こんにちは。暑い日が続きますが、お元気ですか。
牧師みならいけいぞう、日々精進が続きますが、このあいだの日曜はいつもより多くの人が教会に来られたので、いつもよりがんばって一日中働き通した反動か、かなりクタクタになってしまって、翌月曜日はは具合が悪く寝てばかりいた休日でございました。
また昨日水曜日なんかは、朝6時出勤(勤務地・上野)にもかかわらず、夜は自主研修の一環で神奈川の大和市まで行って、夜11時の帰宅でございました。
でもまあ日々精進&盛り上がっているようなんで、オッケイ!なんですね。オモロー!です。(オモロー?)
さて、では今日のトピックはなんとこのブログでなんと初めてのトピック、読んだ本についてです。
実はぼくは非常に本を読むのが遅い。1冊読むのに3~4週間かかる。
そのくせ1冊読むか読まないかで、3冊くらい買っているので、いつの間にか部屋が本だらけになってしまう。
以前、師匠が家庭訪問に来たことがあった。みならいは普段の生活が大事だから、普段部屋をちゃんとしているかどうか、見に来られてしまったことがある。
そしたら、「どうしても必要な専門書籍はとっておいてOKだが、それ以外の学び終えた専門書籍は処分するように。それから一般書籍で読み終わったものはブックオフに売ってしまうように。そうやって部屋を整理しろ。」
そう師匠は言い残して帰って行った。
あるとき、いつもの美容院でいつものお姉さんに髪を切ってもらっていて、師匠ネタをいろいろ話していたら、彼女が
「佐藤さんには、師匠の言うことは絶対なんですね。」
と言われた。
が、すかさず、
「いえ、そんなこともないんですよ。」 と否定してみせた。
ワハハ。
これ以上書くと、師匠に破門されそうになるので、この辺でやめておこう。さて、
先日、勝間和代さんの本を読み終わった。読書通の方から見れば、何と言われるかわからないが、言わずと知れた今本屋さんに並びまくっている本の著者である。経済評論家で、公認会計士の方である。(知ってますか?)
なんかためになりそうなので、とりあえず読んでみた。
「効率が10倍アップする 新・知的生産術ー自分をグーグル化する方法ー」
という長いタイトルの本である。
いや経歴もすごい人だが(くわしくは本屋やネットでチェック!)、書いてある、というか、実際にやっていることを書いているので、やっていることが凄い。
この人は1日何時間生きているんだ?というくらいの人である。1日が168時間(=7日間)くらいあるんじゃないか、という感じの人だ。参考にならないくらい参考にしたい時間利用術、生活術、仕事術、PC利用術、人脈作り力を持っている人である。しかもぼくより一つくらいしか年齢が違わない(彼女がたぶん1コ上)
そしてこの本の結論はこうである(出た!ネタバレ) まあネタバレしても、この本は読む価値がじゅうぶんある本なので、ちょっとくらいネタバレしてもビクともしない本なので、このまま結論言ってしまおう。
この本の出だしは、
「この本は、あなたの知的生産性、特に情報のインプットおよびアウトプットの方法を飛躍的に上げる技術を提供します。」
・・・そのとおりだったと思う。飛躍的すぎてできないところのがずっと多いのだけど、そのうち1コでもできれば万々歳だと思う。
そしてこの本の終わりは、
「ぜひ、何かやってみてほしいのです。
そして、それがうれしさにつながり、自然と普段の動き方が変わってくると思います。
一緒に、ワクワク楽しい知的生産をやっていきましょう。
それが、私たちにとって、最高の贅沢なのですから。」
・・・「一緒に、ワクワク楽しい知的生産をやっていきましょう。」
ぼくはこの本はこれで終わったら良かったと思う。
そのあとの最後の1行「それが、私たちにとって、最高の贅沢なのですから。」
は、ないほうがよかったなと、ぼくは思うのだ。
この勝間さんは、言わば、超人ですよ。超人と言えば、ハルク・ホーガンくらいしかけいぞうは知らなかったのですが、ここにも超人はいたんですね、という人ですよ。たぶん相当忙しい中で、月に50冊の本を読むんですってよ。信じられますか?
勝間さんは、知的生産については超プロフェッショナルだ。将来国会議員になってもおかしくない、いや大臣になってもおかしくない人だと思う。
しかし、知的生産が「最高の贅沢」かどうかは、人によって違う。勝間さんの価値観・ライフスタイルからしてみればそうだろうし、彼女のレベルくらいで生きている人にとっては、みなそうなのかもしれない。
でも、まだロードショー中なのであまり書きたくないが、先日もブログに書いた映画「山桜」の中では、江戸時代の、地方に住む非常に貧しい百姓の一家が出てくる。知的生産とはほど遠い生き方を、人生を送っている一家だ。
その一家にとっては、米がちゃんと実って、年貢をちゃんと納めて、残りの米で一家が食べて行ければ幸せなのだ。
先日、わけあって親しい男性の友人と表参道の並木道を歩いた。あまり男性同士で歩くこともない通りだが、理由があってそうなった。
その洗練された都会の街並の中で彼が言った。
「さとうさん、おれなんか、うまいも食えるだけで、幸せだと思いますけどね。あんまり金もってないし、食費もふだん削ってるから、ほんとそう思いますけどね。」
ー知的生産が最高の贅沢。
たしかにそうなのかもしれない。たしかに贅沢だよな。
ただ、そこに最高の価値基準を置いたら、勝間さんのように本当に次から次へと何でもやりまくる生活になってしまう。勝間さんはそれができる人だから、それはそれでいい。また勝間さん以外にもそうできる人は大勢いるだろう、それもそれでいい。
でも、ばかみたいな時間をゆっくり過ごして、おいしいものいただいて、愛する人々とゆっくりすごすほうがおれは好きだな。
ぼくは「贅沢」より大切なものは「幸福」であることだと思う。
と言うのは、たとえば贅沢な食事でなくても感謝して食べる、ひとりであっても。それが6畳間であっても。
それはそれで幸福なのだ。食事が与えられていることだけでも感謝だし、平和であるだけでも感謝なことだと思う。
知的なものに対しても、物欲に対しても、実は「満足」というものには限りがないんだと思う。
でも、わずかな幸せであっても、「幸福」というものは、人を真に満足させるものだと思う。幸福なときはそれ以上何がなくても幸せなんだ。
知的生産はたしかに贅沢だと思うし、ぼくもそれを追求したい。しかし「最高の贅沢」ではないと、ぼくは思う。そこには限りがないからだ。限りがないものには満足がない。
最高の贅沢とは、たとえどんな状況にあっても、幸福に生きていることを実感できることだと思う。
勝間さんの優れた内容の本に出会ったことを感謝し、そのうちの一つでも実行したい、と思わされたと同時に、それとはまったく違う生き方の大切さにも、また気づかされました。
「乏しいからこう言うのではありません。
私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。」
(新約聖書より。使徒パウロのことば。)
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