いわなの巡礼

いろんなことに巡礼しゃうことをモットーにスビリチュアルなこと見つけと人とのふれあいを見つけていきます。

地中海の水を、荒れる冬の日本海に

2013-11-29 21:10:19 | Weblog
帰国後の楽しみの一つ
スベインのマドリッドから各世界遺産を回遊して、内陸部を通過して七日目でいよいよ南西部の地中海沿岸に到着しました。
そこはミハスから約20キロの太陽海岸コスタデルソルです、まあー、なんて明るい響き、タイヨウカイガン!なんて。
まさしく、地中海のリゾート地でした。文字通り地中海に人生フゥーストコンタクトです。
     
朝焼けの海岸はチョット凄かったゾ。

その記念に高校野球の球児が甲子園の砂待ちかえりならぬ、地中海の水、スベイン語ではアクアね、を約10CC、小瓶につめて持ち帰りました。家人いわく、そんなものもって帰ってどうするの?なんてのたまう。フフフッ、ロマンの解らないヤツメ。
この地中海の水を持ちかえり、我日本海にポチャンとすることに意義があるのが解らないのかしらん?

この遊びこころが旅心の派生というか、無事帰国祈願御礼というか。まあ、さほどのことではないのかもしれないけど、
そこにはなにかスピリチュアルな儀式というものがあってもいいのではないか?お土産配りだけが帰国後のなすべきことではないと思うのだが。

そんな思いで、今この小瓶をかざしていろいろ思い出を水の中に見ています、そしてそこに溜まっているわずかな地中海の砂が、あのコスタデルソルのまさにコーキューリゾート地の明るい、タイヨウサンサン、オネェーチャンバンバンのもう二、三日、ウロウロしたかった未練をかき立てます。本当に10月末だというのにすっかり目の保養をさせてくれるオネエサン貴方はエライ!。

近々冬の荒れた日本海の、まあ、三国のトウジンボウあたりかな?エイヤアーッー。とやってきますね。

もう一つ
私の家にこんな木造の置物が有ったのです、そう、あのドンキホーテ!!
父親が数十年前から持っていたのですが、他界する一年ほど前に、木像好きの私に何気なく、お前に遣ると言って手渡ししてくれたものです。何故彼がこれを持っていたのか?入手した経路はどうしてか?など今とても気になっています。

今、間違いなく思えること、この高さ30センチほどの味わいあるドンキホーテ像が私の知らぬ間に私をスペインに呼び寄せていたのでしょう。そうとしか思えない!

スベインの奇蹟、白い村々の代表選手ミハスでしたが

2013-11-27 21:23:38 | Weblog
ある観光会社のフレーズを紹介
『太陽の下、窓辺を飾る花々、白壁を飾る陶器。』なんてね

そう、スペインの奇跡なんてもいわれてるアンダルシアの白い村々、その代表の一つに『ミハス』が有ります。

そこ、ものすごーく、ワクワク期待感でした。なんか夢の世界、ガイドブックの写真なんか見てると行ってみたいなあ、いや、行ってみよう、いや、絶対行かねば!の思いでした。   

どうですか?こんな白い村の路地。なんか出来すぎで興ざめの感がしないでもないのですが。
    
あまりにフォトジェニック的でどうなんでしょう。そういえば日本のカメラ会社の宣伝風景撮影がこのアングルだったとのこと。なんか、既視観ありますよね。

地中海を見下ろす丘の中腹にあり、あまりに宗教的ともいえるイスラム、キリスト、ユダヤの世界遺産を見てきた今回の旅行にあって半日観光として一服の清涼剤的な明るい雰囲気満載のところです。
街中にある廃墟から再建されたサンセバスチャン教会に入ってみるとやはりそこは外の喧騒からは全く異次元の空間、そして素朴なマリアが400年前から。
ここにはスペインで一番小さな闘牛場がありました。
  
このあといよいよ、内陸から地中海へ出て行きます。

途中のお泊り『ロンダ』も少しね
小さな中世旧市街の現役のローマ橋遺跡があるところ。パラドール体験ファーストコンタクトでした。スペインの五つ星ホテルパラドール群の中にあって数少ない四つ星ホテルですその立地ロケーションは写真のごとくスゲェーところ。眼下数百メートル足すくみます  、地震あったらホテルはまっさかさま?谷底へ?かも。ホテルの玄関口がローマ橋、旧市街の入り口でした。朝五時ごろ闇の中散歩してたら人通りの無い、中世の街中に迷いこんでいました。
  でもここ、寒かったアー!
ローマ橋の下方にアラぶ橋、やっぱりここもイスラムとキリストのせめぎあいの地だったのですね。
このローマ橋の橋げたが牢屋になっていたそうな。

世界遺産の連続もいいけどこんな時間も大好き。

2013-11-25 18:51:03 | Weblog
ゴルドバといえばメスキータでしょう!
円柱の森というか、約850本の柱がそのモスク内に林立してます。ヨーロッパに残るイスラム建築の最高峰、柱一つ一つがローマ時代のものを再利用したり、長さが違ったり、しています。でも馬蹄形の二重アーチは不思議な構造でその景観は壮観でした。 

数少ない、はずれの無い要見学のひとつです。すごいのは4世紀に渡り改装されていて回教徒文化とキリスト文化が融合しているところがスベインらしい典型的な寛容の文化となってますよ。写真で見て取れるように柱一つ一つが色が違う、ということはローマ時代のあちこちから寄せ集めているという事、さらに今、間違いなく私は1200年前の建物の中に存在しているという事、そして触れたという事、なにかこれって形而上学的感覚かも?

モスクとカテドラルが一体化されている典型的なイスラム文化が色濃くのこっているところ、更にユダヤ人街があり、花の小路なんて、洒落た名前の路地裏街をブラブラした時はまさにこれをしたかったんだあ、そうだBALでカーニャとハーモンセラーノだ、の連立方程式がきっちり解読されたようで団体行動をすっかり無視、やっぱり次は一人を痛感した次第。
   
花の小路はこじゃれた名前だけどそんなの観光用とわかりました。更に奥に有るんですよ、路地路地裏裏奥奥?が。
でも、迷いそうで少し怖くてヒリヒリするんですよ。迷いました、ハイ、焦りました。自由行動時間とはいえ添乗員さんスミマセンでした。

ゴルドバの名前を聞いて、納得したことがありました。
私は若い頃から革製品が大好きでいまだに数多くのバックを持ってます、あのなめした皮のザックリした鞄を見ると息がハアハアと荒くなる習性がいまだに有るんですが、その皮をコードバンといっていますが、ここゴルドバの地名がその発祥ととのこと。ソッカー、ここに引き寄せられた小さなわけを知ったのでした。

セビージャのカテドラルはデッカイ!  世界で三番目とのこと、じゃあ、一番は?となりますよね、コタエ。当然カトリックの総本山バチカン、二番は?あそこ!

カテドラルはおおきさに惑わされやすいのですが、私は入った時に、アー、ここいいなあと瞬時に感じる気持ちを大事にしています、前回、今回とほとんど(有名どこ)のスペインの大聖堂といわれるところを拝観したのですが、旧市街の中に、夜ブラリと出かけた時に地元の方が一日の感謝の祈りに訪れるむ夕刻七時前後に出くわす、あの日常の何気ない、それでいて厳かで、アー、いい加減な気持ちでこの場にいちゃあダメなんだと思わず身と心を正す教会の雰囲気が大好きです。

夜の楽しみの一つにそういう教会の 旧い過去幾万人が座ったであろうオークのベンチに腰掛、少しばかり旅の無情感を味わう事が有ります。今回は旅というより旅行では有ったのですが、やはりみんなとはなれて一人で気持ちを彷徨わせる時間は昼の観光よりもときとして大事な場合もあるわけです。

ゴルドバ、セビージャと来る前に当然グラナダ、イスラム文化もちろんアラブ世界も含めてもの最高峰ともいえるあのアルハンブラ!へいったのですが私はその栄華を感じ取る事が出来ませんでした。
入場する際には全世界からのここお目当ての観光者が列を成して大行列、そう保全の為朝早くから入場者数を時間制限しているのです、ヒェーッ!物凄い待ち時間。
世界の至宝、アルハンブラに、物凄く不遜だとは思うのですが王朝の建物がすごいというだけでここリピーターにはならないでしょう。ムラジカオリさんゴメンなさい。貴方の演奏は大好きです。フゥンです、あの宮殿でのコンサートはちゃんと映像で見ていますので。

にもかかわらず、早くここ出てアルバイシン地区へと、白壁の続く石畳の迷路のような入り組んだ路地はアラブの歴史がいまだに息づいているかのよう。
結局私は悠久の宮殿の素晴らしさより、生活感の溢れる路地裏をほっつき歩くことが大好きという事がよーく解りました。
これは国内においてもそういえるわけで、城下町とか宿場街に行っても有名どこを外してひたすら、裏通りをコソコソキョロキョロするのがいつものパターンなんです。こんな私にいつもかならず付き合ってくれるシマちゃんありがとう。

こうして快晴の旅行ははたまた続いていくのです。

追伸
城塞都市アビラの次に行ったセゴビアの水道橋、これは間違いな特級の世界遺産です!  
突然、あの天空にそびえ連なる岩の建造物は異様なオブジェで、ウワアーッ、なんなんやあーこれは!これ第一印象!
あの見上げる視界に入るものは、過去生きてきた中では見れ無かった不思議な感覚です。テレビ映像とか写真は何度も見てきてたのに、あまりにあっさりと紺碧の空中で突然目の前に現われると『いやあ、まいったなあー』って言うのが正直な偽りの無い感想でした。

まだの人、行くべし!!そして2000年前のローマの遺跡に触れてみてください。手のひらにその石の感触を確かめてみると中学生の社会歴史の授業がその時にコトンと胸に収まったのです。これって、大げさかな

少しばかり不満もね
そこの有名店エル、べなんとかで食べた確か?生後20日の子豚の丸焼き、これは看板倒れ、いくらか知らないけど秋吉の焼き鳥、越前大野の星山のホルモンがよっぽと旨い?いや間違いなく!周りで残す人結構居たね。少し生臭かったよ。

その柔らかさを見せるため切り分けをお皿でしてその後そのお皿、パリーンと床で割っちゃうんだけどソノパフオーマンスもくさ過ぎ。まあ、お値段安ければそれはそれでショートしていいのだけど。何となく高くボラれそう?私達日本人観光客ですものね。
そのレストランの奥まった応接間みたいな客間で私達団体16名清く正しい観光客日本人ご一行さまは食事したんだけど、他の外国人はほとんど外のパラソルの元、ラフな雰囲気で質実剛健なメニュウで昼食。お外はこんなすばらしい青空なんだから、みんな纏まるひつよう無く、小グループにするなりしてどうしてあんなふうに旅行会社はセッティングしないのかなあ?
こんなすごい異次元の水道橋のそばで飲むカーニャってそう人生に有るもんじゃないんだよ。




スペインでしたいこといろいろ有るが、まずセルビシオでしょう!

2013-11-20 18:32:47 | Weblog
旅行滞在三日目、今日も快晴。
  
そういえば今回の旅行、初日の午前中が曇り、夕刻からその後どんどん天候回復してきて帰国まで連日の晴れ、または快晴でした。
カミーノ巡礼のさいも雨にあったのは三時間ほど、34日間のうち。これもすごいけど。こんな破天荒な歓迎うけるからスペインがますます好きになっちゃうのかなあ。

でも、今日は旅行中、最大の危機だったのです、いやホント。
マドリッドから120キロ離れた中世の城塞都市アビラの街へバスで移動。ここはスペインの中で完全に城壁が総延長約2.5キロにわたり残っている二つの街のうちの一つです。そして今回の旅行のお目当てのひとつだったのですが。
ちなみにあとおめあては?というと
①マドリードの旧市街特にマヨール広場近辺うろつく事
②バルセロナの旧市街特にゴシック地区うろつく事、
③セゴビアの水道橋に触れて見ること
④トレドの旧市街うろつく事特にヤダヤ人街
⑤グラナダ旧市街うろつく事特にヤダヤ人街アルバイシン地区
⑤ゴルドバの旧市街うろつく事
⑥セビージャの大聖堂、サンタクルス街うろつく事
⑦ミハスの街散策
⑧ロンダのヌーボ橋横のパラドールお泊り体験
  
挙げればこんなとこです  
そうなんです、アルハンブラ、ガウディ作品郡、サグラダファミリアとかその他各種美術館(プラドは別!)、闘牛場とかスペイン料理とか風車とか買い物とか一切がさほど興味なし。そうそう大事な事、目的がありました。『BAR』遊び、バンバンあの空間に身を委ねる事。多少ずれてはいるんですが要は全てに路地裏放浪ってことです。

戻りますね、最大危機の話。
そう、アビラへ移動中、催してきてしまったのです、『ダイ』の方が、バスの後部座席で苦悶の時を過ごしました
。汗がジンワリ、まずパーカーを脱ぎます、でも汗がジンワリ、次にシャツを脱ぎます、でもマダジンワリ、すでにアンダーシャツもグッショリ、おかしい、こんなに暑くなるなんて。そうなんです、バスの暖房でも何でもなくこれ全てガマンのアビラ汗、訂正アブラ汗、洒落てる場合じゃない!
横から家人曰く、他の事考えなさい、なんてね。ここもう頭はのなかは真っ白です。おもわず添乗員の魚谷さんに、30の瞳を背に受けながらも停めてを要請。彼、曰く、後十分です、ガマンできますか?私、ここでも見栄張り。ハイ。ウーッ!でも座ってられない、バスのゆれが横腹しげきする、まだ前方にはアビラの街見えず、ますます発射?は秒読み段階!そんな中でも頭の中では各種計算、バスが止まって出口までの距離計算、バス駐車場に一番近いセルビシオは何処?事前に聞かねば。トンレットペパーは手に持つこと、走るスピード?肛門の括約筋をしっかり〆る事?

漸く、到着、特異のダッシュ!いや、それしたら爆発してしまう、急ぎながらもゆっくり、じんわり歩行。わかるよね?この感じ。一般セルビシオは二、三分掛かる為最寄の事務所のそこへ。嗚呼ー、カミは私を見捨てなかった!そこに腰掛けた時は今思えば今回の旅行の最大の喜びをかみしめている自分がいたのでした。毎朝食、食べすぎのせいも有ったようで、この日以降朝食はごくごく控えめを心底心がけました。

でもねぇー、阪神交通さん、トイレ休憩は一時間に一度は取ってください、お願いします。これってトラウマになりそうですよ。
以後、行く先々でトイレタイムでは必ず必ず取る習性となり、何処に言ってもトイレマークがやけに親しみ深くなったのです。

今回観光の話は全然出てきませんでしたね。

プラドで少し、ゴアに覚醒

2013-11-19 19:06:36 | Weblog
現在、日本からスペインへの直行便はありません。例外総理大臣、天皇陛下クラスだと元国営JALがビューンと行くのかも。

二週間のまず初日はマドリッドからでした。
まず、入国挨拶はスペイン広場へ。大きなドンキホーテに挨拶でした。

その後即効あのプラド美術館へ。 ここで少し体験談  
行く前まではアンチ観光、つれまわされるのいやモードの私が一躍スペイン絵画の似非評論家になっていました。

ベラスケス、エルグレコ、レンプラント、ゴヤ、その他の代表作がアルワアネワ!はっきり言ってよく解りません。教科書とかで確かに見たなあ、という感じ。
でもゴアの一点だけは別。そうか、そうだったのかあ、と頷ける物がありました。ここではその理由はいいませんが作品名だけ上げますね、長いタイトルですが『1808年5月3日マドリード市民の処刑』展示室64-65です。
宮廷画家のゴヤが何故こんな絵を画いたのか?その説明を現地ガイドの方に聞いた時、それまで私にとってモノスゴークお高くとまっていた作品がこの絵に限ってコトンと胸に収まりました。現物に対峙する意義がなにかわかったような気がしました。何言ってるかよく解らないでしょうが、その絵は今こうとしかいいようが無いのです。
自分用、友人プレゼント用、息子達にとその絵のレプリカを売店で買い求めたものでした。

やはり、いい絵には背景ストーリーがありそれも併せ持って作者の思いがキャンバスに塗り込められているようです。
 PRADOであの時、少し、ほんの少し触れたかな?

美術館大好きイタリア大好きトモクン、どう?こんな感覚わかってくれる?

その後は待望のマドリード自由散策、   イクゾー!、旧市街、ビリャ広場マヨール広場、パレシオ王宮 オリエンテ広場
、プエルタデルソルetc。モチロンBARもだよ。あのチョロスチョコラーテ老舗は何処だ?捜すぞー!

初日から片手にビーノブランコ、はたまたカーニャにパエジャ、これのあと子豚の丸焼きなど身の丈越えた放蕩の食事が続いた訳です。嗚呼ー!

身の丈、忘れて再びスペインへ

2013-11-18 19:40:39 | Weblog
三年ぶりのスペインへ旅行!へブーーン! KLM航空バンザーイ!

だって三年前アエロフロートではトランジッション出来ず、モスクワ空港に一晩拉致されて我が人生三大不安のひとつを味わったからなのです。(この経緯以前詳しく述べましたよね)

今回は至極まっとうなツーリストとして行ってきました。なんてったってあの巡礼と違ってすべてホテル泊まり。それもすべて4星☆☆☆☆Hなんです。(これ自慢ではなく生活心情からでたグチなんです)そのうちひとつロンダではついに体験、パラドールホテルに!!(すみません、これは正直自慢です)だって通算スベイン滞在46日なんですもの。一度くらいは!

思い出せば巡礼では質素な限定クリスチャン?として一泊5ユーロからや7ユーロ、中には無料の教会の床にマット敷いて寝たときとか、今思えばそんな清く貧しく美しい心であったの私が今回は一泊200~400ユーロと旅行会社のいいなりに。
これを堕落とみるか、正しいツアー客とみるかなんとも複雑な気持ちが今もってあるわけです。ウーム。

まあ、今回は過去の得手勝手な個人主義の罪滅ぼしも含めて家族孝行の意味合いで出かけてきたのですが。
家人いわく、スペインは危ない、スリがうようよ、お買い物したい、高くおいしいもの食べたい、路地裏より表どおりのブランドショッピングへ行きたい、危ないところは行きたくないetc。地下鉄よりタクシー、よくまあこれだけ相反する旅行コンセプトのちがうもの同志が、って感じです。でも不思議そこはそれ旅行会社企画のツアーではうまく行くんですよね。

内情はともかく、とりあえず出発日国内では台風上陸中、関空前泊のハプニングはありましたが無事機上の人となりました。前泊は関空内ではたった一軒のホテル、日航ホテル、ヒェーッ高そう。高さじゃなくお値段。そうそう夕食が8000円からと言う感じでした。同じツアーのお二人ご夫婦の話ですが日航満杯で関空に渡る前のワシントンH泊、それなら食事だけでも日航ホテルでとわざわざこちらに渡られ(明日来るのにね)8000円の食事されたとのこと、(お一人お値段ね。)ちなみに宿泊代は7000円ほどだったと聞きました。ウームあわせて30000円が彼らは離陸前に飛んでいったのか。

そうそう、あの当時1ユーロ103円、それが今回チェンジレート福井銀行で141円!円安、クッ、クルシイー!となるわけね。

前置き長かったけどそれくらい巡礼旅とは違う場違いな身の丈超えた?旅行に来てしまったというわけね。

前段身の丈小さい私はグチばっかりでしたが、いやいや、いざ行ってみると。ヒャーッ,  うわさどおりの2000年前のローマ遺跡!        中世の大聖堂カテドラル中世の旧市街地期待以上ー!