リドリー・スコット監督、ハリソン・フォード主演)が一番好きな洋画だが、ブレードランナーにしろ、レオンにしろ、このダンサー・イン・ザ・ダークにしろ、一見絶望と思える中に希望が垣間見えるところ(作品ごとにその強弱はあるにせよ)に、映画が私たちにくれる最も高い価値を昔から感じる。もちろんハッピーエンドで終わる映画も、ジャッキー・チェンのスタントマンなしのアクションだけで満足させられる映画も確かに素晴らしい。ただその映画作品が人生の真実な姿を表わさんとする作品であるとしたら、人生の楽しさだけでなく、複雑さ、せつなさ、悲しさを踏まえて、それでもやっぱり希望はあるんだ、というテーマの作品であってほしいなと思う。と言うのはそのような作品こそ、私たちを単にその場限りの泥酔や大麻のように、自分を刹那的に麻痺させるものでは終わらずに、見終わった後に私たちの人生や日々の生活に新たな視点とさりげなく生きる希望を与えてくれるものだからだ。

ダンサー・イン・ザ・ダークを観て「あれのどこに希望があるんだ?」という意見もきっとあると思う。しかしそのある面人間社会の限界、絶望を感じるストーリーの中に、不条理の中でも「自分が生きる間、何をしていけばいいのか」という、彼女が生きる理由から離れなかったこと、そして残された希望とかすかに広がる未来に対して、カンヌではパルム・ドールという応えを持って共鳴したのだろう。自分も日々、生きるということについて、自らの信仰とからめながら考えさせられているが、人生においても、映画においても、物事がうまく行かない時でないと出会うことができない「忍耐と希望」という世界があるのだと思う。

ダンサー・イン・ザ・ダークの与えてくれた唯一無二の衝撃とは、絶望と思える中で、その中からかすかな希望が生み出されことが、他の多くの映画の比ではなかったことである。僕のなかなか動かない心身をも、その衝撃をもって確かに揺り動かしてくれた。


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